エマソン

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 ルネサンス91  
 「苦闘」こそが「勇士」を生む  
 私(名誉会長)は戸田先生に十年近く、毎朝、勉強を教わった。先日、その講義を記した手帳が見つかった。そこにはアメリカ・ルネサンスの思想家エマソンのことも書いてあった。  
 エマソンは、ホイットマンなどとならんで、私(名誉会長)が青年時代に愛読した哲学者である。戸田先生とも何度も語り合った。エマソンは当時の教会から、事実上、追放されながらも、信念の言論闘争を貫いた。障害こそが人間を教育してくれることを、彼は知り抜いていた。戸田先生は、常に言われた。「偉大な人間には、迫害がつきものである。必ず非難され、追放され、投獄されるものだ」と。「狂った世の中で、要領よく流行の波に乗って、ほめられようと思ったり、いい子になろうとしたり、そんな人間は、ちっとも偉くない」と。また「苦労をせよ。男は苦労しなければダメだ。苦労しない人間は、インチキの、見せかけだけの人間になってしまう。最後は必ず、おかしな人間になる」と厳しかった。エマソンも語っている。「敵がなければ、勇士も生まれない。宇宙が光を放つものだったら、太陽はおよそ退屈なものになるであろう」(「随想余録」、小泉一郎訳、日本教文社刊『エマソン選集』第三巻所収)  
 敵があるからこそ「勇士」になれるのだ。闇があるからこそ、闇を打ち破る「太陽」が偉大なのだ ─ と。
   
 “善良な女性が人類を文明化する”エマソン  
 民衆根本だから学会は盤石  
 エマソンは、著作に、ある言葉を記している。  
 「困難が増せば増すほど獅子のような勇猛心をふるいおこす ─ これが私の主義です」(小泉一郎訳、前掲書)  
 これは、一体だれの言葉だったか。エマソン自身か。他の著名な哲学者か。そうではなかった。それは、貧しい庶民の一女性の言葉であった。その信念に感銘したエマソンが、そのまま書き残し、歴史に留めたのである。偉大なのは庶民である。民衆である。    
 エマソンは、社会における女性の役割に期待を寄せている。「会話の力と彼らが社会に及ぼす影響力とによって、女性は人類を文明化する人びとである。文明とは何であろうか?わたくしは、善良な女性の力であると答える」(「女性について」、原島善衛訳、日本教文社刊『エマソン選集』第四巻所収)  
 同感である。男性は野蛮で、「力」を乱用しがちである。善良な女性こそ文明的、文化的存在である。学会も婦人部の皆さまのご活躍で発展している。今後も私どもは最大に女性を尊敬してまいりたい。  
 
 「快活」こそ力 きょうも胸に「旭日」を  
 エマソンは言った。「快活さとか明るい気分とかいうものは、使えば使うほど残りは多くなる」(小泉一郎訳、前掲書)  
 「快活」と「軽薄」とは違う。快活は「戦う心」から生まれる。軽薄は「臆病な逃避」と裏表である。また「力はつねに快活さとともにある。希望は私たちに仕事をしょうという気分を起こさせる」(同)と。快活でなければ力は出ない。皆さまは一段と明るく、快活に進んでいただきたい。
 
   
 輝き9  
 「勝利は、だれの手にあるか」  
 これについて、エマソン(19世紀アメリカの哲学者)いわく ─ 。  
 「勝利は、つねに、落ち着いて偉大な目的をいだいて働く者の手にあります。真理にみちた精神を持っている人には、世人の変わりやすい評判がつきまといますが、それは大西洋の波が、月の引力に引かれて高まるのに似ています」(「アメリカの学者」『エマソン選集』所収)  
 「偉大なる目的」を抱いて日々を働け!その人が必ず勝利する。と。  
 その人には、定見なき世間の悪口が、つきまとう。それは、偉大なる月が厳然と天空にあり、引力で波を引きつけているようなものだ。故に、天空から波を見おろしていけばよいのだ。
 アメリカ・ルネサンスの旗手(エマソン)は、こう叫んだのである。  
 またエマソンは言う。  
 「好人物な人間は余るほどいるが、高慢な者に戦い勝つ鉄の心を持った正義のみ方はとぼしい」(「若いアメリカ人」『エマソン選集・4』所収、日本教文社)。人がいいだけでは、高慢な連中をのさばらせる。「鉄の心」で戦う人でなければ正義の人ではない。  
 
 
 輝き28  
 「われわれにふさわしいものは、快活と勇気、希望を実現しようとする努力である」(エマソン選集4,原島善衛訳、日本教文社)
 
 輝き30  
 アメリカ・ルネサンスの哲学者エマソンは言う。「気迫」という力について、「歴史上、めざましい行為や偉業はすべてこの力を用いてなされた」と(「力」『エマソン選集・3』所収、小泉一郎訳、日本教文社)。  
 「気迫」で決まる。「格好」や「形式」で決まるのではない。どんな、いい洋服を着て、立派そうな姿をしても、人の心はつかめない。話だって、原稿の棒読みでは、何も伝わらない。堂宇を揺るがすような「気迫」の叫びができなければ、悪を打ち破る戦いはできない。「気迫」である。その力は本当の「信念」から生まれる。「民衆のために命を捨てる」覚悟から生まれる。
 さらにエマソンは言う。「古来熱心さがなくて偉大なことが達成されたためしはない」と(「円」『エマソン選集・2』所収、入江勇起男訳、日本教文社)。
 
 輝き30  
 ジェファーソンの次の時代、「アメリカ・ルネサンスの旗手」と称えられたエマソンは、こんな言葉を紹介している。「自分の悪いことを認める酔払い、不信仰を自認する不信心な人間、自分の放埓を認める放蕩者にはお目にかかったことがある。だが、自分の忘恩を認める恩知らずの人間にはお目にかかったことがない。恩知らずな男!まさにこの世の怪物だ」(「たましいの記録」『エマソン選集・7』所収、小泉一郎訳、日本教文社)
 こんな怪物に対しては、断じて、お人好しであってはならない。エマソンは言う。「好人物な人間は余るほどいるが、高慢な者に戦い勝つ鉄の心をもった正義の味方はとぼしい」(「若いアメリカ人」『エマソン選集・書所収、原島善衛訳、日本教文社)  
 傲慢な人間に対しては、「鉄の心」で叱り飛ばすことである。うるさく言わなければ、つけ上がってしまうからである
   
 今日より25  
 “若きアメリカ”を代表する、たくましき、そして誠実な知性の思想家.エマソン。彼は私(名誉会長)が青年時代に熟読した一人である。戸田先生からも読むようにと言われた。彼の『人間教育論』に、こういう一節がある。「それぞれ自然の教師のまわりに、みずから設立した自然の大学をもつ青年は幸福である。ソクラテスのまわりに集ったアテネの青年たちは幸福であった。プロティノスのまわりに集ったアレクサンドリアの青年たちも、アベラールのまわりに集ったパリの青年たちも、フィヒテあるいはニーブールあるいはゲーテをとりかこんだドイツの青年たちも幸福であった。端的に言えば、自然の大学とは、すべての指導的精神の自然の活動領域であったといえる」(市村尚久訳)  
 エマソンの言う「自然の教師」「自然の大学」とは、一言でいうならば、形式でも強制でもない。権威でも、また義務でもない。青年が、その魂の本然から自発的に求めてやまない、本物の「師匠」のことであり、魂の触れ合う「学びの場」のことである。  
 ちなみにエマソンが、歴史上の“師匠”の例として挙げた人物のうち、ソクラテスとゲーテについては、これまでも論じてきたし、あらためて申し上げる必要はないと思う。そこで、その他の人について、簡潔に紹介しておきたい。
   
 プロティノス(二〇四/二〇五〜二六九/二七〇年)は、三世紀のギリシャの哲学者で、「新プラトン学派」の代表者である。彼が学んだアレクサンドリアは、エジプトの北部、地中海に臨む港湾都市であり、かのアレクサンドロス大王が最初に造営させた。大王については高校生向けの小説『アレクサンドロスの決断』でも書いておいた。プロティノスのもとには、すぐれた青年が数多く集まり、その思想を継承・発展させていった。そして中世を経て、ルネサンス期に至る西欧の精神史に、きわめて大きな影響を与えている。「思想の流れ」「精神の系譜」の持つ力は絶大である。私どももまた、万年にわたる壮大な精神文明の流れをつくっている。この流れは、時とともに、大河へ、そして大海へと広がっていくことは間違いない。その遠大な展望に立つ時、一時の表面的なさざ波に左右されることはあまりにも愚かであるといわざるをえない。大いなる目的にふさわしい、大いなる境涯であり、大いなる人生であっていただきたい。
   
 アベラール(一〇七九〜一一四二年)は、十二世紀前半に活躍したフランスの一哲学者である。彼の教室には、その魅力ある哲学を求めて、全ヨーロッパから学生が集った。広い意味で、「哲学」こそ人間の証といってよい。「よりよき人生とは」「人間の真実とは」等と求め、真塾に学んでいく。それによって、はじめて人間は真実に人間として目覚めていく。そして現代という「哲学なき時代」にあって、大聖人の仏法こそ、生きた最高の人間哲学として、いよいよ光を放っていく唯一の存在と確信する。アベラールの名声は「驚嘆すべき哲人」として広く知れわたっていた。しかし、その主張ゆえに、絶えず生命の危険にさらされてもいた。新しい動きに古き勢力が反発することは、当然の道理である。彼は圧迫の中、全魂を込めて教育にあたった。
   
 フィヒテ(一七六二〜一八一四年)は、十八世紀後半から十九世紀初めにかけてのドイツの哲学者である。彼はナポレオン軍に占領されるという祖国の危機に際して、「ドイツ国民に告ぐ」と題する、十四回の連続講演を行った。その情熱に鼓舞され、青年たちをはじめとして、人々は陸続と再建へと立ち上がっていった。真の哲学者は、決して理論のみの人ではない。その哲学が、全人格に血潮となって脈動しているならば、哲学者とは同時に「実践の人」でもあるはずである。自身の哲学と信念の実現のために、何ものも恐れぬ勇気をもって行動してこそ、偉大なる価値が生まれる。
   
 ニーブール(一七七六〜一八一:年)は、フィヒテとほぼ同時代の歴史家である。新設されたばかりのベルリン大学で「ローマ史」を講義した。厳格な史料批判に道を開き、新しく「社会史」的観点を開拓するなど、その業績はゲーテをはじめ、多くの人々を感嘆させた。後の歴史学を担う青年たちに、大きな影響を与えた先覚者の一人である。

 


 

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