プロメテウス 今日より84
「身は縛られても心は縛られぬ。権力者よ、汝らに何ができよう」
この御精神を拝する時、浮かんでくる古代ギリシャの物語がある。世界の多くの青年に贈る意味でも触れておきたい。
それは青春時代に知った、"先を見る男"の苦難の劇。民衆を愛するがゆえに、権力者ゼウス(英語名ジュピター)と戦った男のドラマである。人間の、心理を描いた一つの文学として私は読んだ。男の名前はプロメテウス。「先に知恵の出る者」という意味である。 ギリシャの伝承では、彼が人類をつくったとされる。ちなみに彼には弟がいる。その名エピメテウスは「後から知恵の出る者」という意味である。洞察力のある兄に比べて愚かな弟は、ゼウスの策謀にかかってしまう。有名な「パンドラの箱」の事件である。ゼウスの遣わした美女パンドラにそそのかされて、エピメテウスが箱を開けると、中からあらゆる悪と苦しみが飛び出し、地上の世界に広まってしまった。ただ、最後に箱の底に「希望」が残っていたという。世に満ちた一切の悪と戦う力は「希望」にある。希望から勇気が、勇気から知恵が生まれる。そして信仰は無限の希望の源泉である。
さて、兄のプロメテウス"先を見る男"は、”大地の子”である。大地ガイアの息子にあたる。"天の独裁者"であるゼウスの怒りをかって、コーカサス山の岩に「金剛の鎖」で硬く縛りつけられていた。そして毎日、昼間は、大ワシがやってきて、彼の肝臓をつついて食べてしまう。激痛を耐えていると、夜の間に体は元通りになり、昼には、またつつかれる。不死身を得ていた彼は、死ぬこともできない。三万年(三千年とも)もの間、こうした残酷な刑罰を受け続けていた。
一体、彼がどんな悪いことをしたのか?何がゼウスを怒らせたのか?それは彼が人類に「文化」を与えたからであった。彼は、幼稚で何も知らなかった人類に同情した。寒さにふるえ、闇を怖がっている。狸猛な野獣たちの前にひとたまりもないだろう。そこで彼は人間に火を与えた。太陽の持つ火を植物の茎に移し、地上に持ち帰ったという。芳香あるウイキョウ(面香、フェンネル)の髄に、火を閉じ込めて彼は走った。愛する人類のために、これを届けてやるのだ。ウイキョウは古代ギリシャ語でマラトンと呼ばれる。マラソン競技の由来となったマラトンの地には、この草が群生していたという。
「火」のおかげで、闇と寒さを人間は恐れなくなった。暖かい火を囲んで、小屋を建てることも覚えた。「火」からあらゆる技術が生まれた。土器をつくり、煮、炊き、焼く料理を始めた。そして金や銀など鉱石を溶かす術を身につけ、そこから生活の道具や装身具が生まれ、武器や貨幣が生まれた。更に彼は人類に「言葉」を与えた。そこから「思想」と「学問」が生まれた。また「音楽」を与え、人々の心を高めた。「医術」や、「建築」「天文」「数学」「牧畜」「航海」を教えた。やがて「都市(ポリス)」も出来た。彼はまさに"文化の父"であった。
実は、これが独裁者ゼウスには気に入らなかった。ゼウスは"神々の父"と呼ばれ、恐れられていた。ゼウスは以前からこう言っていた。「火を渡すと、人間どもは『力』も『知恵』も、われわれ神々にせまり、われわれは支配しにくくなるではないか!」。そして、こう決意していた。「人類は無知のままにしておいたほうがよいのだ!」と。この"天の独裁者"の意向に逆らい、"大地の子"プロメテウスは、民衆を賢くしてしまった。それゆえに、あの残酷な刑罰にあったのである。彼はゼウスの考えを知っていた。火を与えれば、彼を罰するであろうことも"先を見る男"はすべて知っていた。にもかかわらず、人間を愛するゆえに、あえて彼は「天の火」を手に走ったのだ。
善と力、知と慈愛兼備した勇士
「神のために人間が戦う」のではなく、「人間のために神が戦う」ギリシャのヒューマニズムを最もよく象徴している物語である。多くの詩人がこのヒューマニズムの勇者をうたった。ギリシャの劇作家アイスキュロスが、またミルトンが、そしてユゴーが。
バイロンは叫んだ。「プロメテウスよ!誇り高き者たちが味わう苦しみのすべてを味わう者よ!汝の崇高な罪とは、“人類への愛情を持つ”ことであった。自らの精神で、人間を強くしたことであった」(「プロメテウス」から)
イギリスの詩人シェリー(一七九二〜一八一三年)も、この"先を見る男"に共感した一人である。彼が理想とする「人権の闘士」のモデルと仰いだ。シェリーは二十八歳の時、詩劇『縛を解かれたプロメテウス』を書いた。
その中で、プロメテウスは叫ぶ。「ゼウスよ!あなたは憎しみに盲目となって、私を縛った。しかし、あなたの復讐もむなしい。私は打ち勝つ!ああ、私さえ妥協していれば、あなたも全能となっただろうに!」
彼さえ屈すれば、権力者は全能となり、皆が黙って従ったことだろう。しかし、もう遅い。彼は「知恵の火」を人間に渡してしまった。やがて彼らは独裁者を倒すであろう。 「善も悪も無限だ。この宇宙のように。汝の孤独のように」悪は無限に悪となれる。甘く見てはならないと"先を見る男"は言う。
また独裁者は限りなく孤独である。悪の坂道を下りながら、孤独の深淵へと、どこまでも転落していく。そして「汝は今静かに坐っているが、時いたれば、汝は、『心の内の姿(地獄)』そのものとなって現れよう」と。
"先を見る男"には、ゼウスの転落の未来がありありと見えていた。だれがどうやってゼウスを倒すかまで知っていた。すべてを知っているゆえに、ゼウスは彼を恐れた。亡き者にしょうと焦った。何とか屈服させたかった。そして、彼がひと言、ゼウスの未来を教えれば、許してやると誘った。しかしプロメテウスは黙して語らない。
彼の受難は、このように、どこまでも彼自らが選んだものであった。あまりにも彼は不屈だった。あまりにも彼は人間を愛していた。「善」と「悪」と。巨大な悪に、心優しき「善」が打ち勝つのは、容易ではない。シェリーは、「人間」を厳しく見つめていたがゆえに、「善」のもろさもよく知っていた。彼は嘆く。「善には力がない。力ある者には善がない」「賢い者には愛がない。愛ある者には賢さがない。そこに乱れが生じ、悪を生む」と。「善」と「力」、「知」と「慈愛」を兼ね備えねばならない。それで初めて人類の「人権の闘士」となる。掲げた理想を現実のものとする「勇者」が生まれる。縛られたプロメテウスの真実を、ほかのだれも理解しなかった。あざける者すらいた。彼は言った。「ゼウスのあの恐ろしい権力のもとにあって、私だからこそ、どんなことにも耐えられた。私は独裁者からあなた方を守る『防壁』となったのだ。かくも苦しみ傷つきながら。その私がわからないのか?」と。
我が胸には平和が君臨する
それでも彼は「我、王者なり」と平然としていた。「天の奴隷ども、ゼウスの子分こそかわいそうなのだ。すぐにでも、自分自身を蔑むことになるのだからな!」
一方、太陽の中に『光』が君臨するように、我が心には、静かな『平和』が王座にいる」「私は私自身の王だ。内なる苦悩や戦いの群れをすべて統治している」 ― 。
「人を支配する者」でなく「自己を支配する者」こそ「王者」なのである。彼は剛毅であった。獄にあっても、自由な口をきいた。そもそも彼は、ゼウスよりも早くから活躍していた巨人族の一人であった。そしてゼウスが王座に就く際、「人間に自由を与える」という条件をもとに、ゼウスを助けてやったのである。
悪の心は、善いものをも悪に変えて受け取る!ゼウスよ、汝の権力は私なくしてありえなかった。その見返りに汝が寄こしたのは、この鎖だ!幾年月、昼も夜も、私は太陽にあぶられ、雪に凍え、縛られている。汝の無慈悲な考えを実行する下僕たちから、私の愛する人類が踏みにじられている間にも!私への迫害も当然だろう!悪人は善を受け入れられないのだから。恩人に、憎しみや、恐れや、恥を感じこそすれ、感謝などは感じられないのだ。悪をなしたのは自分なのに、私に仕返しをすると言うのだ。汝らのほうこそ、悪の奴隷だ!。彼が言う通り、「感謝しなければならない相手」がいること自体、悪人には苦痛である。感謝することが、自分の威信を傷つけると信じているからだ。彼らは常に要求する。"我は偉大なり。我が階の下にひざまずけ。我をたたえよ"。確かに群を抜いてはいる。しかしそれは、心の貧しさ、卑しさにおいてに過ぎない。
そして、「裁きの日」を迎えるまで、その顔は傲然と虚勢を貫ぬこうとする。
人間性に反する暴力は自滅する
時が来た。「呪いの王者」ゼウスが倒れる時が ― 。自分が父を追い出して王座を奪ったように、ゼウスは自ら産んだ子供によって地獄の「底無しの淵」に堕とされてしまうのである。「助けてくれ!助けてくれ!」「ああ、まつ暗だ!助けてくれ!」ゼウスは、自分が縛ったプロメテウスにさえ、最後は寄りかかる。
「プロメテウスならばこんな無慈悲なまねはしないぞ。優しく、正しく、しかも恐れを知らない彼世界の王者ならば」
権力者は気どる余裕すらなく、「奴隷のようにふるえながら」堕ちていった。自分を堕とす相手に彼は叫ぶ。「お前はだれだ?」―「汝自身の罪業だ」と"敵"は答えたに違いない。
「闘士」は解放された。世界が喜びに沸く。彼は「世界の太陽」となって立ち昇る。自然の精が合唱する。「われらは大計を描こう、人類の新しい世界へ。それをプロメテウス(人権の闘士)の世界と呼ぶのだ」
新世界の朝。勝利の歌がこだまする。闇が晴れる。旧き戒めの鎖は断ち切られた ― 。こうしてシェリーは、自分の理想をうたう。
人類はもはや王笏(独裁の象徴)もなく、自由で、平等な人間となる。階級もなく、種族や国家の別もなく、恐怖や屈従の宗教もなく、身分のわけへだても知らず、自己を支配する王者となり、正しく、優しく、賢い者となる、と。シェリーは、フランス革命など"大義の革命"が多くの犠牲者を出し、「いたるところ、死体が厚く積み重なっている」のを嘆いた。そして「暴力否定」の平和の人権闘争を信念とし、情熱の詩を綴った。彼は「人間性に反する暴力は自滅する」ことを見抜いていたのである。
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