エルミタージュの緞帳 輝き30
小林氏が、先日、近著を贈ってくださった。『エルミタージュの緞帳』(日本放送出版協会)という本である。一気に読ませていただいた。感銘した。小林氏は、これまでジャーナリストとして数多くの賞を受けておられる。この本も「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞した力作である。味わい深いエピソードや視点は、枚挙にいとまがない。その一つに、小林氏が取材した「ゴルバチョフ氏(当時、ソ連書記長)とアメリカのレーガン大統領との首脳会談」の秘話がある。
一九八六年。舞台は、アイスランドのレイキャビク。今後の世界の行く末を占う焦点の会談であった。皆、かたずを飲んで見守っていた。しかし、会談は、ほとんど物別れの状態で、失敗に終わってしまった。ところが、終了後に行われた記者会見で、ゴルバチョフ氏は、会談を「決裂」とは言わなかった。「将来への話し合いの第一歩だった」と位置づけたのである。この微妙にして絶妙な表現を、小林氏は聞き逃さなかった。この鋭さに重大な意味がある。小林氏は後に、この折のことを、ゴルバチョフ氏にインタビューで聞く。ゴルバチョフ氏は答えた。「記者会見場に入ったとき、異様な雰囲気がすぐにわかった。みんなに失望の顔色が見えた。『物別れ』とはとてもいえなかった。そうだ『次の話し合いへの第一歩だ』といえばいい。そう、とっさに考えた」。決裂ではない。まだ話し合いはできる。こう皆に、わかってもらおう。そのために、言葉を選び、含みのある表現をしたというのである。絶妙な呼吸である。ゴルバチョフ氏の記者会見の前、アメリカ側は「会談は決裂だった」と言っていた。しかし、この発言を聞いて、会談の評価を前向きに 修正していった。小林氏は、こうした「ちょっとした一言」の役割を見落とさない。
「冷戦が崩れていく兆しは、こんなちょっとした気配りからも始まっていた」と洞察しておられる。さすがである。ゴルバチョフ氏に関しては、私(名誉会長)も、端々の言葉から「なるほど、こう考えておられるのか」と、言外の深い思いを感じとったことが、しばしばある。「戦争を欲していない」という真情も察することができた。
「一言」が大切
事態が、いい方向へいくか、悪い方向へいくか-それは「ちょっとした一言」で決まってしまう。じつに微妙である。ゆえに、「渉外」とか「外交戦」においても「智慧ある一言」が大事である。焦点のない、だらだらした話では、何の価値もない。いわんや、傲慢な態度や、だらしない態度では笑われてしまう。
小林氏は、チェコのハベル大統領についても書いておられる。ハベル大統領には、私(名誉会長)もお会いした〈一九九二年四月、東京・迎賓館で〉。
忘れえぬ方である。東欧民主化の象徴となった「ビロード革命」(一九八九年)の中心者として有名である。小林氏は、ハベル大統領に、「過酷な獄中闘争を支えたものは、いったい、何であったか」と質問した。大統領は答えた。それは「妻の手紙」であり、もうひとつは自分の正しさへの「確信」であったと。
私は必ず勝つ!
「私がなぜ獄中にいるかわかっていたからです。私がやってきたこと、私が信じてきたことは正しい。一方、私を獄に閉じこめている側の人たちは明らかに間違いを犯している。私にはそのことがはっきりわかっていました。私が正しいために獄につながれている。こんなことは永久に続くものではないと思っていました」
“自分は正しい。間違っているのは、やつらだ!”。この「確信」で生き抜いた。戦った。こんなことが、いつまでも続くものか。必ず自分の正義を証明してみせる!”と。お会いした大統領は、じつに柔和な方だったが、内に燃える情熱は熱い。なぜ迫害されるのか。正しいことをしているからである。正しいからこそ、悪から迫害され、嫉妬されるのである。
小林氏ご自身、ジャーナリストとして、万般にわたって、「こんなはずはない!」「こんな道理に合わないことが、長く続くはずはない」という感覚を大切にしてこられた。また、ロシアの大地には、共産主義の独裁のもとで、「こんな時代が長く続くはずはなどと確信して、危険を恐れず、偉大な芸術文化を守り抜いた人々がいた。小林氏は、そうした隠れたドラマにも光を当てておられる。こういう人々の「偉さ」を、永久に伝えていきたい」。
小林氏の思いは、本の題名である「エルミタージユの緞帳」にも表れている。〈緞帳には、革命政権が倒したロマノフ王朝の紋章がある。王朝のすべてを抹殺した共産主義独裁の約七十年間、この美術品はどう生き延びてきたのか。誰が守り続けてきたのか。作業した人々は何を思ったのか-それらの秘話がつづられている〉
「毎日、新しい人に会おう!」
小林氏が、ジャーナリストとして出発して以来、目標としてこられたことは何か。それは「直接、人に会って取材をする」ことであった。当然のことのように思う人もいるかもしれない。しかし、この当然のことが、あまりにも実行されていないのが現状なのである。会いもしないで、その人のことを書く ─ それが「ジャーナリスト」と言えるだろうか。小林氏は、また「毎日、誰か、新しい人に会う」 ─ これが私の目標ですと書いておられる。「新しい人」に会えば、自分が開かれる。何か刺激があるし、進歩がある。
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