ルネサンス99
カザルスは、人種や思想のゆえに迫害されている人を見ると、絶対に黙っていなかった。そうした人々を、厳選と守る「勇気の人」であり、「正義の人」であった。
“人権への野蛮な圧政を許してはならない。民主主義が権力を監視し、正していかねばならない”―カザルスは、これしかないと主張した。それこそが「文明の勝利」であると考えた。
ゆえに、祖国スペインのフランコ政権によるファシズム独裁や、ナチス・ドイツに敢然と抵抗し、チェロと指揮棒を手に世界中を駆けめぐった。〈カザルスは、こうした演奏旅行で得た収入の大部分を、反ファシズム勢力の援助にあてた〉
祖国であろうと、いな祖国であるゆえに、「こんな国に、いることはできない!私は文化の闘士として世界を回る。チェロと指揮棒さえあればよいのだ!」
おそらく彼は、このような気概であったにちがいない。
彼は、正義を攻撃する悪とは絶対に妥協しなかった。徹底して戦った。このように教育し、彼の生命に刻みつけたのは、彼のお母さんであった。
母親の信念が大事である。信心の世界においても、母親の信心が立派な家庭は、子どもも立派に育っている。
彼は語っている。
「人間性の尊厳に対する侮辱は、私への侮辱だ。不正に抗議することは良心の問題なのだ」(井上頼豊著『カザルスの心―平和をチェロにのせて』岩波ブックレット)
外からの圧迫が、あればあるほど、内なる生命力を奮い立たせて立ち向かっていく。これが青年である。
ちょうど60年前の1936年7月19日、カザルスは、祖国スペインで行われる「世界平和のための祭典」で指揮をすることになった。
〈ナチスによるベルリン・オリンピックに反対して開かれた「人民オリンピック」〉
曲は、ベートーヴェンの「第9」(第9交響曲)である。
ところが、その前日(7月18日)のリハーサルの真っ最中、突然の知らせが入る。(会場はバルセロナのカタロニア音楽堂。ちょうど第3楽章が終わり、まさに合唱が始まるところだった―以下、井上頼豊著、前掲書、コレドール著『カザルスとの対話』佐藤良雄訳、白水社を参照〉
「反乱軍(ファシストの軍隊)がこの地を攻撃しようとしている。明日は公演できないだろう。一刻も早く、全員ここから避難してほしい」―。
驚きの知らせ。だが、カザルスは、厳然と皆に呼びかけた。
「今、別れたら、われわれは、いつまた会えるかわからない。別れる前に、最後まで演奏しようではないか」。すると全員が、次々に賛同の声をあげ始めた。
「そうだ!」「賛成!」「賛成!」と。そして再び、演奏を始め、あの「歓喜の歌」を力強く歌い上げていった。それは、暴力に屈しない文化の象徴であった。
「われわれの“魂の響き”が、最後に勝のだ!」との叫びであった。心打つ、名画のごとき場面である。このような心意気に、本当の創価学会の息吹もある。
ともあれ、ひとつ間違えば、パニックになりかねない緊急事態であった。
しかし、指揮者カザルスの「勇気の一言」が皆の心にも勇気を吹きこみ、皆の心を一つにしたのである。指導者の「勇気の一言」がどれほど大事か。「智慧の力」がどれほど必要か。 カザルスは、生涯、民衆とともに、民衆の中で生き抜くことをモットーにしていた。彼は言う。
「私は庶民の中で育ち、庶民といつも一体だった」(井上頼豊著、前掲書)
「私は決して自分の貧しい生まれを忘れない。そしていつまでも、故郷の同胞たちのそばに立ちつづけるつもりだ」(同)
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