ルネサンス90
本日(一九九五年十一月十八日)は、創立の父・牧口先生の御命日でもある。
狂った軍部権力の脅迫にも桐喝にも、牧口先生は、いささかも動じなかった。
先生の悠然たる大境涯をしのぶ時、私には古代ローマの哲人(エピクテトス)が
語った話が浮かんでくる。〈春秋社刊『世界大思想全集3』所収「語録」を要約)
それは、暴君と賢者の対話である。
暴君が、居丈高に「お前の足を縛るぞ!」と脅かしてきた時、どうするか。その時、自分の足を大事に思う人問は「憐れみをかけてください。許してください」と泣く。しかし、自由な意思を重んじる賢者は、暴君に対してこう答える。
「もし、あなたの得になると思うなら鎖をつけるがよい」。
思いがけない反応に暴君は驚く。
「なんと?お前は、わしのことを何とも思っていないのか?」
賢者は応じる。「ええ、何とも思っておりませんとも!」。
暴君はいきりたつ。「わしが、お前の主人であることを思い知らせてやるぞ!」。
賢者は悠然と答える。
「どうして、あなたが私の主人であり得ましょうか。私は、もともと『自由な人間』として生まれたのです。私の主人は私自身です。
あなたが私の主人だというなら、それは、私のぬけがらの主人に過ぎません。ぬけがらがほしければ、勝手に取っていくがよい!」
暴君は、ますます躍起になる。
「お前は、わしに仕えることを欲しないのか?」
賢者は「その通り!私は欲しない。あなたを認めよというならば、よろしい台所の壷くらいには認めよう!」と。
痛快な話である。この話を伝えた哲学者(エピクテトス)は、もと奴隷であったが、学びに学び、解放されてからは教育に従事した。権力者に追放されたこともあったが、追放した者のほうが「心の奴隷」であったといえよう。
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