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「ガンジー、キング記念式典」へのメッセージ
輝き37
マハトマ・ガンジーが、南アフリカで人権闘争を展開していたときの有名な話である。悪名高い「アジア人登録法」と彼は戦った。
〈1907年の制定。8歳以上のインド人は、指紋を押捺して登録し、つねに証明書を所持しなければ「居住権」を奪われた。違反すれば罰金、投獄、国外追放になった〉 悪法の廃止を目指したガンジーは、まず、州政府の権力者である将軍のもとに行って、こう語った。
「私は、あなたの政府と戦います。このことを告げにきました」
本当に「勇気」がある。こうでなければ戦いはできない。
将軍は、ばかにして笑った。
「君は、それを言うために。わざわざ、ここにやってきたのか!ほかに、まだ何か言いたいことはあるのか?」
「あります」。ガンジーは、きっぱりと言った。「私は勝ちます!」。
何と素晴らしい一言か。彼は結論を先に決めていた。一念の中では、すでに勝っていた。驚いた将軍は、たずねた。
「勝つ?どうやって勝つのだ?」
敵の将軍に向かって、ガンジーは、にっこり笑って答えた。
「あなたに手伝ってもらって勝つつもりです」
この宣言どおりに、ガンジーは将軍を結果的に“味方”に変えていった。高潔な「人格」の力で。「勇気」の力で。そして、ついには、この悪法を撤廃させたのである。これは歴史的事実である。〈投獄をも、ものともしない非暴力闘争の結果、1914年に「インド人救済法」が可決した〉
この大胆さ。この気迫。この朗らかさ。愉快さ。これが、真の「革命児」である。わが「創価の革命児」「新世紀の革命児」も、こうあっていただきたい。
「物事は、初めはきまって少数の人によって、ときにはただ一人ではじめられるものである」(『わたしの非暴力』、みすず書房)
「数の力は臆病者が喜ぶところである。勇敢な人は、一人戦うことを誇りとする」(『私にとっての宗教』、新評論)
輝き36
「ガンジーはなぜ勝利したか」
インドの大英雄ガンジー。彼は、なぜ勝利できたのか?
弟子であるラダクリシュナン博士(インド・ガンジー記念館館長)は言われた。
「それは『なにものも恐れなかった』からです」。「恐れない」ことが最高の幸福である。何があろうと恐れない。それが仏の境涯である。ガンジーは言った。
「真理のために苦しむことを避けるな。信念を守るために立ち上がり、戦うことを恐れるな」
私どもも、“妙法という大真理”を求め、究めるために、苦労を避けてはならない。
「恐怖は、マラリヤや黒熱病よりも恐ろしい病気である。マラリヤや黒熱病は、体を蝕む。しかし、恐怖は精神を蝕む」(ガンジー)
精神が蝕まれたら、負け犬のような人生になってしまう。そうなれば、相手はもっと吠えたてる。ゆえに、恐怖ほど愚かなものはない。醜いものはない。恐怖に苦しむことほど無意味なことはない。
私も、申し上げたい。
「友よ、恐れるな!迫害を恐れるな。うそつきを恐れるな。嫉妬の攻撃を恐れるな。卑しき最低の人間たちの何を恐れることがあろうか!」と。
ガンジーは言った。
「精神性の最大の要素は『恐れない心』である」
ガンジーは、自分が何ものも恐れなかっただけでなく、民衆にも「勇気」を吹き込んだ。「恐れるな!」「獅子になれ!」。
ガンジーは喝破した。
「民主主義とは、人間が羊のように振る舞うことを言うのではない」
本当の民主主義とは、一人一人が「不屈の信念」をもち、「哲学」をもち、正義のために立ち上がるところにある。これこそ創価学会である。
輝き36
「悲しみがあるから高く舞える」
今年(1998年)は、ガンジーの殉難五十年。ガンジーは、無くなる三ヵ月前に、こんな詩を残した。いわば、ガンジーの遺言になった詩である。
「束縛があるからこそ
私は飛べるのだ
悲しみがあるからこそ
高く舞い上がれるのだ
逆境があるからこそ
私は走れるのだ
涙があるからこそ
私は前へ進めるのだ」
深い意味の詩である。仏法で言えば、「煩悩即菩提」の法理に通じる。
ガンジーは、何度も何度も、牢獄につながれた。
〈生涯を通算して、約六年五ヵ月を獄中で過ごした〉
しかし、束縛されるたびに飛躍した。より高き峰へ。「私は跳べるのだ!」と。
釈尊の教えを政治上に「実験」
ラダクリシュナン傅士は、大事なことを語っておられた。
「ガンジーの闘争は、釈尊の闘争の再現です」「ガンジーは、釈尊のメッセージに基づいて、政治的な実験を行ったのです」と。
ガンジーと釈尊は、深い次元でつながっている。
「(ガンジーがしたことは)釈尊の教えの『近代的な再解釈』であった」と博士は断言しておられる。創価学会の場合は、日蓮大聖人の教えの「現代的な再解釈」と、その実践である。だから偉大なのである。
ガンジーは主張した。「仏教は人間中心の宗教である」と。当然のことだが、ガンジーは仏教徒ではなく、ヒンズー教徒であった。文化も生活も、すべてがヒンズーの土壌の上に成り立っていた。にもかかわらず、彼は、「仏教は人間中心の宗教である」と、賛嘆してやまなかった。そして「インドは、(釈尊の教えを受け入れたから没落したのではなく)釈尊の教えを実行できなかったから没落したのだ」と語ったのである。〈一九二四年、ボンベイでの釈尊生誕記念集会で)
僧侶は迫害する
またガンジーは、釈尊が当時の「精神なき坊主ども」に追害されたことを重視していた。そして、「僧侶というものは必ず『生きた精神をもった予言者』を犠牲にするものだ」と嘆いた。
「精神なき利己主義の坊主」が「生きた精神をもつ指導者」を追害する。なきものにしようとする。これが人間の世界の法則である。今の日顕宗がそうである。
「理念なき政治は罪悪である」
ガンジーは、「釈尊の精神」に墓づいて政治をしようとした。ガンジーは固く信じていた。「理念なき政治は罪悪である」と。彼の舌鋒は鋭く、激しかった。「宗教なき政治は『死体』のようなものである!生命を失ったシステムである!」。
深き人間観、世界観、宇宙観、社会観をもたない人間が権力をもつと、何をするか。結局、「自分のため」だけの利己主義の政治屋になる以外にない。「民衆のため」など、口先だけになってしまう。そんなものは「生きた政治」とは言えない。「死体」のように腐っていくと彼は言うのである。
権力の魔性が民衆を犠牲に
多くの政治家は「宗教を政治に利用しよう」とする。
多くの宗教家は「政治を宗教に利用しよう」とする。しかし、ガンジーは、そのどちらでもなかった。当然、宗教と政治は別次元のものである。そのうえで、彼は「宗教の精神性を、政治に反映しなければならない」と考えたのである。
そうでなければ、政治は権力の魔性によって、民衆を犠牲にし、社会を滅亡させてしまう。
ガンジーは言った。
「宗教の欠如した政治は、国家の首を吊るロープであります。いつの場合も、政治は宗教の説く真理の道に従って進むべきであり、一方、政治を忌み嫌う宗教は、宗教の名にさえ値しないものです」(池田運訳、前掲書)
宗教なき政治は、回を滅ぼす!と。
そして宗教は、本当に民衆を幸福にするつもりがあるのなら、現実の社会にかかわれ!政治にかかわれ!と。
ガンジーと正反対のことを主張していたのが、ヒトラーであった。
「宗教は政治に口を出すな!」と主張して、口を封じた。その結果、ドイツは、まっしぐらに国家主義の道を突き進んだ。
日本の国家主義も同じであった。政府を批判する宗教者を投獄し、死に至らしめた。牧口先生、戸田先生は、その犠牲である。
ラダクリシユナン博士は、十八世紀のイギリスの学者、サミュエル・ジョンソン博士(一七○九〜八四年)の言葉を引いておられる。
「国家主義は、悪党の最後の避難所である」
今また、「自由」を弾圧する国家主義が強まっている。「ガンジーの道」と「ヒトラーの道」。どちらが正しいか、言うまでもないと思うが、どうだろうか(大拍手)。
「反逆は『嫉妬』と『虚栄』の醜態」
スペインの作家セルバンテスは言った。
「忘恩は慢心の落とし子である」(『ドン・キホーテ』)
ある哲人いわく「反逆は、嫉妬と虚栄の醜態なり」。悪人、愚人を笑い飛ばして、我らは進みましょう!
日蓮大聖人は「開目抄」に仰せである。
「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」(御書二三七n)
強さは意志の力
博士に教わった、ガンジーの箴言を紹介させていただきたい。
「善に協力するのは義務である。と同時に、悪への協力を拒否するのも義務なのである」
「強さは“肉体的な力”からくるのではない。それは“不屈の意志”から生まれる」
「未来は、“今、我々が何を為すか”にかかっている」
「私は固く信じている。すべての善の行動は、最後は必ず身を結ぶ」
「『正義』は実現する。私たちの存在と心が、十分に強くなったときに」
「心からの祈りによって、成し遂げられないものは、この世界にない」
「行動に移さなければ、いったい、何が信仰なのか?」
「私の信仰は、計り知れない闇のなかでこそもっとも輝く」
輝き36
かつて、ガンジーのもとに、ある政治家たちが、閣僚就任のあいさつにやってきた時のことである。
新しい大臣たちは、ガンジーから祝福されることを期待していた。しかし、ガンジーは、お世辞など、言わなかった。それどころか、峻厳に戒めた。
「今日かぎり、あなたがたは荊棘の冠をかぶらなければなりません。・・・・権力に心してください。権力は人間を堕落させます。権力の華麗さや虚飾の虜にならないようにしてください。あなたがたはインドの農村の貧しい人びとに奉仕する任務を担っていることを、忘れぬようにしてください」と。(K・クリバラニー著『ガンディーの生涯』森本達雄訳、レグルス文庫)
このように、厳しく指導してくれる師匠の存在こそが、権力の魔性にうち勝っていくための「強さ」と「正しさ」の源泉なのである。
輝き28
このほど、皆さま方の祈りに包まれて、韓国を訪問した。
その折、韓国SGIの本部に、インド独立の父ガンジーの立派な像が設置され、晴れやかに除幕の式が行われた。
これは、一九三〇年、有名な「塩の行進」で、颯爽と歩くガンジーの姿をかたどった素晴らしい像である。
当時、インドは帝国主義の支配下にあった。インドに君臨していたイギリスは、塩に“高い税金”をかけて専売していた。インドの人々が“自分たちの手で「塩」をつくりたい”と思っても、認めなかった。
ガンジーは、その横暴に真っ向から挑戦した。
偉大な人は権力と戦う。弱い立場の人に対して、威張るのが「強い人」なのではない。一番強い相手、傲慢な相手、権力者、庶民を見下す悪人たちと戦ってこそ、「強者」であり、「勇者」である。
ガンジーは「塩づくり」のために、はるかな海岸へ向かって、七十八人の弟子たちとともに、「大行進」を開始した。二十四日間で、約三百八十七`を歩き通した。
ガンジーは、「塩」という最も身近な品を、独立へのシンボルとした。
その明快な、わかりやすさに、民衆は一日ごとに、続々と行進に加わっていった。〈到達するころには、数千人にのぼった〉
ところで、ガンジーが晩年、大切にして読んでいた「法華経」は、日本人とヨーロッパ人の共同で編集され、一九〇八年、ロシアで出版されたものである。
そのガンジーが読んだものと、まったく同じ版の「法華経」を四年前(一九九四年)、インド文化国際アカデミーの理事長であるロケシュ・チヤンドラ博士が、私にに贈ってくださった。世界的にも、貴重な一書である。
かつて、ガンジーに「法華経」を贈ったのは、ほかでもない、チャンドラ博士の父君である故ラグ・ヴィラ博士だったのである。世界的な東洋学者であられた。
妙法は宇宙の“拡大の根源力”
「法華経」の意義
チャンドラ博士は、私にこの「法華経」を贈る意義を、こう語ってくださった。「この『法華経』は、マハトマ・ガンジーと池田大作氏がともに体現する『天賦の特性』が奏で、永劫に呼応し合う韻律そのものなのです」。
“ガンジーと同じリズムを奏でている”と、詩的に表現してくださった。大変、光栄なことである。
さらに博士は、ガンジーについて、次のような貴重なエピソードも紹介してくださった。
博士いわく、「一九三○年代の半ばに、マハトマ・ガンジーは、彼の道場の祈りに『南無妙法蓮華経』の題目を取り入れました。ガンジーは、『南無妙法蓮華経』が、『人間に内在する宇宙大の力の究極の当体』の表現であり、『宇宙の宇宙の至高の音律が奏でる生命』そのものであることを覚知していました」と。非常に重要な話である。正しい話と思う。
ガンジーは、チャンドラ博士の父君、ラグ・ヴィラ博士に、「南無妙法蓮華経」の意味を尋ねた。
ラグ・ヴィラ博士は、日蓮大聖人について書かれた日本の仏教学者の本を読み、そこから、題目の歴史的背景と、七支字の漢字の字義(宇の意義)を、ガンジーに説明した。「『南無妙法蓮華経』は、森羅万象を形成し、発展拡大させゆく根源の存在である」と語られた伺っている。
声なき民衆の代弁者として
ところで、ガンジーは、こう語っている。
「おそらく今日、わたしほどインドを隈なく歩いた者はおりますまい。そして、この国の声なき民衆が、わたしのうちに彼らの友や代言者を見いだしたのです。わたしの方も、一人の人間としてできうるかぎり、彼らの中に入ってまいりました。わたしは彼らの目に信頼のまなざしを読みとりました」(『わたしの非暴力』森本達雄訳、みすず書房)
ガンジーは、インドの大地を、歩いて、歩いて、歩き抜いた。我々の広宣流布の行動と同じである。「一人の人間」として、民衆の中へ入り、会い、語っていった。それまで、多くの指導者に失望していたインドの人々。しかし彼らは、ガンジーの中に、「真の友」を見出した。自分たちの本当の気持ちを、大きな声にして語ってくれる「代弁者」を見出した。
会って話せば、心が通じる。本当に正しい話であれば、民衆は信頼してくれる。
“この人だったら「一緒に平和を築ける」「一緒に幸槽の世界ができる」”と。
上から見おろすのではなく、自分が歩いて、人に会わなければいけない。
青春対話2
インドの父マハトマ・ガンジーも、その好例ではないだろうか。
彼は少年時代から、ともかく並はずれた恥ずかしがりやで臆病だったという。夜、眠る時は「こちらから幽霊が、あちらからは泥棒が、そして向こうから蛇がやってくるのではないか」と怯え、明かりがなければ寝床にも入れなかったそうだ。
内気で、いつも、だれかに、からかわれはしないかと恐れていた。彼は、この性格に長年苦しんでいる。
あの、何ものも恐れぬガンジーの勇姿からは、想像もできませんね。
ただし、ガンジーさんのために弁護しておきたいが、そのころから“曲がったことはイヤだ”という正義感は強かったらしい。
イギリス人の視学官が授業を見に来た時のこと、視学官は、英語の「kettle 」(やかん)のつづりを書きなさいと命じたが、ガンジーは間違えてしまう。教師が彼の間違いを見つけ、横の生徒のつづりを写すよう、そっと合図した。でもガンジーにはカンニングをするという発想がなかった。その結果、彼一人が、つづりを間違えたのです。
(頑固なまでの正義感 ― これは一生、変わらなかったのですね。)
とはいえ、弁護士になっても、内気な性格は直らない。
ようやく裁判の初仕事の以来があったが、ガンジーは、自分が相手の証人に反対尋問する番になると、緊張して、“頭がふらふらし、法廷が揺れ動いているように思え、話す内容も全く忘れて”部屋から出ていくありさまだったのです。
南アフリカ共和国を訪れた時、転機が訪れる。インド人は差別されていた。列車でガンジーが一等車に乗ると、白人が鉄道員を連れてきた。「貨物車へ移れ!」。ガンジーは動かなかった。すると、車外へ突き出されてしまった。駅の暗い待合室にも、一人の白人がいて、その姿にガンジーは怯えたそうだ。そこで一晩考え込んだのです。「インドへ帰るか、それとも、ふみとどまって苦しみに耐え、権利のために闘うべきか」。
その時、ガンジーは思ったのです。同じように差別されている人々を見捨てて逃げ出すのは卑怯だ ― と。「差別されている人を救おう」との目的に立ったこの時から、自分の性格への彼の挑戦が始まったのです。
南アに結局、二十年とどまり、ようやくインド人の権利を勝ち取る。そしてインドへ帰り、祖国の独立も非暴力でなしとげたことは有名です。
ガンジーは、どこかで「人間はなろうと思った通りの人間になれる」と言っている。一念の力です。
ルネサンス39
「あなたがたは、他人にたよることをやめた瞬間から、自由です。この自由 ― それこそが唯一の真の自由です ― だけは、なんびともあなたがたの手から奪うことはできません」(K・クリバラニー著、森本達雄訳、『ガンディーの生涯』下、第三文明社刊)
ルネサンス75
パンディ悼士は、訪問団に感動的なスピーチをしてくださった。そのなかで、気高きインドの魂を物語るエピソードを話されている。
― ある地方で、ガンジーの指導のもとに、非暴力の独立闘争がなされていた。
民衆の「抗議の行進」に対して、権力側は“十分以内に解散せよ”と命令した。
しかし民衆は従わない。屈しない。絶対に戦いをやめなかった。学会精神と同じである。
やがて軍隊は、卑劣にも、武器を持たない民衆に一斉に発砲した。
人々は倒れた。次々と、実に四百五十五人もの生命が奪われたという。
ガンジーは信じた「我が同志は敵に背中を見せぬ」
ガンジーは、その知らせを聞いて、言った。
「もしも、背中に銃弾を受けた死体が一つでもあるならば、私に見せてくれ」と。
敵に背中を見せるような人間は一人もいないはずだ。最後まで前へ前へと進み続けたはずだ。私は信じている、我が同志を、我が民衆を ― というのである。痛切な一言であった。
事実、倒れた人は、すべて胸に銃弾を受けていた。
「これこそが非暴力の神髄です」とパンディ博士は語っておられる。何ものも恐れぬ勇気をもって、人々は戦ったのである。独立と自由のために犠牲になることを誉れと信じて戦ったのである。
状況がどうであろうと、敵に向かって、一歩も避かない。一瞬もひるまない。最後の最後まで、「撃つなら、撃て」「殺すなら、殺せ」と、ひたすら前へ進んだ。
その「勇気」自体が、一時の勝ち負けを超えた、根本的な「勝利」であると私は思う。
ルネサンス75
「心」に「心」で応えるのが仏法者である。それは官僚主義と正反対の世界である。
聖教新間でも紹介されたが、ガンジーのこんなエビソードが語られた。
ある重要な会議を前にガンジーは着席していた。しかし、何かそわそわした様子で、あたりを見回したり、机の下をのぞいたりしていた。
「何か、おさがしですか」。ある人が間くと、ガンジーは「鉛筆をざがしているの
だ」。それではと、その人はガンジーに自分の鉛筆を渡した。
すると「その鉛筆は、私のさがしている鉛筆ではない」。これから大事な会合が始まろうというときに、どうしてこんな小さなことにこだわるのかと不思議だった。
「どうして、この鉛筆ではいけないのですか」「その鉛筆ではだめだ」。ガンジーは強く言った。
しかたがないので一緒に机の下をさがした。やっと見つかったのは、三センチほどの、ちびた鉛筆だった。
ガンジーは説明した。
「私が以前、独立運動を呼びかけ、援助を求めて各地を演説して回っていたとき、ある会場で一人の少年が、この鉛筆を私に寄付してくれた。
子供にとって大事な鉛筆を、独立運動のために差し出してくれたのだ。そんな一人一人の国民の『思い』を忘れて、私の政治活動はあり得ない。
こうした一人の少年の『心』を忘れて、いくら政治を論じたところで、それは空論にすぎないだろう。この気持ちを私は捨てることはできないのだ」
たった三センチの鉛筆。しかしガンジーにとって、それは「少年の真心」そのものであり、かけがえのない「宝」であった。
「真心」に「真心」で応える。これがガンジーの「宗教」の実践であり、同時にガンジーの「政治」の魂であった。
どちらも徹底した人間主義に貫かれていた。
輝き6
十五歳の乙女に、長文の激励を
さて来日に際し、女史は、あのマハトマ・ガンジーのまことに貴重な直筆書簡を持参くださった。それは、女史の母君(L・メータ女史)が、牢獄のガンジーから受け取った手紙である。手紙の日付は一九三三年(昭和八年)二月二十一日。この時、ガンジーは六十三歳。女史の母君は、十五歳の乙女であった。乙女の両親は、独立運動の闘士として、ガンジーとともに戦っていた。当時、ガンジーは、プーナーモンバィ(旧ボンベイ南東の都市)のヤルヴァダi刑務所に捕らわれていた。正義の人を苦しめようという弾圧であった。
一番苦しんだ人を一番幸福に
しかし、獄中にありながらガンジーは、「歴史上、最大の社会改革運動の一つと評価される、新たな闘争を起こしていたのである。すなわち彼は、カースト制度によってもっとも差別されている人々の解放を目指す組織を創立した。
そして、新たな機関紙「ハリジャン」を創刊した。「ハリジャン」とは「神の子」という意味である。そこには“もっとも虐げられてきた人々こそ、もっとも尊重されねばならない”との叫びが凝縮している。そうした歴史的な戦いの渦中にあってガンジーは、一人の乙女のために、長文の励ましの返書を書き送ったのである。
青年を育てたい!青年の心に未来の勝利の「種」を蒔いておきたい!これが真実の指導者の行動である。
その手紙は、グジャラート語という言葉で綴られている。ガンジーはじつに気さくである。「私のような田舎者には、あなたの気取らない文章が、とても心地よいです」と語りかけている。またガンジーは、乙女からの相談に誠実に応えながら、こう語っている。
「あなたが決断したことについて、私には何とも言えません。結果を見て初めて、称賛されるべきかどうかがわかるということだけ、言っておきます」と。厳しくも深き信頼の言葉である。大事なことは、よき結果を出すことである。ひとたび決めたならば、断じて結果を出す。それをガンジーは、じっと見守っていたのである。
瞬間、瞬間を最高に充実させる法
ガンジーは、その際、「時間を無駄にせず、よく考えて使いなさい」とも教えている。かけがえのない人生の「時」を、いかに使い、いかに価値創造していくか。「時」をはずしてはならない。「時」を逃してはならない。仏法は「一念」という瞬間瞬間の生命に、最大の焦点を当てている。「如来」とは、「如々として来る」というごとく、瞬間瞬間の躍動の生命をも意味する。一切が、瞬間で決まっていく。この瞬間瞬間を最高に充実させて、すべてをいい方向に、いい方向にと向け、活かし、前進していく力が信心である。そしてガンジーは、乙女の若き生命に刻みつけるように記している。「どんな苦境にあっても、獅子の心をもてば、必ず道は開ける」と。素晴らしい言葉である。
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