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カミュ
それは、一九三〇年(昭和五年)十月のことである。
「世界の文学史上、まことに希有な師弟」と謳われる二人が出会った。
師は、フランスの国立男子高等中学校の青年の哲学教授ジャン・グルニエ。弟子は十六歳の学生アルベール・カミュであった。
カミュは、ナチスと勇敢に戦った正義の言論の闘士であり、ノ、ベル文学賞を受賞している。
戦争で父を亡くし、母も病気がちだつた。家は貧しかった。カミュ自身も、青年時代、当時「不治の病」とされた結核に冒された。
血を吐いて、自宅での静養を余儀なくされた。
孤独と不安に苦しむカミュのもとに、グルニエ教技は自ら足を運んで、お兄舞いに訪れた。それが二人の決定的な出会いとなったのである。
教授が学生の見舞いに行く ― それは、当時の一般の習慣では考えられないことだった。
カミュは、恩師の真心を生涯、忘れなかった。のちに作家として有名となったカミュは、恩師に深い感謝の手紙を書き送っている。
「あなたがベルクールに訪ねてくださったときのことを覚えています。いまでもまだあのときのことはこと細かに脳裏に浮かんできます」(『カミュ=グルニエ往復書簡』大久保敏彦訳、国土社)
教員の励ましの行動、慈愛と勇気の言葉が、学生にとって、どれほど力になるか計り知れない。
私(名誉会長)も小学四年生の時に、体を壊し、幾日も学校を休むことがあった。
その時に、担任の先生が、わざわざお見舞いに来てくださった。温かく激励をしてくれ、母も心から感激した。
「この御恩は、一生、忘れてはいけませんよ」と強い口調で、私に語った。
その時のすべてが、私の脳裏に刻まれ、今もって消えることはない。
尊く深い人生の思い出として、今もって、その時のことを、うれしく懐かしく思い返すのだ。また、幾たびも幾たびも思い返してきた。
グルニエ教授は、青年とともに、トルストイなど世界の文学や哲学について大いに語り合った。労を惜しまず、学生が喜んで学べるよう、言論の力をつけられるよう、成長の機会をつくっていったのである。カミュは、グルニエ教授への敬愛をこめて述べた。
「かれ(教授)と二時間一緒に過ごすと、ぼくはいつも心が豊かになる」(H・R・ロットマン著『アルベール・カミュ』大久保敏彦・石崎晴巳訳、清水弘文堂)
若き精神は、よき教育者との心の交流を通し、大いなる希望と充実感をもって、豊かな才能を伸ばしていくものだ。
教授の教えを受けた若きカミュ。彼は教授に、こう書き送った。
「もし自分にしなければならないことかあるとすれはそれは私の同胞が私がもっている最良のものを与えること、つまり彼らを嘘から護ることであるとやっと気がつきました」(同)
カミュは社会に打って出た。名作を次々と書いた。そして、言論をもってナチスなどの邪悪と戦い、正義のため、人間の友愛の連帯のために奔走していった。
その陰には教授の絶え間ない励ましがあった。教え子が成長し、自分よりも偉くなって、正義の信念の道を歩み始めたことを、心から喜び讃えたのである。(「希望の世紀へ」)
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