エレノア・ルーズベルト女史

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 青春対話2  
 エレノア・ルーズベルト女史を知っているだろうか。フランクリン・ルーズベルト大統領夫人であり、アメリカで最も尊敬されている女性の一人です。彼女は「少女の頃、病的なほど臆病で内気だった。臆病と内気に身を任せて半ば麻痺状態にあった」(エリノア・ルーズベルト著『生きる姿勢について―女性の愛と幸福を考える』、佐藤佐智子・伊藤ゆり子訳、大和書房)という。それを自己訓練によって克服した。どんな訓練か。それは、内気な人は「自分についての恐怖に取りつかれている」のだから、自分の気持ちを解放する努力をしたのです。  
 第一に、人によい印象を与えようとか、人がどう思うかとかを考えないと言うこと。自分のことを考える代わりに、人のことを考えるようにした。  
 二番目に、興味のあること、自分のやりたいことに心から打ち込み、自分を忘れること。実際、人は他人のことに注意を払ったりしない。一番の敵は、自分が自分に払っている注意だ。だから、できるだけ自分を忘れる訓練をした。  
 第三に、冒険心と経験を求める気持ちが役に立った。「人生を探求しよう」という欲求をもち続けた。この繰り返しで、女史は少しずつ自身をつけた。やがて「世界人権宣言」の推進をはじめ、歴史に残る仕事をし、なおかつ人々に愛されて人生を送ったのです。
 
 
 ルネサンス89
 アメリカのエレノア・ルーズベルト女史である(フランクリン・ルーズベルト第三十二代大統領夫人)。女史は、世界的な社会運動家、平和活動家として、今なお、アメリカでもっとも尊敬されている女性の一人である。偉大な人物は皆、「活動」している。「行動」している。平和のため、人権のために働かない人は、ある意味で「動物」と同じである。社会のため、人のために勇んで働いてこそ、真の「人間」といえよう。エレノア・ルーズベルト女史とともに、「世界人権宣言」の採択に尽力した故アタイデ総裁も、私との対談集において、女史への深い敬愛の念を述べておられた。〈「彼女は、ジャーナリストとしても立派で、その記事は、純粋で崇高な民主の精神にあふれ、民衆の幸福を願う心に満ちていました」「私たちが一「世界人権宣言」の合意に達することができたのは、ルーズヴェルト女史の熱意によるものと思います。彼女は、不眠不休の努力を続けていました」(対談集『二十一世紀の人権を語る』潮出版社刊から)〉
 エレノア女史は、綴っている。「いつ頃が女性の最盛期にあたるかは、その女性がどのように成長するかにかかってくると思います。その女性がいつも人生から最高のものを得ようと努力しているならば、たぶんどの時期も最高のものにすることができるでしょう」一『生きるしせい姿勢について:女性の愛と幸福を考える』佐藤佐智子・伊藤ゆり子訳、大和書房刊)
 つまり、「成長しよう」と努力する女性は、人生のどんな時をも、最高に輝かせるというのである。自己の成長を願わず、目先の楽しみだけを追い求める人生の、どこが幸福であろうか。あまりにも、むなしい人生であろう。
 エレノア女史が三十六歳の時、夫のフランクリン・ルーズベルトは、突然、大病を患い、半身不随となってしまう。夫も、夫の母も、深い悲しみに沈んだ。「政界から身を引いて、静かに療養した方がよい」と言う人も多かった。しかし、女史は、この苦難に屈しなかった。彼女は、夫を力強く励まし、献身的な看護を続けた。夫は政治への意欲を取り戻し、数年のうちに、政界へ復帰。そしてついに、アメリカの第三十二代大統領に就任した(一九三二年)。これは、有名なドラマである。
 
 勝利とは自分が「勝ち取る」もの
 人生には、思いもよらない苦難が、たくさんある。しかし女史は語っている。「一つが切り抜けられたら、次には何でも切り抜けられるはずではないか。立ち止って、恐怖と正面から対決する度に、人には力と勇気と自信がついてくる。そして、『この恐ろしいことが切り抜けられたのだから、次にどんなことが来ても大丈夫だ』と言えるようになる」と(佐藤佐智子・伊藤ゆり子訳、前掲書)。女史は、七十五歳を超えてなお、アメリカの国連代表などの要職を務めた。社会への貢献を貫いた彼女の生涯は、今も多くの人々の心に刻まれている。
 ともあれ、大切なのは、「自分に勝つ」ことである。"今、目の前にある苦難"に負けず、見事な勝利の劇を綴っていただきたい。    

 


 

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