犬丸徹三

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 輝き3
 ある日本最高級のホテルの土台を築いた方の話である。〈以下、『私の履歴書第十二巻』所収、犬丸徹三氏の章から、日本経済新聞社〉明治の終わりに、大学(一橋大学。当時、東京高等商業学校)を出た。当時は、不況であった。しかも、どの分野でも、薩摩閥、長州閥で占められていた。今でいえば、学閥などであろう。やっと、ある中国大陸のホテルに入った。ドアボーイから始めた。しかし、客に、もみ手をして頭を下げる自分が、みじめに思えてしかたがなかった。上海のホテルに移ってからも、下働き専門。ところが、ここでは中国革命の父・孫文がかわいがってくれて、「よし頑張ろう」と思った。偉い人は、どこまでいっても偉い。目立たない下働きの人のことまで、よく見ている。また、外国人に対しても、へだてなく温かく、激励する。
 しかし、困ったことが起きた。母校の同窓生が文句を言ってきたのである。「今、君がやっているような仕事は、わが栄光ある母校の名前を汚すものである!」(趣意)と。これには苦しんだ。しかし耐えた。
 
 そして、さらに修業のためにロンドンヘ。しかし、ここでは、窓ガラスふきしかさせてくれない。汚い仕事だし、危険もある。だんだん空しくなってきた。このホテルに、もう一人、初老をすぎた窓ガラスふきがいた。彼は、毎日、黙々とガラスをふいている。ある日、聞いてみた。「君は毎日、こんな仕事で、満足しているのか」。半ば、からかうような気分で聞いたのである。すると男は、黙って廊下の窓を指さした。右の窓は、まだふいていないので、ホコリまみれ。左の窓は、きらきらして美しかった。「青年よ、両方を比べて見よ。ふけばきれいになる。きれいになれば、私は、それだけで限りない満足を覚えるのだ。自分は、この仕事を一生の仕事として選んだことを、少しも後悔していない!」(趣意)
 青年は打ちのめされた。そして翻然と語った。「ああ、何という立派な態度であろうか」。己の仕事に、これほどまでに誇りをもっている。何という美しい人生であろうか─ と。青年は、これ以後、どんな職場に移っても、この心で貫こうと、決めた。そして、その働きぶりを認めた人から愛され、立派なホテルマンに成長していったのである。一、諸君も、初めから、思い通りの職場にいけるとは限らない。しかし、どこであれ、「そこで光る」ことである。どんな小さな仕事でも、ぴかぴかに輝くくらいに、仕上げることである。その人に信用ができる。その人が一流になる。一流と言われる会社にいる人が、一流なのではない。「一流の人間」が働いている会社こそ、どこであれ、何であれ、一流なのである。
 
 いざという時、人物がわかる
 青年が日本で、ホテルの新館を開業した当日〈大正十二年(一九二三一九月一日)、関東大震災が起こった。こういう、いざという時に、人物の器が明らかになる。
 彼は被災者に無料で部屋を開放し、借金までして食事の炊き出しをした。外国人を皆、受け入れて、決死の覚悟で働き、日本の信用を大いに高めた。
 青年時代の苦労こそが、人物を深く、強靱なものにするのである。「その場で光れ!」「その場で自分を鍛えよ!」。一人一人が、自分を壮大な城のごとき人間に碧き上げてこそ、「人材の長城」はできる。        

 


 

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