パール=バック

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 パール・バック

 70年前、一人の母の生涯を描いた伝記小説が出版された。アメリカ人の女性として初のノーベル文学賞に輝いたパール・バックの『母の肖像』である。
 パール・バックは、重い知的障害のある子どもを懸命に育てながら、『大地』などの名作を発表していった。差別や偏見、暴力に対する正義の怒りを燃やし、平和運動に邁進したことも、よく知られている。アメリカと中国の懸け橋となった女性である。
 中国の名門・南京大学で英語を教えていた時期もあった。アメリカSGIのメンバーには、パール・バックの縁戚の女性がおられる。
 このパール・バックが最も深い敬愛を捧げた存在が、自身の母親であった。パール・バックの母は結婚を機に、宣教師である夫とともに、アメリカから、遠い異国の中国へ渡った。想像を絶する苦労の連続であった。7人の子供のうち3人までも、疫病などで失った。また、列強諸国の侵略下にあった当時の中国において、外国人は憎悪の的となり、命も狙われた。
 しかし、母は気高い女性だった。たび重なる試練にも負けず、進んで中国の民衆の中へ、一歩、また一歩と働きかけていったのである。母親や乳児のための健康相談所を開き、読書指導の教室などをつくり、人々に献身していった。
 宿命に泣く女性の話には、目に涙を浮かべながら耳を傾けた。そして、そうした女性たちの母となり、姉妹となり、友となって、わが身を惜しまず奔走した。
 母に親しみを覚えた中国の婦人たちが、母のもとへ集まって来た。それこそが、母にとって「幸福の月日」であった。
 彼女には、一つの信念があった。「それは誰であろうと自分の周囲に来る者で助けを要している者のためには全力を挙げて尽さなければならない ― 自分の子供たちであろうと、隣人、使用人、通りがかりの人 ― 誰彼の差別はなく、助けようという信念」である。
 パール・バヅクは母について、「私たちの知っている限りの人々のうちで、最も人間味が豊かで、速やかに動く憐れみの情、ほとばしるような明朗さ」などが母の心からあふれ出ていた様子を回想している。
 母の開かれた人間性が、周囲の敵意や偏見を溶かし、信頼と尊敬へ変えていったのである。母は、どんな苦境にあっても一家の太陽として輝いた。

「我々の周囲には暗く、やかましい生活が押し寄せていたが、彼女の澄んだ声はいつも勝利の響を持ちつづけた」「なにが起ころうと、立ち向かうよりほかに道はないのです。そう決心した瞬間、心はすっかり平静になった、と母は話してくれ志した」等と、パール・バ.ツクは綴っている。

 そして、微笑みを惜しまない母には、「愉快な風」のようなユーモアがあった。母は多忙な毎日にあっても、「すぐれた小説」を読むことを好んだ。

 「人間社会の動きに何よりも興味を感じていた母が小説好きなのは当然のことなのであった」

 そして、俗な雑誌などをクズにたとえた。
 「心の中にクズを詰めこみたくありませんからね。口にゴミを入れられないのと同じことですよ」と。
 母の努力によって、「お蔭で子供たちは早くから最高の作品以外には親しみを感じないようになった」というのである。
 晩年の母は、病床にあって、娘のパールに毅然と言い残している。

「私の精神はまっすぐに進んで行くことを憶えていておくれ。私は恐れてはいないよ」「喜んで、凱旋するように死ぬよ ― とにかく、どこまでも進んで行くよ ― 」と。

 40年もの間、中国の大地で人間愛の道を歩み通した、正義の母の「勝利宣言」であった。
 幾多の苦難を母とともに乗り越えてきたパール・バックは、「母はどんな場合にも恐れたことがない」と操り返し述べている。
 『母の肖像』の結びには、「彼女をめぐって生活していた私たちにとっては、何と素晴らしい生活であったろう!」と、母への深い感謝が捧げられている。
 わが「創価の母」たちは今、彼女たちが夢見た平和と幸福と人道のスクラムを、世界中で、幾重にも大きく広げてくださっている。
 その尊貴な実像は、素晴らしい「創価の母の肖像」として、永遠に仰がれ、讃えられ、留められていくにちがいない。
 パール・バックは呼びかけている。「しなければならないことはすでに目の前にあります。チャンスがあなたを待ち受けているのです。いまこそ、女性が自分自身を考え、扉を開く時です」

 目ざめた女性の連帯ほど強いものはない。私たちのかけがえのない友人であった“アメリカの人権の母”ローザ・パークスさんも語っておられた。
 「共に働くことを学ばねばなりません。正義のためにひとりで闘ったのでは、実効を上げることはできません」(高橋朋子訳『勇気と希望』サイマル出版会)
 「団結は力」である。
 「異体同心なれば万事を成し」(御書1463)の御聖訓を胸に、ともに手を携えて進んでまいりたい。〈パール・バックと母の生涯については、「母の肖像」(パール・バック蓄、村岡花子訳、『ノーベル賞文学全集7』所収、主婦の友社)、『娘たちに愛をこめて』(同、木村治美訳、三笠書房)、『パール・バック伝』〈ピーター・コン著、丸田昇他訳、星雲社〉などを参照した〉

2006.2.16 聖教

 
 輝き16  
 アメリカのパール・バック女史は、『大地』『母』などの名作でノーベル文学賞を受賞した作家である。中国に育ち、中国を愛し、中国の民衆を描いた。米中、また東西の懸け橋となった先駆者といってよい。
   
 「善の人々が大きな声を」パール・バック女史
 彼女が、昭和二十年(一九四五年)、すなわち終戦の年の秋、「毎日新間」紙上に「日本の人々に」と題して寄せた言葉がある。  
 その中に、「民衆が自由で独立的で自治的である国は如何なる国でもつねに善なる人々と悪なる人々との間に闘争の行われる国である。もしこの闘争が存在しないならそれは暴君が支配して善き人々が力を失っていることを意味する」「善なる人々の声は悪なる人々の声よりもより数多く、より明瞭でなければならない」と。 〈現代表記に改めた)  
 “民衆よ、永遠に悪を監視せよ!永遠に悪と闘争せよ!”  
 彼女のこの呼びかけのなかに、二十世紀の悲願が凝結している。今、二十一世紀ヘ、人権闘争の不滅の歴史を創りゆく中核が、中部青年部であっていただきたい。民主主義は、善の民衆が声をあげてこそ実現するからである。
     

 


 

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