今日より52
コロンブスの誤解
アメリカ合衆国、また南北アメリカ大陸、その「アメリカ」の名はどこに由来するか。それはイタリアの探検家・地理学者、アメリゴ・ベスプッチ(一四五四または一四五一〜一五一二)の名前である。彼のことは、コロンブスに比べて、あまり知られていない。また長い間、誤解に包まれ、今なおさまざまな見方がある。
かのエマソンでさえ、泥棒呼ぱわりしている。“たいした業績もないのに、自分の名前を大陸につけるなんてとんでもない” ─ こうした非難が続いてきた。しかし近年の研究で、彼のことが知られるにつれ、極端な批判は、次第に影をひそめた。この「新世界」が彼の名で呼ばれるのも、もっともだという人も出てきた。
なぜか。それは彼(アメリゴ・ベスプッチ)が、この大陸を、まさに「新しい大陸」「新しい世界」であると、初めて明確にしたからである。言うまでもなく、“発見者”はコロンブスである。もちろん、彼より先に人々は住んでいたのだから、“発見”といっても、ヨーロッパから見た言い分にすぎない。
それはともあれ、コロンブスは、死ぬまで、自分が到達したのは「アジア大陸」の一部だと思っていた。インドへの航路を探し続けた彼は、自分はアジアの東海岸に着き、まだ知られていない島々と半島を、発見したのだと信じ込んでいた。まさに「見れども見えず」である。法華経の寿量品では「雖近而不見」と説く(近しといえどもしかも見えざらしむ)。仏は常に衆生のそばにいるのだが、あえて見えないようにしているので、凡夫には見えない。
次元は異なるが、広大な「新世界」を目の前にしながら、最後まで、そこを「旧世界」の一部と思い込んでいたコロンブスは、古い考えにとらわれて、新しい現実を「見れども見えず」となりがちな人間の傾向性を象徴しているようにも思える。
当時、欧州の人々の頭脳は、古来からの権威であるプトレマイオスの地図によって支配されていた。すなわち、世界には、大陸はアジア、ヨーロッパ、アフリカの三つしかないとされていた。
ゆえに、コロンブスも、せっかく、新しい大陸“素晴らしき新世界”を発見したにもかかわらず、頭のなかの「古い地図」に合わせて、その地図のどこに当てはまるのか ─ という見方しかできなかった。
(中略)それでは、地図を新たに書き直すには、何が一番大切なのか。アメリゴ・ベスプッチは、どうして「これは新しい大陸だ!」とわかったのか。それは、彼の徹底した「実証主義」の精神であった。「経験」と「事実」を重んじる、彼の「新しい精神」であった。彼はイタリア・ルネサンスの花開くころ、フィレンツェの名家に生まれた。はつらつたるルネサンスの息吹を吸い込み、彼は、地理や天文の勉強に励んだ。多くの画家や詩人が、彼の家を訪問した。レオナルド・ダ・ビンチは、彼の祖父の肖像画を描いた。
コロンブスの「西への航海」(“アメリカ発見”)から七年後の、一四九九年、ベスプッチは、スペインの遠征航海に同行した。
この時は、彼にも、まだ「古い地図」しか頭になかった。しかし、早くも「これまでの理論はおかしい」と思い始めた。というのは、それまで「熱帯に人は住めない」というのが、多くの学者の説であった。しかし、事実は反対だったからである。実際は、大気がさわやかで気候もよく、人口は他より多いぐらいであった。彼は書いている。「大きな声では申せませんが、論理的に言って、経験は理論よりも確かに尊いのです」(第一次航海の報告書)
このように彼には、古い見方にはとらわれない、冷静な科学的精神があった。彼は、また、天文学的知識を使って、赤道上の地球の円周を計算した。それは、当時では、最も正確な数字だったといわれる。実際と十五マイル(約二十四キロ)違うだけであった。
一五〇一年、彼は、今度はポルトガルの船で第二次航海に出発した。現在のブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンと、南アメリカ大陸の東海岸を南下し、マゼラン海峡の少し手前まで行った。彼は、人々の生活や、豊かで珍しい動植物などを、強い好奇心をもって観察し、ありのままに記録した。そして、自分の位置を正確に計算しながら、この航海の意味を考えた。そして、次のように、歴史的な結論をくだした。「われわれが到着した新しい土地は、大陸と認められる」。
アジア、アフリカ、ヨーロッパに次ぐ「第四の大陸」であると、史上初めて認識したのである。一五〇三年、ベスプッチの『新世界』が出版されると、コロンブスの本よりも売れに売れた。ここに初めて、偉大なる可能性を秘めた「新世界」が、人々の目の前に姿を現した。“世界を見る目”を一変させたのである。その精神的影響は計り知れない。「古い地図」は、まったく意味がなくなった。本屋や地図製作者は、大損害になるため、なかなか、事実を認めようとしなかった。いつの世も変わらぬ人間模様である。ベスプッチの報告を知ったドイツの地理学者・ワルトゼーミュラーは一五〇七年、『世界誌序説』を出版した。もともと彼のグループは、プトレマイオスの本を出版
する計画だったが、それを投げ捨てて、この本を書いた。
「これは新時代の到来を告げるものだ!」。そんな感激がペンを執らせたのであろう。この「世界誌序説」の中で、初めて新大陸に名前がついた。すなわちアメリゴ・ベスプッチのラテン名(アメリクス・ウェスプキゥス)にちなんで、「アメリカ」とした。「アメリゴの土地」を意味する。この本につけられた地図では、南アメリカ大陸が、非常に正確に描かれ、アジアと新大陸の間の大海(太平洋)の存在も描かれていた。
初めは南米大陸だけを指した「アメリカ」の名は、有名な地図製作者・メルカトルが、北米にも使用、南北両大陸の名前になった。こうした経緯であるとすれば、ベスプッチがコロンブスの功績を盗んだというのは誤解であるといえよう。彼はむしろ、コロンブス自身も気づかなかった、彼の業績の真の意義(新世界発見)をはっきりさせたのである。 「アメリカ」の名前には、このように、アメリゴ・ベスプッチの「実証精神」の力が象徴されている。彼は、先入観を捨てて、事実の観察に徹した。まず彼の胸中に、ルネサンスの風土が鍛えた「思考と精神の新世界」が開かれていた。だからこそ、アメリカを“新世界”であると正しく評価できたのである(アメリゴ・ベスプッチについては、『大発見未知に挑んだ人間の歴史』〈ダニエル・ブアスティン著、鈴木主税・野中邦子訳、集英社刊〉などを参照)。
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