|
ルネサンス58
ガーナは、「アフリカの新しい夜明け」を告げた国である。一九五七年三月、ブラック・アフリカで最初に民衆の力で独立を勝ち取ったのである。アフリカ諸国の独立へ「道」を開いた国である。大使は、当時、ガーナ大学の優秀な学生であった。祖国の力強い解放の息吹のなか、未来を見つめ、懸命に勉強また勉強に励まれた。そして卒業後、外交官の道を歩み、世界に雄飛されたのである。
滝山祭のテーマ「大いなる理想への挑戦」を生涯続けよ
まぼろし苦労なき幸福は幻自由は安逸ではなく鍛えの中に
さて、“建国の父”としてガーナの独立に尽力した人物が、有名なエンクルマ初代大統領である。エンクルマ大統領は、大使の母校、ガーナ大学の創立者でもある。皆さんは「大いなる理想への挑戦」を(滝山祭の)テーマに掲げた。素晴らしい言葉である。
文豪吉川英治氏は、ある裕福な青年に対して語った。「どの青年もおしなべて情熱との戦いを繰りかえし乍ら成長して行くのに、君は不幸だ。早くから美しいものを見過ぎ、美味しいものを食べ過ぎていると云う事は
こんな不幸はない。喜びを喜びとして感じる感受性が薄れて行くという事は青年として気の毒な事だ(岡副昭吾『吉川英治とわたし』復刻版吉川英治全集月報、講談社)
苦労すべき時に苦労し、勉強すべき時に勉強するのが、幸福な青春なのである。それが、一生涯の幸福の礎石となる。若い時に安逸を負り、苦労しないのは、もっとも不幸な青春である。自分では「自由」なつもりでいて、結局、最後はもっとも不自由な敗北者となってしまうであろう。
「大いなる理想への挑戦」を貫いた先人の一人が、エンクルマ大統領であった。「真剣」ならば不可能はない
「怒り」で燃えた
一九三五年、ファシズムの嵐が猛威を振るおうとしていた。若きエンクルマ青年は、留学の途中、立ち寄ったロンドンで、一枚の張り紙を目にした。「ムッソリーニ、エチオピアへ侵入」と。イタリアの独裁者がアフリカヘ ― 。たった一枚のビラであった。
彼は驚いた。怒った。燃えた。そして決意した。「(そのとき私は)植民地制度をたおすために私の働ける日のくることを祈った。その目的を達成するために、必要なら地獄へでも行こうと私は決心した」(K・エンクルマ著、野間寛二郎訳『わが祖国への自伝』、理論社刊)
“地獄へ行こうが、どこへいこうが、我が信念のためには、それも構わない”と。戸田先生も、この決心であられた。私もこの決心できた。環境ではない。一念が、誓いが、本当に定まっていれば、「地獄」即「寂光土」なのである。
それから十年間、彼はアメリカで真剣に学んだ。経済的には大変であった。食堂でアルバイトをしたり、靴磨きや船のボーイをするなど、働きながら勉強した。皆さんの中にも、同じような境遇の人がいると思う。若き日に苦労を積んでこそ、偉大な成長がある。"屋根裏部屋で苦学をした人のなかから世界的指導者が現れる"という。青春時代、苦労もせず、勉強もせずして、どうして、立派な「人物」が出来上がるだろうか。苦労を避けて、幸福を求めても、それは全部"幻"である。
“苦労の日々こそ楽しき日々”
ともあれ、労苦こそ大成への礎である。大統領の若き日も、労苦の連続であった。しかし、後に彼は“この時代こそ人生のもっとも楽しい日々であった”と振り返っている。私も同じ気持ちである。
彼は、理不尽な人種差別を、幾度となく経験した。彼はその悔しさを一つ一つ、心の鉄板に刻みながら、“必ずや、差別の深い霧を晴らして見せる。平等の光の中へ民衆を必ず導いて見せる”という理想を深めていった。絶対に忘れるものか!勝って見せるぞ!我が友、我が国民のために!と。
「大いなる理想への挑戦」
口にするだけなら、だれにでもできる。生涯かけて、その理想に向かって行動し、挑戦し抜いてこそ、偉大なのである。
大統領は、何ごとにも一喜一憂することなく、神経質にならず、“今は自分の力を磨くときである”と決め、自分らしく、我が挑戦の道を歩んだ。感情に流されては、道を誤る。縁に紛動されていては、大事をなせるはずがない。
偉大なる建設には、時間がかかる。焦ってはならない。粘り強く、確実に、土台をつくらねばならない。
行動こそすべて
ガーナに帰った彼は、すぐさま行動を開始した。独立運動のための組織をつくった。そして自ら率先して国のすみずみまで回り、多くの人々と対話を重ねた。私どもと共通する「勝利への行動」である。彼の持ち歩いた全財産は、洋服二着、靴二足、下着数枚、これだけであった。あとは何もない。
しかし彼には「行動」という大いなる財産があった。動きに動き、語りに語り、何百回もの演説を行ったという。行動こそすべてである ─ これが彼の心情であった。私も同じ信念で生きてきた。どういう行動をするのか、目的はどこにあるのか、その内容で人間の価値は決まる。
独立運動の広がりを恐れた権力者たちは、なりふりかまわず弾圧を加えた。抑圧されるのは「恐れられている」からである。戸田先生も抑圧された。私も抑圧されてきた。
独立運動のリーダーたちは次々に逮捕されていく。しかし、彼は悠然として、逃げも隠れもしなかった。
ある日、彼は道を歩いているところを警官に見つかる。“あっ、あいつだ!とうとう見つけた”
警官は血相を変えて駆け寄ってきた。それでも彼は、何ごともないかのように悠々と歩き続ける。その堂々たる姿に圧倒された警官のほうが、わびるように「逮捕します」と言って、恐る恐る彼の腕を取ったという。
獄中から立候補
エンクルマ青年は、獄中にあって、なお戦った。どこにいようと、何があろうと、“闘争の炎”を燃やし続けた。彼は語っている。“自由は与えられるものではない”「自由は、はげしい、力強い闘いののちに、はじめてかちとられる」(『わ(『わが祖国への自伝』)と。ただ待っているだけでは、勝利は得られない。戦わなければならない、と。どこにいても戦いである。本当に偉い人は、死の瞬間まで戦い抜く。
“刑務所の外にいる同志にメッセージを送ろう” ─ 。彼は鉛筆の切れ端を探し、トイレット・ペーパーを集めた。そして、夜、皆が寝静まったころ、かすかな光の中で、黙々と書き続け、獄吏に見つからないように、仲間へ手紙を送った。こうして牢獄にいながら、戦いの指揮を執っていったのである。
さらに彼は、なんと獄中から選挙に立候補する。常識では考えられないことであった。多くの反対もあった。しかし彼は決然としていた。“じっとしていては何も変わらない。ともかく挑戦だ!”
彼は、勇気ある名乗りをあげた。党の宣言も、牢獄から書き送った。民衆はそれを読み、彼を支持した。“囚われの身であっても、私は人間である”“私には、戦う権利がある”“何をされようとも、自分は戦う”。これが彼の気概であった。場所ではない。条件ではない。格好ではない。心一つで、大いなる戦いはできる。あるテレビ番組でも、体の障害を乗り越えて、たくましく人生を切り開いておられる方々を紹介していた。
劇的な凱旋
さて、選挙の翌朝、獄中の彼に、開票結果が知らされた。見事、圧倒的な大勝利であった。選挙に勝ち、晴れ晴れと出獄する彼を、おびただしく集まった民衆が、歓呼で迎えた。刑務所の前を埋め尽くす人、人、人の波 ─ 。
まさにガーナの夜明けを告げる光景であった。劇的な光景が、目に浮かぶようである。どうせ戦うならば、こうした劇的な勝利を迎えたい(大拍手)。三十六年前、私の出獄の際も、関西の多くの同志の方々が出迎えてくださった。私は生涯、この方々の真心を忘れない。恩を忘れない。ゆえに、一生涯、関西を大切にしていく。
「闘いは終末ほどはげしなる」
出獄から六年後、彼のリーダーシップのもと、ガーナは、ついに独立を勝ち取った。この独立を前にした苦しい時代、彼は国民に訴えている。「夜明けまえがもっとも暗いように、闘いも、終末に近づいたときに、もっともはげしくなる」(K・エンクルマ著、『自由のための自由』野間寛二郎訳、理論社刊) ─ と。
“いかなる戦いも、最後まで走り抜いた人が勝つ。悔いなき戦いを、やりきった人が勝利の夜明けを見ることができる” ─ 。これが彼の叫びである。「太陽」を昇らせねばならない。日本も新しい時代の夜明けが始まりつつある。「我らの時代」の幕開けである
さて、アミサ大使の母校であるガーナ大学は、このエンクルマ氏が、カカオ栽培の農民たちと力を合わせて創立した民衆の真心の結晶である。
若き思想家を若き行動者を
四十五年前、一九四八年の七月、このガーナ大学の開校式が行われた。その折、創立者であるエンクルマ氏は、学生たちに、こう叫んだ。
「考えよ! 懸命に勉強せよ! たゆみない努力をもって励め! 今日ほど思想家を必要としているときはないのだ ─ 偉大な思想をもつ思想家を! また、われわれは行動家を必要とする! 偉大な行動をおこなう行動家を!」(『わが祖国への自伝』)
哲学者が欲しい。行動者をつくりたい。ここにしか、国家の未来はない、と。
|