オーエンス

Top Pageへ

   
 ルネサンス92
 このアメリカ南東部の出身で、オリンピーク史上、不滅の大記録を打ち立てた黒人青年がいる。その名は、ジェシー・オーエンス(一九一三年〜一九八○年)。彼は、パークス女史と同じ年に、女史と同じ州(アラバマ州)で生まれた。貧しい小作人の子であった。その彼が、六十年前〈一九三六〉、ヒトラー政権のもとで開かれた第十一回のベルリン・オリンピックで、堂々と四つの金メダル勝ち取ったのである。(陸上競技の百メートル、二百メートル、走り幅跳び、四百メートルリレー)
 近代オリンピックの歴史に燦然と輝く快挙であった。彼の偉業は、世界中に広まった。貧しく、無名だった一人の黒人青年が、世界的な大英雄になったのである。この時、彼は、弱冠二十二歳。皆さまも、ほぼ同じ年齢であろう。
 
 ヒトラーの野心
 ヒトラーは当時、戦争への牙を研ぎ、ユダヤの人々などに非道きわまる弾圧を加えていた。人権を踏みにじる悪法を次々と作っていった。
 (ヒトラーがドイツ首相に就任〈一九三三年一月〉して以来、ユダヤ人弾圧のために発した法律・規定は千を超えるといわれる。
 三五年・反ユダヤ主義を合法化し、ユダヤ人の市民権を剥奪するニュルンベルク法を制定。ベルリン・オリンピックが行われた三六年には、ユダヤ人医師の医療行為を禁止した)
 そうした残虐な本性を覆い隠し、ナチスの虚像を宣伝するために、ヒトラーはオリンピックを最大限に利用したのである。権力は一切を利用する。
 事実、多くの人々がナチスの情報操作にだまされた。「ナチスは噂されるような暗黒体制ではない」と確信した人も少なくなかったという。
 ヒトラーは、ベルリン・オリンピックで、自分たちの民族の優越性を世界に見せつけたかった。ところが、そうした彼の思い上がりに痛烈な一撃を与えた青年がいた。それが、若き黒人ランナー、オーエンスだったのである。
 人種差別主義者ヒトラーは、黒人を蔑視した。白人選手の健闘に対しては喝采しても、黒人選手には見向きもしなかった。当時のアメリカの新聞にも、むし「ヒトラーは黒人選手を無視し、鼻であしらう傲慢な態度をとった」と、厳しく報道されている。
 また、ヒトラーは「黒人と握手とするところを写真に撮られる―そんなことを私が我慢できると思うのか!」と、どなったという。〈オーエンスが勝った時、ヒトラーは語った。「黒人にメダルを取らせたアメリカ人は恥を知るべきだ。私は、あの黒人と握手する気になんかなれない」〉
 こうした権力者の「傲慢」。それは裏を返せば、道理を認める勇気がない「臆病」であろう。同様に、「差別」は「嫉妬」の裏返しにほかならない。
 だが、青年オーエンスは、もともとヒトラーの存在など眼中になかった。彼は、歴史的な百廿決勝に臨んだ心境をこう綴っている。
 「私はゴールラインを見た時、八年間の努力がこれからの十秒間に集約されることを知った。一つのミステーク(失敗)が八年間を台無しにしてしまう。こうした状況下で、どうしてヒトラーのことなど気にかけていられようか」
 必死の人に、雑音など届かない。くだらないことに紛動されたり、あっちを見、こっちに振り回され、人にどう思われるか、どう言われるか、そんなことばかり気にしていて、何ができようか。厳然と「我が道」を行けばよいのである。
 ベルリン五輪までの八年間、オーエンスは「世界一、速いランナーになってみせる!」と誓い、"練習また練習""努力また努力"を貫いた。いかなる分野であれ、「世界一を目指そう!」との心意気が大切である。青年の理想は、大きすぎるぐらいがちょうどいい。実際に実現するのは、そのうちの何分の一かにすぎない場合が多いのだから。
 
 「おめでとう!君は自分に勝った」
 オーエンス青年は確信していた。
 「大事なことは、自分自身に勝つことだ」。我が道は、ここにある。それを堂々と歩めばよいのだ―と。
 この確信を彼の、心に刻んだのは、中学時代のコーチの先生だったと言われてる。忘れ得ぬ思い出は、ある競技会でのこと。オーエンス少年は、抜かれては抜き、抜いてはまた抜かれるという大接戦を繰り広げた。そのレースでオーエンス少年は、もうこれ以上、力は出せない、というところまでベストを尽くした。結果は敗北。しかし、彼はゴールを過ぎてからも走るのをやめなかった。勢いあまって、壁にぶつかるまで走り続けた。
 レースに負けて、がっかりしている彼に、コーチは駆け寄ってきて言った。
 「おめでとう」。思いも寄らない言葉だった。きょとんとする彼に、コーチは続けた。
 「君はきょう、勝ったんだよ。だれに勝ったか、わかるかい(自分自身に勝ったんだよ!)一度ならず、何度も、何度も勝ったんだよ」と。それまでのオーエンス少年は、レースの最初に出遅れたりすると、途中で勝負をあきらめてしまうのが常であった。その彼が、このレースでは、最後の最後まで真剣に走った。その「心の成長」を、コーチは見逃さなかったのである。すべてのリーダーにとって、重要な教訓がここにある。
 
 また、あすも勝て
 コーチはさらに励ました。「いいかい、あすはまた新しい一日だ。きょう勝ったからといって、あすまた自分に勝てるとは限らない。しかし、あすも自分に勝ち、来週も自分に勝ち続けていけば、君は必ずオリンピックに行けるよ!」―。
 過去の失敗に、とらわれるのも愚か。過去の小さな業績におごるのも愚かである。 仏法は、「現当二世」と説く。過去ではない。今から未来へと勝ちゆく挑戦を教えている。
 この心を忘れた人生は、狂った軌道に入っていく。
 少年にとって、コーチの真心あふれる激励が、不動の原点となった。いばるのではなく、"心から励ます"のが本当の指導者である。 少年は、この言葉の通りに、毎日毎日、また来る年も来る年も、「まず自分に勝とう」と、戦いを重ね、たくましい青年ランナーへと成長していった。
 そしてついに、ベルリン・オリンピックの百メートル決勝の時を迎えたのである。「位置について!」「用意!」―静まりかえった大競技場に、バーンと、号砲がひび響きわたった。
 オーエンス青年は勢いよく飛び出す。「褐色の弾丸」といわれた、目を見張るるスピード。「黒いカモシカ」といわれた美しいフォーム。
 彼は猛然と驀進し、並みいる強豪を引き離して、一気に勝利のゴールへ。一〇秒三という世界タイ記録であった。 さらに彼は、二百メートルでも二〇秒七のオリンピック新記録で優勝。 走り幅跳びでも八メートル〇六のオリンピック新記録。なお、この時、最後まで優勝を争ったドイツのロング選手と彼が、その後ずっと麗しい友情を結んでいた話は有名である。 そして四百メートルのリレーでも、彼は仲間の白人選手と力を合わせて、三九秒八の世界新記録で圧勝。
 こうして前人未到の四つの金メダルを獲得した。
 満場の大観衆も、皆、肌の色や国の違いを超えて、この「世界一」のランナーをお惜しみなくたたえた。しかも、その大歓声に、彼はいささかもおごらず、謙虚に応えた。ここがまた彼の偉さであった。
 ヒトラーが、どんなに悔しがり、いらだっても、この大勝利、大感動のドラマには、手の出しようがなかった。まねもできなかった。 無名の一青年の「強くして美しき心」が、独裁者の「醜悪な野望」を、さわやかに、見事に打ち砕いたのである。 今なお、ベルリン・オリンピックは「オーエンスのオリンピック」であったと、たたえられている。
 
 人生の金メダル
 後に彼は言う。「人生こそ―内面生活こそ―本当のオリンピックなのです」
 この人生そのものが、日々、「我が新記録」に挑みゆくオリンピックである。まず、自分が強くなればよい。いな、自分が強くならなければ、この乱世で勝つことはできない。人がどうであろうと、だれが何と言おうと、自分が力をつけ、力を発揮していくことである。      

 


 

Top Pageへ