今日より52
今年は「母の日」が生まれて七十六年になる。「母の日」はアメリカのウィルソン第二十八代大統領が、一九一四年五月九日に大統領宣言を発し、毎年五月の第二日曜日を、その日と決定した。今日では、世界各国に広がり、イギリス、スウェーデン、中国、デンマーク、メキシコなどでは二日間行うと聞いている。そのうち一日は学校、クラブなどで、一日は私的に家庭中心で祝ってきたとのことである。
日本では、戦後、一般に行われるようになった。
何ごとも「一人」から始まる。世界に広まったこの行事にも、一人の先駆者がいた。彼女の名はアン・ジャービス(一八六四〜一九四八年)。ニューヨークの少し西、ペンシルベニア州フィラデルフィア近辺に住んでいた。彼女は若き日に、苦しい失恋を経験した。ひとたびは死にたいとまで思ったかもしれない。しかし彼女は生きた。相手がどうであれ、自分は自分である。私には私の人生がある。幸福に免きる権利がある。悲しみを越えて、以後、彼女は、母親と盲目の妹に愛情を注いで生きた。最愛の母が亡くなった後、彼女は、母をしのんで、教会に集う人々に、白いカーネーションを贈り続けた。繰り返し、繰り返し。
それは母がこよなく愛した花であった。彼女は「お母さんへの感謝」を、自分一人のものに、とどめたくなかった。どんな人にも、お母さんがいる。みんなで「母への愛」を表す日があってもよいのではないだろうか
彼女は婦人クラブや、有力者に、「手紙戦術」で働きかけた。誠実に動いた分だけ、波動は広がる。次第に賛同する人々が増え、一九〇八年五月十日、「第一回母の日」が、フィラデルフィアで行われた。やがて、全国的行事となり、六年後の大統領宣言に至った。お母さんのいる人は赤いカーネーションを贈り、お母さんの亡くなった人は白いカーネーションを飾る。この習慣の源流は、「お母さんが好きだった花」を、母の分身のように愛した一人の女性の美しい心にあったのである。
さて一人の無名の女性の呼びかけが、一都市へ、更にアメリカ中へ、そして世界へと、広がっていった。その理由は何であろうか。それは、いずこの国の人々にも、胸の奥には熱き「母への思い」がある。その“琴線”に触れ、美しい音楽のように、共鳴に共鳴を奏で、感動に感動を広げていったからではないだろうか。
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