「うわさ」の心理 

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 「うわさ」の心理 今日より97  
 はじめに「うわさ」の心理について、考えてみたい。作家・芥川龍之介(一八九二〜一九二七年)の出世作は、短編小説『鼻』である。夏目漱石に絶賛され、彼は、ここから文壇に躍り出た。説話集『今昔物語』等を題材にした、平安時代の話である。  
 京都に一人の僧侶がいた。彼は「鼻が長い」ことで有名であった。二十センチ近くの、ソーセージのような鼻が、顔のまん中からぶらさがっている。食事をする時も、一人では食べられない。おわんの中に、鼻の先が入ってしまう。そこで、弟子の一人を使って、細長い板で鼻を持ち上げてもらいながら食べる。不便で仕方がない。一度など、弟子がくしゃみをして板がふるえ、熱いお粥の中に鼻を落としてしまった。彼は常に、この鼻を気にかけていた。人々が皆、笑っているような気がしてならなかった。また実際、人々は何かと彼の鼻のうわさ話をして、自分たちの憂さを晴らそうとした。彼は何とか安心したかった。説法で、外に行くたびに、自分と同じような長い鼻の人間はいないかと、根気よく探した。いないとなると、過去の“大人物"の中に、長い鼻の人を探した。だが舎利弗も目連も、皆、ふつうの鼻であった!  
 他の人に、自分と同じ欠点があったところで、自分の鼻がその分短くなるわけではない。にもかかわらず、いつも彼は“同類”を夢み、探した。また、積極的に、鼻の短くなる方法も試してみた。いかがわしい薬も飲んだ。ネズミの尿を鼻に付けたこともある。全部うまくいかなかったが、やがて、耳よりの情報がきた。お湯で鼻をゆで、ゆだった鼻を人に踏ませる。これを繰り返す ― という治療法である。さっそく、やってみようとしたが、ふだんから「自分はこんなつまらないこと(鼻のこと)など、全く気にしていない」というそぶりをしていたので、自分からは言い出せない。それとなく、弟子の小僧のほうから勧めてくれるようにしむけた。
   
 周りが以前より笑っている!  
 治療は成功した。アゴの下まで垂れ下がっていた鼻は、短くなり、上唇の上までになった。「これでもうだれも笑わないだろう!」  
 彼は鏡を見て満足であった。 ― ところが。二、三日たつと妙なことに気付いた。訪れた人々が、前よりも一層おかしそうな顔をして、じろじろと彼の鼻を見つめるのである。表向きは、笑いをこらえながら、陰でくすくす笑い合っているようだ。彼は、「これなら前のほうがよかった」と、ふさぎこんだ。作者(芥川)は、こうした人々の心理を「傍観者の利己主義」と呼んでいる。他人の不幸に同情しないわけではないが、その人が、不幸を克服すると、今度は何となく物足りない。それどころか、かえってもう一度、不幸に突き落としたくさえなる。いつのまにか、ある種の敵意すらその人(幸福になった人)に抱くに至る ― と。俗に「不幸に同情してくれる人は多いが、幸福をともに喜んでくれる人は少ない」と言う。無意識の嫉妬が働くからであろうか。  
   
 鼻が短くなったのに、周囲が喜んでくれるどころか、冷笑するのを見て、僧は後悔した。彼が不機嫌なのを見て、周囲はますます陰で悪口を言った。彼は苦りきった。― ある夜のこと、鼻がむずむずする。熱も出てきた。すると翌朝、鼻がもとに戻っていた。昔の通りの長い鼻である。彼は内心小躍りした。「これでもうだれも笑わないだろう!」鼻が短くなった時と同じ、晴れ晴れとした気持ちであった。 ― 物語は、ここで終わる。
   
 陰口に基準なし  
 人々が彼のことをもう笑わなくなったかどうか、それは定かではない。ともあれ、ことわ、ざにもあるように、「人の口に戸は立てられない」ものである。鼻が長ければ長いで悪く言うし、短くなればなったで陰口をする。貧乏であれば蔑むし、裕福になれば妬む。不幸な人が集っていると罵って、皆が幸福な集いに変わると「何かごまかしがあるのではないか」とかんぐる。どちらにしても気に入らないのである。明確な「基準」があるわけではなく、その場かぎりの「感情」だからである。私どもも、この通りの、ありとあらゆる中傷を浴びてきた。こうしたものに振り回されていたら、「鼻」の僧のように、自分が惨めになるだけである。
   
 「うわさの弾丸」  
 「うわさ」とはとあるアメリカの作家は、こう定義した。「うわさとは、人の好評を抹殺しようとする暗殺者たちが好んで用いる武器」(ビアス『心魔の辞典』)と。「他人がほめられることを我慢できない」人がいるものだ。そこで「うわさの弾丸」を撃つ。「暗殺」だから姿を見せない。つまり、はっきりと根拠を示さない。出所不明、真偽不明のうわさだけを独り歩きさせる。まさに、黒い闇の中から放たれた凶弾そのものである。しかも被害者のほうが悪く言われる。こんな道理に反したことはない。一体、撃ったほうが悪いのか、撃たれたほうが悪いのか。凶弾に倒れたりンカーンやケネディが悪くて、暗殺者のほうが正義なのか。道理は明白であり、カラクリも決まりきっている。ゆえに智者は、根拠のない話に耳を貸さない。むしろ、そうした話をまき散らす人々の心根を哀れむ。  
   
 「智者」の集いは「流言」に動ぜず  
 中国の格言に、「流言は智者に止まる」(「荀子])と。つまらないうわさ話は一般人の間を流れるが、智者のところで止まって、それ以上伝わらない、という意味である。「情報化社会」が、傍観者の利己主義に侵されると、人権無視の「うわさ社会」「嫉妬社会」へと悪しく変貌してしまう危険性が高い。

 


 

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