エジソン

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 輝き18
 ところで、二十世紀の終幕を前に、この世紀を回顧する動きが続いているが、「二十世紀を発明した男」と呼ばれているのが、あの発明王エジソンである。彼がかかわった発明は、あまりにも多い。電灯、蓄音機、映画、フィルム、電話、電報、タイプライター、電信、電池、電気鉄道、セメント、X線機械、マイクロホン。また、ソケット、スイッチ、ヒューズ、メーターなどの送電システム。〈改良・実用化したものも含む〉彼による発明は、人類社会を一変させたといえよう。彼なくして、今の私たちの暮らしはない。戸田先生はよく、こうおっしゃっていた。「今は昔と違って、通信や交通が飛躍的に発達した。こういう時代が来たということ自体が、広宣流布できるという、ひとつの兆候だ」と。たしかに今は、全国、世界の規模で、ただちに連絡が取れ、交流もできる。また科学が進めば進むほど、仏法哲学は理解しやすくなる。同時に、科学文明の発展にふさわしい「精神的支柱」も必要になってくる。戸田先生が言われた広宣流布の時代その環境をつくった代表の一人が、エジソンである。エジソンは、戸田先生と同じ「二月十一日」が誕生日であった。一八四七年の生まれ。戸田先生より五十三歳、年上である。ちなみに、「アメリカでもっとも尊敬されている三人」と言われる、ワシントン、リンカーン、エジソンは、三人とも二月生まれである。
 
 学歴は無関係
 エジソンは、「発明界のナポレオン」と言われた。他と比較できないほど抜きん出た”巨人”であった。しかし、彼の学歴はゼロに等しかった。小学校に三カ月、行っただけである。ここに重大な意義がある。「学歴なんか、人生の勝利には関係ない」
 彼はこのことを見事に証明した“チャンピオン”だったのである。
 
 「耳が聞こえないから幸運だ」
 しかもエジソンは、耳がほとんど聞こえなかった。それでも、「自分は耳が聞こえないから幸運だ。雑音に惑わされることなく考えることができるし、いつでも静かな環境で眠ることができるからね」(浜田和幸著『快人エジソン』日本経済新聞社)と笑っていた。達観である。強い。彼は、いつも、強気であった。決して弱気にはならなかった。
 
 わが人生の記録
 エジソンの生涯の発明の特許は、千九十三件(それ以上という説も)。個人としては“史上最高”である。
 さて、エジソンの成功の秘密は何だったのか?彼は言った。「成功するまで、絶対にあきらめないことだ」と。「あきらめないこと」これしかない。彼は言う。「他の発明家の弱点は、ほんの一つか二つの実験でやめてしまうことだ。わたしは自分が求めるものを手に入れるまで決してあきらめない!」(浜田和幸著、前掲書)何かあれば”すぐにあきらめる”のは、あまりに短絡的である。本当に、人のため、人類のためを思えば、決してあきらめられるものではない。「見栄」を気にしたり、ただ「有名になりたい」「金をもうけたい」というような浅い心であれば、すぐに、くじけてしまう。それでは真の学者ではない。真の信仰者ではない。「これまで、同僚の研究者をたくさん見てきたが、壁にぶち当たると、皆、いとも簡単にあきらめてしまうのが常である。(中略)九十九回の失敗の後に、ようやく一回の成功が得られるのが普通である(浜田和幸著、前掲書)と彼は語っている。彼は七十五歳になったときに、はじめて毎日の労働時間を少し減らした。十八時間を、十六時間に減らしたのである。
 戸田先生は言われていた。「青年の特徴は、『情熱』と『思索』だ。これがあれば、年をとらない」と。エジソンは、何歳になっても「情熱」をもって前へ前へと進んだ。そして、いつも「考えて、考えて、考え抜いて」いた。「もっと、いい人生を」「もっと、いい結果を」「もっと、いい生活と社会を」と努力した。私どもも、これでいきましょう。
 
 「意気消沈しているヒマはない」
 エジソンの「成功の秘訣」の第二は、「くよくよしないこと」であったと思う。悩んでもしかたのないことは、さっぱり忘れた。エジソンが六十七歳の時のことである。研究所が火事になり、すべてが灰になってしまった。しかし彼は「自分はまだ六十七歳でしかない。明日から早速、ゼロからやり直す覚悟だ。そうすれば、今よりもっと大きく立派な研究所ができる。意気消沈などしているヒマはない」と言って立ち上がった。意気軒高である。そして、燃え続ける研究所を前にして、家族を呼び寄せ、「こんな大きな火事にお目にかかる機会はめったにないから、じっくり見ておくがよい」と悠々としていたという。〈浜田和幸著、前掲書〉彼は「必ずまたできる!」との自信に満ちていた。強気である。
 
 機械文明には「心の進化」が必要
 彼は自信に満ちていた。しかし、決して傲慢ではなかった。本当に偉い人間は、決して偉ぶらない。威張らない。彼は自分の発明は、自分が発明したというより、「宇宙にある高度な生命体から“メッセージ”を受け取り、自分なりの記録をとったにすぎない」と考えていた。彼は、宇宙全体が、生命体であるとも考えていたという。仏法とも相通ずる哲学である。
 彼は、唯物論者でもなかった。最後の研究は「死後の世界とコミュニケーションする」機械についてであった。その発明に真剣に取り組んでいた。また、機械文明を生きるのに一番必要なことは「心の進化」であると言っていた。「心の進化」 ─ つまり「人間革命」こそ現代人に必要ということである。
 
 「危機のたびにさらに発展した」
 エジソンの公での最後のスピーチは一九三一年、八十四歳の時。アメリカが、大恐慌の時代であった。彼の叫びは「勇気をもて!」であった。これが、彼の人生の結論であった。「私はずいぶん長く生きてまいりました。歴史が何度も繰り返す様をこの目で見.てまいりました。その間、実業界はたびたび不景気に襲われましたが、その度にアメリカは、より強くなって危機を脱し、さらなる繁栄を遂げてきたのです。どうかみなさんも、先人たちに負けない勇気をおもちください。ご自身の信念のもとに、まっすぐ前進していただきたいと存じます」(椿正晴訳、前掲書)
 アメリカ社会には、こうした「勇気」を重んじる気風がある。ここに繁栄の基盤がある。 エジソンは「生命の無限のパワー」を確信していた。

 


 

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