デューイ 

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 ルネサンス98
 「人間にとって幸福の条件とは何か」  
 著名なジョン・デューイ研究センターのヒックマン所長に、ある人が尋ねた。  
 デューイ博士は、牧口先生が特に深く研究した哲学者である。先日、アメリカでもデューイ博士について語らせていただいた。  
 ヒックマン所長は、「幸福の条件」について、次のように答えられた。
 「デューイの哲学の特質を、ひとことで表すとすれば、それは“成長”であります。その哲学に従えば、“幸福な人”とは“成長している人”です。また“不幸な人”とは、いかなる原因が背景にあれ、“成長が止まった人”です」  
 「精進」か「退転」か。それが、人の幸・不幸を決めるのだと。  
 また、こうも語っておられる。  
 「成長には必ず抵抗が伴うものです。成長には必ず対抗勢力が現れるものです。反対に、何の疑われることもなく、何の迫害もなければ、成長の理由そのものが存在しなくなってしまいます」  
 迫害があるから成長できる ─ 確かに、正しい論理であると思う。  
 何もないことが「幸福」なのではない。あらゆる抵抗を乗り越えて、成長し続けることこそ、「幸福」なのである。  
 
 今日より55
 「対話」を重視した哲学者の一人にアメリカのデューイ(一八五九〜一九五二年)がいる。彼の哲学を「話し合いの哲学」という人もおり、アメリカの「プラグマティズム」を代表する哲学者であった。「ブラグマ」とは行動・実務を意味するギリシャ語を語源とする。つまり、プラグマティズムは「行動の哲学」また「生活の哲学」「経験の哲学」等の意義をもっている。
 彼は約半世紀にわたってアメリカの哲学・教育をリードしてきた人物である。初代会長の牧口先生は『創価教育学体系』で、このデューイの教育哲学にも注目されていた。
 また恩師・戸田先生もよく述懐されていた。“太平洋戦争において、アメリカはデューイの哲学を基礎とし、日本は国家神道をよりどころとしていた。勝負は物量だけの問題ではなく、すでにこのことによって戦う前に決まっていた”と。
 ちなみに牧口先生の著『創価教育学体系』が英訳され、昨年、アメリカのアイオワ州立大学から出版されたが、アメリカの教育界に大きな反響を広げている。
 デューイは“デモクラシー(民主主義)は「対話」から始まる”と述べている。そして“デモクラシーは単なる政治の形態ではない。自由で豊かな「対話」に満ちた生活のあり方である”と主張した。「命令」や「強制」や「独善」ではない、「対話」こそ民主主義の根幹をなすものである。
 その「対話」の中でもデューイは地域に根差した話し言葉による知性の交流を重視していた。
 彼はまた「伝達もされず、共有もされず、表現において再生もされない思想は独白に過ぎない。そして、独白は半端で不完全な思考に過ぎない」(『現代政治の基礎―公衆とその諸問題』、阿部斎訳、みすず書房刊)と、社会に波動を及ぼさない思想の偏頗さ、無力さを喝破した。
 
 ところで、こうした“対話の力”を重視する彼の思想には、ある大きな支えがあった。それは、デューイにとっては、妻の祖父にあたる人で、学問もなく、字も読めない一開拓者の、何気ない一言である。
 彼は、少数民族の失われゆく権利を守り、戦争に反対し、「正義」と「平和」の行動を続けてきた、勇敢な人間であった。
 ある時、彼は会話の中でこう語っていたという。「こいつあおれがおもいついたばかりじゃあ、しょうがねえ。いつかはひとにしらせなくちゃあ」(『デューイ・こらいどすこおぷ』、鶴見和子著、未来社刊)と。
 いかに素晴らしい思想であっても。自分の胸の内あるだけでは、実証できないし、多くの人々の精神を高めていく力ともならない。
 一見、何の変哲もないような言葉から、若きデューイは“対話の力”を尊ぶ思想への大きな示唆を得た。彼はこの無名の開拓者の、生きた“行動の哲学”を大切に胸にあたため、やがて自身の哲学を開花させ、体系化していった。
   
 輝き6  
 社会の奥底の哲学がどうか  
 戸田先生は、語っておられた。「太平洋戦争において、アメリカはデユーイの哲学を基礎とし、日本は国家神道をよりどころとしていた。勝敗は物量だけの問題ではなく、すでに、このことによって決まっていた」と。戸田先生は、社会の奥底の「精神」「哲学」をつねに見ておられた。アメリカの哲学者デューイ(一八五九〜一九五二年)は、教育の改革者でもあった。ほぼ同時代に生きた牧口初代会長(一八七一〜一九四四年)は、いち早く、彼の教育哲学に注目している。主な著作には、『学校と社会』『民主主義と教育』『人間性と行動』『哲学と文明』『誰でもの信仰』などがある。  
 デユーイの哲学は「話し合いの哲学」とも言われる。対話を重んじ、現実の価値創造を重んじた。いわば、知識以上に智慧を観念以上に行動を 思索以上に実践を 理論以上に価値を ─ ということである。牧口先生と創価学会の哲学にも通ずる。彼は「机上の学者」ではなく、「実践の学者」であった。民衆とともに生き、民衆と語り合い、民衆と行動し、積極的に社会活動に身を投じた。今世紀の初め、アメリカのニューヨークで、婦人参政権を求めるデモがあった時も、皆と一緒にプラカードを掲げながら、大通りを行進した。
   
 逮捕覚悟で洗面用具を  
 デモといえば、一九一九年に起こった「五・四運動」(中国.北京での反帝国主義運動)でのことである。学生たちがデモ行進をしていた。彼らは皆、洗面用具を持っていた。なぜか?「いつ、牢屋へ行ってもいいようにしてあるんだ。だから、洗面用具をポケットに入れて持っている。彼らの姿の中に、デューイは「中国の新しき精神」を見た。「ここに新しき中国が生まれようとしている。この青年たちの不屈の魂があるかぎり、いつか中国は世界を動かすにちがいない」と。そういう青年たちの中に、若き周恩来総理夫妻がいたことも有名である。見かけだけならば、当時、中国は混乱し、日本は近代化されていた。しかし、デューイは、日本の近代化は表面的なもので、内発のものではない、魂の内側からのものではないと見抜いたのである。  
 人道主義者であったデューイは、「精神の自由」の弾圧とは、断固戦った。  
 第二次世界大戦中、彼は、八十歳を超えてなお、ナチスを猛然と批判する。彼が設立に尽力した、ニューヨークの研究所は、ドイツから亡命してきた多くの学者を受け入れている。  
 ともあれ、デューイと牧口先生とは、相通ずるところが多い。このことについては、昨年(一九九六年)、アメリカ・コロンビア大学での講演でも触れた。〈「『地球市民』教育への一考察」と題して。『創価のルネサンス』第97巻に所収〉  
 この点には、デューイ研究所のヒックマン所長も注目されていた。デューイ博士と牧口先生は、どちらも、「あらゆる人々が、善なるもの、価値あるものを、積極的に追求できるように、啓発的な教育を通して、励まそうとした」と。〈聖教新聞のインタビューでも同所長は、デューイ哲学の核心である「成長」の考えが牧口教育学の「価値創造」と共通することなど多くの一致点を語っている〉また、デューイの孫にあたるアメリカの文化人類学者、アリス・デューイ女史も、「人類が破滅への傾斜を強めているなか、祖父・デューイが説き、実践したように、“人間の内面の変革を通して、社会に大きく価値を創造しゆく”創価学会の存在は、じつに貴重であります」と、深い共感を寄せておられる。学会の運動は、時代の最先端を進んでいるのである。一流の人には、それがわかる。  
 ちなみに「デューイ」とは、「牧草地」という言葉からきている。日本語でいえば、.牧野さんという感じである。柔らかなイメージで親しみやすい名前であった。
   
 人生に定年なし  
 デューイといえば、アメリカSGI(創価学会インタナショナル)のニューヨーク文化会館は、彼が、いつも講演に訪れた、ゆかりの建物である。デューイは、九十二歳まで生き抜いて、執筆に、講演にと最後まで旺盛な情熱で戦った。晩年、あるインタビューで、“不安で、問題の多い世界にあって、あなたは、どう生きてきましたか?”という質問に、博士は、こう答えている。  
 「私の人生哲学は本質的には単純な言葉だが辛抱強く頑張る」(鶴見和子著『デューイ』未来社)である、と。「辛抱強く頑張る」。一歩ずつでもいい、粘り強く、前へ進み続けることである。

 


 

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