今日より6
栃木の地には、かつて「足利学校」という有名な学校があった。すでに室町時代の後期には、“坂東の大学”といわれていた。この学校については、「足利学校の研究」(川瀬一馬・著)に詳細に紹介されている。
同書によれば、キリスト教の宣教師であったかのフランシスコ・ザビエルは“坂東の大学には四方より向学の人が雲霞のごとく集ってくる。この地には、優秀な宣教師を派遣することが必要である”と本国に報告している。
また、織田信長の知遇を得てキリスト教の布教のために日本を訪れたルイス・フロイスも、“日本に総合分科を有する唯一の大学がある。それは坂東地方の足利と呼ぶところにある”と記している。
彼らの報告は、足利学校の権威を認識し、異国での見聞を本国に伝えたものである。この時代に、すでにヨーロッパにまでその名が伝わっていたことは注目すべきであろう。学校の教育理念とその内容が、西欧人の目にどのように映ったかが分かる。
足利学校の創設等については諸説がある。室町時代に関東管領の上杉憲実が再興する以前の歴史は、ほとんど不明であるが、鎌倉時代、足利義兼が子弟教育のためにつくった学問所が次第に発展していったものとの説もある。いずれにしろ確証はないようである。
室町時代、この上杉憲実らの保護を受け、足利学校は隆盛をみていく。その後も小田原北条氏、徳川氏らの庇護によって、足利学校は江戸時代まで存続していくのである。
学校には、各地から若き学究者が集まり、学問に励んだ。最盛期には“学徒三千人”ともいわれるほどであった。戦乱の世にあっても、学校は閉鎖されず、一日中、読書の声が絶えなかったともいわれ、次代の人材育成の使命は果たされていった。
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