ルネサンス20
ドイツ大統領の青春の試練
昨年、私はフィリピンとともにドイツを訪問した。そして、東西統一ドイツの良心とうたわれるヴァイツゼッカー大統領と約一時間にわたり、「平和への連帯」「物質主義の克服」などをめぐって、大いに語り合った。ご存じの通り、ヴァイツゼッカー大統領といえば、現代を代表する哲人政治家であり、その平和への卓越したリーダーシップは、万人の認めるところである。私が注目したいのは、大統領の青春時代が、独裁者ヒトラーによって踏みにじられ、試練の連続だったという点である。
ヒトラーが政権についたのは、大統領が十三歳を迎える年のことであった。大学に入っても、勉学を中断して長年の間、軍服を着て過ごした。この間、ヒトラーへの抵抗運動を行った兄が戦場で亡くなっている。私の家も、四人の兄を次々に戦争に奪われた。私も肺病を患い、いつ死ぬかわからないという不安のなかで、青春時代を過ごした。我が家も権力の犠牲となったのである。ゆえに、私は、民衆を苦しめる権力を信用しない。
大統領は、戦争が終わってようやく大学に甦る。しかし、今度は尊敬する父が、ヒトラ政権下、外務大臣を務めていたという理由で戦犯として裁判にかけられる。非ナチスを貫き、戦争回避のために神経をすりへらしなが尽力した良識派の父であったという。
感傷に流されず 諦観に負けず
大統領は、再び大学を休学せざるをえなかった。そして、被告席に立たされた父の弁護活動を始める。しかし、彼の懸命な努力も空しく、父は有罪を宣告される。社会の現実は、無情である。〈後に減刑され、一九五〇年に釈放〉この父の裁判について、イギリスの、あのチャーチルは「致命的な誤り」と論じている。
青年の、心は深く傷ついたにちがいない。ただ、もし、その「感傷」に流されてしまえば、今日の大統領はなかったであろう。感傷は、それ自体、敗北に通じる。"もうダメだと諦めたり、愚痴と批判のみ生きる人生には、勝利の栄光はない。「負けない」ことが、偉大な人生の根本である。大統領は負けなかった。たじろがなかった。むしろ、この過酷な運命のまっただ中で、人間的にも、政治的にも、また歴史観においても、無類の成熟を遂げたといわれている。まさに「報難に勝る教育なし」である。
「人生に無駄な時期はない」
苦渋に満ちた弁護活動も、決して無意味ではなかった。そのなかで、彼は膨大なナチスの犯罪記録を克明に見つめた。その知識と経験を、「平和」と「人道」の大指導者へと育ちゆくバネとして、深く心に刻んでいったのである。大統領は、ドイツ統一の晴れの日、こう語っている。「人生におけるいかなる時期も無駄ではありません。苦境にあった時期は、なおさらのことであります」─と。「苦境」が「人間」をつくる。「安楽」から、本物が生まれるはずがない。
|