「『エミール』を読んでいます」
それは、昭和25年子950年)の秋10月 ―。
戸田先生の事業が、最大の苦境にあった時である。その日の夜も、私は戸田先生にお供して、都内を奔走し、目黒駅まで先生をお送りした。
目黒へ向かう電車の中で、先生は「大作、今は何を読んでいるか」と尋ねられた。
あまりに忙しくて本をよく読めていない時でも、先生に対して、いい加減なことは言えない。
「では内容は?」と聞かれて、すぐ答えに窮してしまうからだ(笑い)。
しかも先生は、私がまだしっかりと読んでいない本に限って、「内容を言え」と聞いてこられる (爆笑)。
先生に「読んでいません」とは言えないし、いい加減に「読みました」と返事もできない。だから、何を聞かれてもいいように、本当に必死に本を読んだ。
また先生は、自身が交友を結んできた作家や文学者に、私を紹介してくださった。私は詩人の西條八十氏、作家の山岡荘八氏らとお会いした。すべて、先生の薫陶であった。
本当に偉大な先生であった。その頭の鋭さは世界一であった。天才的な指導者であられた。
牧□先生もまた、世界的な大学者であられた。今、世界の良識が、二人の偉業を讃える時代に入った。
ともあれ、私は、その場で「ルソーの『エミール』を読んでいます」とお答えした。
先生は私の口調で、本当かどうか、わかってしまう。
「そうか、『エミール』か!」と先生。
「じゃあ、内容を言いなさい」
まるで非情な捜査官のようである(大笑い)。
『エミール』は、私が10代の終わりから繰り返し読んできた本である。私は、自分が知ったところを全部、話した。
先生は「そうだな」とうなずかれ、「ルソーはいいな」とおっしゃられた。そして『エミール』の内容について、ずっと電車の中で語り合ったのである。
私は、戸田先生をお護りするために、一切をなげうった。
戸田先生は、戦時中、軍部政府の弾圧で一緒に牢獄に入った牧□先生について、“牧□先生の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださった”とまで語っておられた。
こんな方は、ほかにいない。私は、こうした戸田先生の言葉を聞いて「本当にすこい師
弟だ」 「これが仏法だ」と直感した。
私もまた、師匠のためにすべてをなげうって戦おうと決めた。事業が破綻した時、先生は絶体絶命の状況だった。先生を支えるために、私は夜学も断念した。
先生が窮地に陥るや、手のひらを返したように先生を罵る人間も出た。
「戸田君」と呼んで下に見て、威張る人間もいた。多くの弟子が去っていった。私は、どこに行っても悪□を言われた。
何もかもが大変だった。本当に地獄の苦しみのような、悪戦苦闘の日々であった。
しかし、私は確信していた。「私の師匠は正しい!」「仏法は正しい!」と。
そして、苦闘の中から立ち上がった。師弟で、一切を勝ち越えてきた。だからこそ、今日の学会がある。
このことを、若き皆さんは深く心に刻んでいただきたい。
今は、学会には立派な会館もある。人も多い。組織もできあがっている。昔に比べれば、恵まれた環境であろう。しかし、あまりに恵まれていると本当の人材が育たない場合がある。ゆえに青年は、自ら苦労を求めていくことだ。苦闘を乗り越え、勝ち越えていくことだ。
戸田先生は、私が夜学を断念したことを気にかけておられた。「大作、悪いな。私の事業が失敗して」と言われることもあった。
そして先生は、毎朝の個人教授を通して、万般の学問を授けてくださったのである。
日曜には先生のご自宅で学んだ。先生自らご飯を炊いて、食事を用意してくださることもあった。
苦境を脱した後、戸田先生は立ち上がり、第2代会長に就任される。私は先生とご一緒に、また陰で支えながら、学会を全面的に立て直した。
それはそれは苦しい戦いであった。
私は、いつも先生と一緒だった。
夜中に呼ばれて、先生のもとへ駆けつけたことも、何度かあった。本当に365日、一刻たりとも先生のもとを離れない ― そういう思いでお仕えした。
一生懸命、仕えて仕えて、仕え抜いた。妻が一番よく知っている。戸田先生は体の弱かった私を心配して、“大作には、苦労ばかりかけてしまった。大作は、30歳まで生きられないかもしれない。大作が倒れたら学会の未来はどうなるか”と言って、慟哭された。
“俺が身代わりになるから、大作には長生きしてもらいたい” ― そう涙する思いで、私のために祈ってくだざった。
これが、師匠の姿であっった。
今まで私は、皆様方を代表して、世界各地から「237」の名誉学術称号をいただいた。すべて、大変に重みのある栄誉である。イタリアのボローニャ大学、イギリスのグラスゴー大学などでの式典も、大変に荘厳であった。アメリカのハーバード大学での2度の講演も、よき思いでである。
イギリスの大歴史学者トインビー博士は、私との対談を終えて語られた。「私は世界のいくつかの大学から名誉博士を贈られています。あなたは必ず私以上に、世界中から名誉博士号を贈られるようになるでしょう」と。
牧口先生、戸田先生、そしてトインビー博士も、創価の思想に対する信頼の証しである、これら名誉学術称号の授与を、必ずや喜んでおられるであろうと確信している(大拍手)。
文化・教育における、創価の師弟の闘争。その徹底した、また透徹した勝利の証拠は、厳然であると申し上げておきだい。
思えば、牧口先生もルソーの『エミール』を評価しておられたと、戸田先生からうかがった。ルソーは“新しい教育の光を放った” ― そう牧口先生は記されている。
教育小説『エミール』は1762年に発刊された。一人の教師が、一人の若者エミールを、どのように導き、育成していくかを描いている。教育論はいうまでもなく、人間論、宗教論、社会論など、ルソーの思想の集大成でもある。
ルソーの思想は、新時代を創る起爆剤となった。戸田先生も、「フランス革命には、火つけ役がいた。それが、ルソーである」「大作、そう思わないか」と語っておられたことが懐かしい。
キューバのカストロ国家評議会議長とは、とても話が合い、長時間、語り合った。彼も青年時代、「わたしの師、ルソー」と尊び、ルソーの『社会契約論』をポケットに入れていた(桑原武夫編『ルソー』岩波新書)。
ドイツの大詩人ゲーテは、「ルソーとともに新しい時代がはじまる」との言葉を残した(同)。私は今、宣言したい。「創価の青年とともに、新しい時代が厳然と始まった!」と(大拍手)。
ルソーは『エミール』で、恩人に対して感謝の念を持つことは、人間の自然な感情であると綴っている。
「恩人から忘れられても恩人を忘れることがあるだろうか。反対に、彼は恩人のことをいつも喜んで話し、恩人のことを考えては感激しているのだ」(樋口謹一訳『ルソー全集
第6巻』白水社)
この『エミール』は、“報恩の書”でもある。
ルソーは、生まれてすぐ、母を亡くした。貧しいゆえに働きに出た先でいじめられ、荒れた苦悩の青春時代を送っていた。
その時に出会った、誠実な無名の人間教育者が、10代後半の若きルソーを温かく励まし、人生について語り、導いてくれたのである。ルソーはその恩を絶対に忘れなかった。
それから約30年後、大哲学者となったルソーは、『エミール』の中で、その大恩を高く宣揚して、深く感謝を捧げたのである。
2008.6.10 聖教
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