サッコとヴァンゼッティ

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 ルネサンス100
 冤罪によって死刑にされた「サッコとヴァンゼッティ事件」に触れたい。
 「無政府主義者」として、政府から目を付けられた、アメリカの二人の労働者。一人は、ニコーラ・サッコ。もう一人は、バルトロメオ・ヴァンゼッティ。二人とも「無政府主義者」である以外は、なにも悪いことはしていない。普通の労働者であった。「思想・信条の自由」が保障されているから、権力者は、この二人に「お前たちの思想が悪い」とは言えない。そこで、「でっちあげ」の殺人罪で投獄した。今から、七十年前の実話である(一九二七年八月二士二日に処刑)。こういう手口で常に「冤罪」がつくられていくものだ。
 この、まったく「でっちあげ」の事件に対し、世界的に非難の声が沸き起こった。「この二人を救わなければ」「何の罪もないではないか」人々は団結して釈放を訴えたが、結局死刑。権力は非情である。この二人の最期に、有名な言葉がある。
 「もし、こういう事態でなかったら、私は町の片隅で人間を軽蔑するような言動をしながら、天寿を完うしたかも知れません」(ハワード・ファスト著『ぼくらは無罪だ!サッコとヴァンゼッティの受難』、松本正雄・藤川健夫訳、新評論社)
 もし迫害されなかったら、一生、街角に立って、通行人をうらやみ、世間を恨み、人の悪口ばかり言って、人生を終わったかもしれない、と。「寛容、正義、人間の理解などに対する仕事をすることを望むことは決してできなかったでしょう」(同)しかし、迫害のおかげで、そういう立派な仕事ができた、と。
 
 彼らこそ勝利者
 迫害されなければ「わたしは、だれにも認められず、人生の敗残者として、死んでいったことだろう。ところが、おれたちは今では敗残者ではない。おれたちには、素晴らしい生涯が与えられ、おれたちは、勝利をおさめた。こんな大事業は一生かかったつで、できやしない」(フィル・ストング著「サッコ=ヴァンゼッティの最後」
 俺たちは、失敗者ではない。俺たちは「大勝利者」なんだ。人類に権力の悪辣さを教え、人類の相互理解に役立って死んでいける。何という幸せ者だろう─と。
 
 冤罪の死刑囚「信念を貫けて幸福だ」「もう一度生きても同じ人生を!」
 そして、ヴァンゼッティは、こう言い切る。「私は自分が正しいということを十分確信していますから、あなたがもう一度私を死刑にすることができるとして、私はもう一度生まれることができるとしたら、今までやってきた事をもう一度やるでしょう」(ファスト著、前掲書)自分は正しい。何も罪を犯していない。だから、再び処刑されるとしても、この次の人生も同じように生きるつもりだというのである。何と堂々たる"勝利者"の叫びであろうか。      

 


 

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