ヴァイアー

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 ルネサンス100
 歴史上、十五世紀から十七世紀を中心に吹き荒れた「魔女狩り」の残酷さは、よく知られている通りである。どれほど多くの人々が、ウソの密告や世間の噂によって「冤罪」(無実の罪)におとしいれられてきたことか。
 不当な逮捕。拷問による無理やりの自白。虚偽の証言。そして暗黒裁判。「魔女狩り」で処刑された犠牲者は数十万人とも、数百万人ともいわれる。しかも、その人々の財産は教会に没収され、聖職者らの私腹を肥やした。権力は魔性である。権力に仕える宗教も魔性である。
 
 沈黙は敗北 正義は叫べ!
 この残虐きわまりない「魔女裁判」に対し、勇敢にも立ち上がった「人権のパイオニア(開拓者)」がいた。医者、哲学者としても有名なドイツの弁護士のアグリッパ(一四八六〜一五三五年)である。一五一九年、彼は「魔女」として告訴された、農家の主婦の弁護を勇んで引き受ける。彼は大胆にも“罪のない庶民を迫害する宗教裁判官(聖職者)のほうこそ異端である!”と論証していった。「声」が大事である。正義のためには、しゃべらなければならない。獅子のように真っ向から叫ばなければならない。沈黙は敗北である。アグリッパの論証に、宗教裁判官(今の検事にあたる)は怒り狂ったが、法廷は、この弁護士の明快な主張を支持した。こうして弁論の力で異例の無実を勝ち取り、人命を救ったのである。
 ところが、その後、この弁護士(アグリッパ)本人が妬まれ、攻撃の標的とされていく
 低俗きわまる悪口が、生涯、浴びせ続けられたのである。卑劣な悪口を浴びせられる─それ自体が、彼が卑劣な人間と戦う正義の人である証拠であった。
 
 ドイツの言葉「歴史とは強者に対する知者の戦い」
 しかし、彼には一人の本物の弟子がいた。彼のもとで学んだヴァイアー(一五一六〜一五八八年)である。のちに、近代精神医学の父、と呼ばれた医学者でもあった。人間の生き方の真髄は、「師弟」にある。
 この弟子が、“侮辱された師匠の真実を証明してみせる!”と、猛然とペンを振るい始めたのである。「魔女裁判」こそ、悪魔が考えたものである!」─彼は、断固として訴えた。これが本当の「弟子」である。
 当然ながら、激しい圧迫を加えられ、彼の本は焚書(=書物を焼くこと)にされ、禁書とされた。だが、精神医学の見地にも裏づけられた説得力ある彼の論調は徐々に浸透し、人々を目覚めさせていった。
 「あらゆる歴史とは強者に対する知者の戦いである」とは、ドイツの名言である(二十世紀初頭の政治家・ラーテナウの言葉)。
 強者 ─ 悪の権力者に打ち勝つ“たくましき知力”を養う。悪を許さぬ「知者」となる。それが大学という場ではないだろうか。
 
 憤怒の炎燃やし
 弟子・ヴァイアーの心には、正義の師匠を苦しめ、罪なき庶民をいじめ抜いた卑劣な者への「憤怒の炎」が燃えていた。大切な人が侮辱されて、どうして黙っていられようか。
 英国ケンブリッジ大学を訪れた時のことである。ある教授は、「優秀な卒業生が戦争で日本軍に殺された」と、体をふるわせて語っておられた。戦後数十年たって、今、起きたかのごとき怒りの姿であった。その光景は、いまだに忘れられない。「憤怒の炎」とは、まさに、そういうものではないだろうか。ヴァイアーは迫害者たちを、烈火のごとく叱り飛ばしている。「私は、真実の裁きの法廷で、お前たちの非人道に対して復讐を要求する!」と。「卑怯者め、うそをつくな!」「私は許さないぞ!」と。      

 


 

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