キング牧師

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 「ガンジー、キング記念式典」への名誉会長のメッセージ 輝き60  
 (2000年4月2日/米国モァハウス大学)  
 キング博士「道義の力」が現実を変える本日、「精神の目覚め」のための集会にお集まりの皆さまに、私どもSGIは謹んで「敬意」と「賞賛」と「連帯」のメッセージを送らせていただきます。一九五五年以来、皆さまの運動は「物質に対する精神の勝利」を力強く世界に示してくださいました。キング博士に率いられた「非暴力」の戦いは、暴力と策謀に満ちたこの世界にあって、「道義の力が現実を変えられる」ことを証明してくださいました。皆さまは「人間がつくった課題は、必ず人間が解決できる」実例を、ミケランジェロの彫刻のごとく、歴史に永遠に刻んでくださいました。私は、ローザ・パークス女史と、アメリカ創価大学で「ウィ・シャル・オーバーカム」を一緒に歌いました。私は、来日したマンデラ大統領と「正義は必ず勝つ!」と語り合いました。そして今、私は皆さまとともに、叫びたいのです。『人権』に向かう人類の進歩に逆らう人々は、今、どんなに栄えていても、夕陽がしずように沈んでいく。反対に、苦しみに耐え、抑圧と戦い抜いてきた民衆こそが、、永遠にわたる『勝利と歓喜の旭日』を浴びていくのだ!」と。  
 正義・真実・忍耐・自由を知る人「正義」とは何でありましょうか?  
 それがわかるのは、罪なくして迫害され、追放されてきた人々だけであります。それが皆さまです。  
 「真実」とは何でありましょうか?それがわかるのは、巧妙につくり上げられた「嘘という暴力」に取り囲まれ、殴打されてきた人々だけであります。それが皆さまです。  
 皆さまは、人間としての「平等な扱い」を求めただけで、そして抑圧されている人々に手を差しのべただけで、脅迫され、安全を失い、職を失い、愛する人の命さえ失ってこられました。  
 「忍耐」とは何でありましょうか?それを知っているのも皆さまです。忍耐の限度を超える仕打ちを受けて、それでも耐えて、非暴力という「魂の光線」を闇の社会に送ってこられた皆さまだからです。  
 「自由」とは何でありましょうか?それを知っているのも皆さまです。自由の価値がわかるのは、「不自由である」と叫ぶ自由さえ奪われてきた人々だけだからです。圧政者は、そして情報を特権者が管理する社会は、「自由の歌を強制的に歌わせる」こともできるからです。  
 皆さまの、戦いの四十五年は、あらゆる少数者のグループに勇気を与えました。差別されてきた女性に勇気を与えました。公害反対の運動に勇気を与えました。大学の改革に勇気を与えました。独立したアフリカの前進に勇気を与えました。世界に人権の波を高め、私たちにも勇気を与えてくださいました。私たちSGIもまた、「社会で一番抑圧されてきた人々が、一番幸福にならなければならない」という信念で進んでまいりました。  
 インドの釈尊は、病気の人がいれば自ら看病し、弟子にも看病させました。そして教えました。「病めるこの人に仕えよ。それが仏に仕えることになるのだ」と。悩める人への奉仕にこそ、仏教の真髄があります。釈尊の精神を再興した日本の日蓮大聖人は言いました。「この世の一人一人が苦しんでいる、その苦しみを、すべて私は苦しむ」「この世の多くの人が苦しんでいる、その苦しみを、すべて私は苦しむ」と。  
 人類は、ひとつの生命体です。だから、だれか一人が傷つけられるとき、人類全体が傷つきます。痛みを感じます。世界のどこかで「非人間的扱い」を受けている人がいるかぎり、それは私たち自身の人権が侵されているのです。  
 人を「下」に見る人は、自分自身の尊厳を破壊しているのです。それがわからいところから、差別も、戦争も、貧困も生まれます。「根」は一つなのです。  
 私たちは、マハトマ・ガンジーと同じく、「現実の問題を考慮に入れず、問題の解決に役立たない宗教は、宗教ではない」と考えます。私たちは、キング博士と同じく、「宗教は本来、社会の改善に関心をもつ。宗教は地上のことと天上のことの両方に、現代の課題と永遠の課題の両方に携わる」と考えます。だからこそ、そういう宗教的精神による大衆運動が、現存する社会悪を守り抜こうとする勢力から弾圧を受けることも、よく知っております。それが皆さまの歴史でありました。  
 恩師の「夢」私どもの初代会長、第二代会長も、第二次世界大戦中、日本のファッショ政府に抵抗して投獄されました。その弾圧には、仏教の精神を裏切った堕落の聖職者も加担しました。そして初代会長は獄死しました。二代会長は、二年間の獄中闘争を経て、戦後の日本で、民衆の「精神の目覚め」の運動を開始いたしました。きょう四月二日は、その二代会長-私の恩師の命日であります。恩師には「夢」がありました。それは「この世から、ありとあらゆる『悲惨』をなくしたい」という夢であります。恩師は生涯、貧しき人、病める人の最大の味方でありました。そして、冷戦のさなかに「地球民族主義」と「核兵器の廃絶」を叫びました。四十二年前、恩師とお別れしてから、私どもは師の「夢」を「現実」に近づけるために生きてまいりました。  
 貴モアハウス大学は、メイズ学長(第六代)とキング博士が尊き「師弟」の歴史を刻んだ場所であります。そして今、キング博士の思想を青年たちが学ぶ広場になっておられる。「精神の継承」こそが、人間の人間としての栄光であります。動物にも「親子」「兄弟」はあります。「夫婦」も「仲間」もあります。しかし、精神を継承する「師弟」は人間にしかありません。  
 だから、皆さま、今、ともに子どもたちに伝えようではありませんか。「夢をもちなさい!夢をもつ人は、いっか夢に近づけるでしょう!」と。  
 ともに子どもたちに伝えようではありませんか。「障害を乗り越えて進みなさい。あなたたちには『世界をより良くする』エネルギーと、使命があります。その事実を自覚したとき、あなた方は自分の才能を大きく開花させるでしょう。驚くほど強い自分自身になるでしょう!」と。  
 子どもたちに伝えようではありませんか。「悪に抵抗しなさい。麻薬にも、暴力にも、悪の誘惑に対しては毅然と『ノー!』と言いなさい。自分を大切に扱う人に対してでなければ、他人は敬意を示してくれません。そして、自分を大切に扱う人だけが、他人をも大切に扱えるのです」と。  
 子どもたちは「未来からの使者」です。彼らに語りかけることは、「未来」に向かって語りかけることです。彼らには、私たちの世代とは違う問題があります。これから、想像さえしなかった問題に直面することがあるでしょう。だからこそ、私たちは、彼らが勇敢に立ち向かえるよう、彼らを応援し、手助けしようではありませんか。  
 子どもたちに伝えようではありませんか。「悪を見ながら黙っているのは、悪の味方になることです。『善いことをしない』のは『悪いことをする』のと結果として同じです。あなたが、一つの悪を見のがすたびに、ひとつの悪の草は、はびこります。人を『排除』することは暴力です。しかし、悪に対する『無視』も『放置』も『無関心』も、暴力の一種なのです」と。  
 子どもたちに伝えようではありませんか。「自分の魂を眠らせてはなりません。自分の中にある同情心やヒューマニズムを『表現』しなければなりません。行動です!怠惰や臆病から抜け出して、何らかの行動を始めなさい。行動にしか『魂の成長』はなく、『魂の成長』なくして『幸福』はないからです。お金では、決して幸福は買えないのです」と。  
 子どもたちに伝えようではありませんか。「忘れてはなりません。長い長い『夜』の間に、『光』を掲げながら倒れていった先人のことを忘れてはなりません。前の世代は、苦しんできた先祖のために、そして、あなた方、子孫のために戦ってきたことを」と。  
 そして伝えようではありませんか。「子どもたちよ、戦ってきた先輩が一番うれしいのは、あなた方が『闘争を受け継ぐ』ことです。あなた方も私たちと同じく、未来の世代の幸せのために戦いなさい。悩める人のために奉仕しなさい。  
 そのとき、はじめて、わかるでしょう。どうして、私たちが『でっちあげ』と『残酷さ』に囲まれながら、これほど誇り高く生きてこられたかを!  
 そのとき、はじめて、わかるでしょう。私たちが、霧匪られても裏切られても、どうして夢を捨てなかったかを!私たちの行進に向かって、石を投げられても、銃を向けられても、どうして頭を上げて、前進を続けたのかを!  
 すべて、あなたたちに『素晴らしい未来』を贈るためだったことを!  
 さらに伝えようではありませんか。「子どもたちよ、民衆を愛し、偉大な人生を生きなさい!自分の人生を、闇を照らす『灯台』へと築き上げなさい。後世の人々を導く『道しるべ』へと造り上げ、そして、二十一世紀、力を合わせて、地球に打ち立ててほしい。  
 人殺しのない世界を!  
 だれひとり『自分は見捨てられた』と嘆く人のない社会を!  
 『すべての人間の友愛』という光り輝く記念碑を!」と。  
 サンキュー・ベリーマッチ!
 
 ルネサンス18  
 人権の英雄  
 黒人解放の指導者マーチン・ルーサー・キングのことを、先日、テレビで取り上げていた。彼は、一九六四年、ノーベル平和賞受賞。一九六八年に凶弾に倒れた。享年三十九歳。人権の「英雄」であった。彼の墓は、アメリカ南部、故郷のジョージア州アトランタにある。墓石には、こんな言葉が刻まれている。「とうとう自由になったやっと自由になった神よ、ありがとう私は、ついに自由です」この言葉は、幾世代にもわたって歌い継がれてきた黒人宗教音楽の有名な一節という。万感の思いが伝わってくる。
   
 抑圧者と戦え  
 また彼は著書『自由への大いなる歩み』に、こう述べている。
 「不正や人種的隔離を受動的にうけいれることは、抑圧者たちに、彼らの行動が道徳的に正しいと告げることだ。それは、彼の良心がねむるのをゆるす道なのだ。こうなると、抑圧された人々は、彼らの兄弟のまもり手となることはできない。だから、黙って服従することは、しばしば安易な道ではあるが、決して道徳的な道ではないのだ。それは臆病者の道なのだ」(M・L-キング著、雪山慶正訳、『自由への大いなる歩み-非暴力で闘った黒人たち-』、岩波新書から)
   
 ルネサンス90  
 キング夫妻の闘争〃差別の屋台骨を壊すのだ〃  
 最も厳しい地ヘ  
 キング博士の闘った歴史的な抗議運動に、「バーミングハム(アラバマ州の町)の闘い」がある。この年(一九六三年)は、リンカーン大統領による奴隷解放宣言の発布から、ちょうど百周年にあたり、人々の大きな目標の年となっていた。  
 キング博士は、この年を迎えるにあたり、バーミングハムの町を拠点に定めた。  
 なぜ、この町を選んだのか。それは、当時この町が、アメリカ南部で最も人種差別の激しい場所だったからである。博士は考えた。  
 「バーミングハムでの抗議運動は、最も至難をきわめるにちがいない。そのかわり、もし成功すれば、それは、この国を覆う人種差別の屋台骨を打ち壊すことができるにちがいない」  
 リーダーが、最も困難なところに自ら飛び込んで、突破口を開いていく。そこに、勝負を決するカギがある。  
   
 女史の執念の力  
 バーミングハムの闘いで、キング博士が逮捕され、投獄された時のことである。警察当局の不法な措置によって、博士は牢獄のどこかに隔難されてしまった。  
 生きているか、死んでいるかさえわからない。博士の命は、風前の灯のように思われた。  
 その時、夫人のコレッタ女史は、意を決して、当時のケネディ大統領に電話をする。  
 しかし、すぐに電話がつながるはずもない。  
 だが、彼女はあきらめなかった。夫の身の安全を確認してほしい―  
 彼女の切なる訴えは、人を介して、ついに大統領の知るところとなった。  
 彼女の電話によって、本格的な調査が始まり、事態は急転直下、改善の方向へと向かう。その結果、彼女は夫を救ったばかりか、バーミングハム闘争勝利への確実な一歩を開くことになったのである。  
 女性の知恵と勇気が、目に見えないところで歴史を動かしていく。まさに学会の婦人部の皆さまの行動が、そうである。  
 このバーミングハムの闘いは、激しい攻防戦の末に、キング博士たちが全面勝利。その勝利の勢いは、全米に大きな渡動となって広がっていったのである。  
   
 「戦い続ける心」が「人間としての勝利」  
 歴史の進歩に逆行すれば滅びる  
 「心こそ大切」である。状況がどうであれ、自分自身の胸中に「戦う心」が燃えているかどうかである。何があろうと「戦う心」を燃やし続けた、その姿が人間としての「勝利」なのである。一時の勝敗という次元ではなく、「戦い続けた」事実によって、人間として、また信仰者として、永遠性の次元での勝者となる。その人の歴史は必ず後世まで輝いていく。  
 人種差別との戦いも、順調な時など、なかった。しかし人々は、人権のために「戦う心」を燃やし続けた。その持続によって、うねりをつくり、社会を進歩させたのである。紆余曲折はあっても、最終的には、歴史はヒユーマニズムの方向に向かって進む。この歴史の大河に逆らう者は、長い目で見れば必ず滅ぴる。  
   
 リーダーの「勇気」が皆の堤防  
 「恐れ」は直視すれば打ち勝てる  
 女史は、キング博士の次の言葉を大切に残しておられる。  
 「勇気のある人は、恐れに真正面から立ち向かうことによって、恐れに打ち勝つことができる。臆病な人は恐れを直視できないから、それにより、逆に恐れに打ち負かされてしまう。(中略)私たちは、押し寄せてくる恐れの洪水を阻止するだけの、勇気という名の堤防を絶えず築き続けていなければならない」(C・S・キング編『キング牧師の言葉』、梶原寿・石井美恵子訳、日本基督教出版局刊から)  
 「臆病」では幸福になれない。「勇気」こそ、幸福への扉を開くカギである。  
 
 キング牧師の夢  
 ◇「融和」掲げた首都演説◇  
 一九六三年八月二十八日。首都ワシントンは、うだるような暑さだった。リンカーン第十六代米大統領が奴隷解放宣言を行ってから、ちょうど百年が過ぎていた。  
 公民権運動の先頭に立ってきた南部キリスト教指導者会議(SCLC)の会長マーチン・ルーサー・キング牧師が演壇に進みでた。リンカーン記念堂前の池の周りは、二十五万人で埋め尽くされていた。群衆の鼓動が高まった。  
 キング牧師特有の、霊歌を歌うような、リズミカルで深みのある声が、スピーカーを通じて悠然と響き渡った。  
 「私には、夢がある。いつの日か、私の幼い四人の子供たちが、肌の色でなく、その人柄で判断される国に住めるであろうという夢だ。私にはきょう、夢がある!」  
 この日、首都に大集結したのは黒人活動家ばかりではなかった。労働組合、プロテスタントやカトリックのキリスト教会、ユダヤ系団体……。各界代表を先頭に、まずワシントン記念塔からリンカーン記念堂までの一キロを行進した。「人種隔離反対」「雇用差別撤廃」のプラカードが掲げられ、口々に「ウィー・シャル・オーバーカム(我々は克服する)」を叫んだ。  
 そして、キング牧師の演説でクライマックスを迎えたのだった。米史上最大規模のこの抗議行動は、五〇年代半ばから、人種差別に敢然と立ち向かってきた公民権運動が、全米にすそ野を広げ、最高潮に達したことを示していた。  
 首都行進は、黒人労働組合界の長老、当時七十三歳のフィリップ・ランドルフ氏の悲願だった。  
 氏は、第二次世界大戦中の一九四一年に黒人の雇用拡大を求めるデモ行進を計画したことがあった。しかし、米政府の説得を入れ、断念した。それから二十二年がたった六三年、南部のアラバマ州バーミングハムでは、キング牧師らの非暴力的な差別撤廃闘争が展開されていた。  
 だが、市や州当局は暴力的な手段で応じた。新聞やテレビは、黒人の活動家が警察犬をけしかけられ、消防用の高圧放水で追い立てられる場面を伝えていた。  
 混乱の拡大を恐れたケネディ政権はその年六月、「すべての米国民に、ホテル、レストラン、劇場などの公共施設でサービスを受けられる権利を与える法案」(公民権法案)を連邦議会に提示した。  
 年初に提出された当初案が廃案となったのを無念に思っていたランドルフ氏は、この機をとらえて、呼びかけをした。「公民権法の成立を求めるデモ行進を組織し、首都で勢力を結集しよう」。これにSCLC、人種平等会議(CORE)、全米黒人地位向上協会(NAACP)、学生非暴力調整委員会(SNCC)など主要な黒人団体と、趣旨に賛同する各界が呼応し、大行進が実現したのだった。  
 大行進で発起人のランドルフ氏は、キング牧師を「米国の道徳的指導者」と群衆に紹介した。その感動的な演説が起点となり、米国は人種融和の共通目標に向かい、大きく動き出すかに思われた。  
   
 しかし、バーミングハムではその十八日後、黒人教会に仕掛けられたダイナマイトが爆発、教会学校に出席していた十代前半の四人が命を奪われた。キング牧師の掲げる理想に冷水を浴びせる事件だった。黒人急進派勢力の台頭も、非暴力を説いたキング牧師を悩ませた。  
 そのキング牧師も六八年四月、テネシー州で暗殺され、公民権運動は急速に勢いを失う。キング牧師は後世に何を残したのか。  
 ピュリツァー賞受賞の伝記作家デービッド・ガロー氏はいう。「三十年が過ぎ、南部では、白人と黒人の関係が著しく変わった。アラバマで私たちが今感じ取れる変化の中に、キング牧師と公民権運動の遺産がある」(ニューヨーク・松浦一樹)  
 [黒人急進派勢力] キング牧師の説く非暴力抵抗や人種融和を不満とし、民族主義的スローガンを掲げ、暴力にも訴えるとしたグループ。マルコムXが所属した「ネーション・オブ・イスラム」や「ブラック・パンサー党」が急先ぽう。ストークリー・カーマイケルが唱えた「ブラック・パワー」は白人を恐れさせた  
 
 バス・ボイコット  
 ◇「非暴力」立ち上がる黒人◇  
 米南部アラバマ州の州都モントゴメリ。一九五五年十二月一日、デパートで縫製の仕事をしている四十二歳のローザ・パークスさんはその日の仕事を終え、家に帰ろうと、勤め先近くの停留所から市バスに乗った。  
 市バスは、前部の座席が白人専用になっており、後部が黒人用。中央部は込み具合によって使い分けられていたが、白人が優先された。そのころ、南部諸州では人種隔離が法制化されていた。  
 パークスさんは中央部最前列で、ほかの黒人乗客三人と腰掛けていた。次の停留所で、白人乗客が数人乗り込んできて前部は満席になり、一人が立つことになった。  
 これを見た白人のバス運転手は「席を譲りなさい」と声を荒らげた。ほかの三人はしぶしぶ立ち上がったが、パークスさんは、腰掛けたまま譲らなかった。車内がしんと静まり返った。  
 運転手「逮捕されるぞ」  
 パークスさん「結構よ」  
 パークスさんは、駆けつけた警察官二人に逮捕され、拘禁された。人種隔離法違反がその理由とされた。  
 現在、ミシガン州デトロイトに住み、黒人教育を促進する慈善団体を運営するパークスさん(86)は、その時の心中をこう語る。  
 「バスの座席に腰掛けたまま、次に何が起きるのか、考えないようにしていた。殴られるかもしれなかった。逮捕され、拘置所に入れられた後も怖くなかった。でも、どんなことになろうと、受け止める覚悟はできていた」  
 人種隔離に対するパークスさんの静かな抵抗は、モントゴメリの黒人住民による組織的で非暴力的なバス・ボイコット(乗車拒否)運動を誘発した。五〇年代後半から六〇年代にかけて激しいうねりとなる黒人の公民権運動は、ここに兆す。  
 米国が大量消費時代に突入していた五〇年代、白人家庭では、自家用車での通勤が当たり前になり始めていた。一方、差別にさらされ、未熟練労働に頼らざるを得なかった黒人にとって、バスは主要な交通手段だった。  
 「パークスさん逮捕」の報を受け、モントゴメリ改善協会(MIA)や全米黒人地位向上協会(NAACP)支部などの黒人団体は、チラシや教会の集会を通じ、「バス乗車拒否」を呼びかけた。  
 黒人の利用者が八割近くを占めていることに着目し、運賃収入に頼らざるを得ないバス会社を、経済的に締め上げる作戦に出たのだ。  
 彼女が逮捕され四日が過ぎた十二月五日。乗車拒否運動が始まり、この日、市内全路線から黒人乗客が消えた。黒人は、隔離の屈辱に耐えるより、バスで通った長い道のりを歩くか、タクシーを相乗りするかを選んだ。  
 MIAの一員だったジョニー・カーさん(88)は、当時を振り返って言う。「こわかったわよ。法に逆らえば、家を失うか、職を失うか、肉体的に痛めつけられるか」  
 白人による嫌がらせが頻発し、爆破テロも起きた。それでも抵抗は延々と続いた。終息に向かったのは五六年十一月、最高裁が隔離を違憲とする判断を示してからだ。「三百八十一日間」の非暴力的な抵抗運動を通じ、黒人たちは隔離廃止を勝ち取ったのだ。  
 「非暴力的直接行動」を唱え、乗車拒否運動を統率してきたMIAの会長は「この勝利は、モントゴメリだけのものではない。そんなちっぽけなものではなく、正義にとっての勝利である」と高らかに宣言した。  
 まだ二十七歳の若きマーチン・ルーサー・キング牧師(一九二九〜六八)がその人だった。(ニューヨーク・松浦一樹)  
 [非暴力的直接行動]非暴力主義を唱え、インドの独立を導いたマハトマ・ガンジーの思想に強い影響を受けたとされるキング牧師が、公民権運動を推し進めながら説いた行動理念。「隣人を愛せ」とのキリスト教精神に則し、暴力を厳しく戒める一方、不正に目をつむることも許さず、ただすための行動を促した。      

 


 

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