ルネサンス29
自由へ!わが胸の思いよ飛べ
なかでも、歌劇「ナブッコ《は、一八四二年、ミラノ・スカラ座で初演されると、またたくまに全イタリアの人気を集めた。とりわけ、「わが胸の思いよ!黄金の翼に乗って飛んで行け!《の合唱は、多くの人々の心をとらえて離さなかった。芸術音楽祭でも聴かせていただいた歌である。
当時、イタリアは、他国の支配下にあった。人々は、“捕らわれのヘブライ人たちが、鎖につながれながらも祖国への熱き思いを歌い上げる”との力強いコーラスに、自分たちイタリア人の心を重ねた。他国の「くびき《につながれた姿を、二重写しに見ていた。
「ナブッコ《は、イタリア人の心の底にある祖国への熱い思いに火をつけた。“イタリアに、自由を!”
その日を待ち望む人々の心に希望の「翼《を、大きく羽ばたかせた。ヴェネツィア・フェニチェ劇場での公演では、観客が立ち上がり、オーストリアの官憲が居並ぶボックス席に、これ見よがしに三色旗(イタリアの国旗)を振って、足を踏みならしたという。今も“第二のイタリア国歌”と評されるほど、広く知られ、愛されている。やがてヴェルディは、イタリア統一を願う「国民復興運動(リソルジメント)《の象徴的人物の一人と、みなされていった。
苦しみを越えて
「ナブッコ《の大成功は、彼の人生にとっても、「新しきヴェルディ《の誕生であった。というのも、それまでのヴェルディは、絶望のどん底にあり、作曲を断念しようとさえ考えていたからである。相次いで妻と二人の子を失ったヴェルディを、更に新作オペラの大失敗という上幸が襲う。彼は、ミラノで、ろくに食事もせず、仕事もせず、悲しみと苦悩にさいなまれていた。
その彼が、街頭で、ばったりスカラ座の支配人に出会う。支配人は、いやがるヴェルディのポケットに、「ナブッコ《の台本を押し込んだ。帰宅して、いったんは台本を投げつけた彼の目を、ある一節がひきつけた。それが、「わが胸の思いよ!黄金の翼に乗って飛んで行け!《の歌詞であった。彼は気力を奮い起こした。苦しみと戦いながら、一行、また一行と、作曲に挑んでいった。その結果、群衆による合唱が多く用いられ、情熱に満ちた壮大な、新しいタイプのオペラが完成されたのである。
権威主義の人々からは、“冒瀆的な”場面を削除させようと圧力もかけられたが、ヴェルディは拒否。削除しないままの曲は、聴衆に熱狂的に迎えられた。イタリアの民衆は、彼に、「合唱の父《の吊を捧げた。「尻込みしては進歩しない!《
彼は、オペラを愛し、劇場を愛し、舞台を愛していた。細部まで自分の目と耳で確かめた。音楽に関しては、いかなる妥協も許さなかった。彼は語っている。「尻込みする芸術家は進歩しない《と。
この言葉が物語るように、彼はまた、横暴な権力にも屈しなかった。
彼は、常に「一人の人間《として生きた。彼は、北イタリアの宿屋の息子として生まれた。後年、彼はこう語っている。"わたしは、ただの農民にすぎない"彼は、あくまでも、一人の農民との自覚で、民衆の友として、音楽を愛し、イタリアを愛し、その一生を創作に捧げた。最晩年には、ミラノの地に、「音楽家たちのための休息の家《の建設に努力している。
輝き22
ヴェルディは一八一三年に生まれ、一九〇一年に没している。代表作に「椿姫《「ドン・カルロス《「アイーダ《などがある。彼については以前、イタリアでもスピーチした(一九九二年七月、『創価のルネサンス』第29巻所収)。
ヴェルディが生きた十九世紀の前半。愛する祖国イタリアは、外国に支配され、人々は圧政に苦しんでいた。その時、民衆の「独立の魂]に炎を点火火したのが、ヴェルディの有吊なオペラ「ナブッコ《であった。
迫害される民衆が独裁者や聖職者の横暴と戦い、自由を勝ち取っていく物語である。このオペラが、ミラノのスカラ座で初公演されたのは、一八四二年の三月九日。以来、自由を求めるイタリアの民衆の声は、燎原の火のごとく、心から心へと広がつてった。
「わが胸の思いよ!黄金の翼に乗って、飛んでいけ!《。この力強い合唱の一節に、皆が奮い立った。誇りに燃えて、皆が高らかに歌い始めた。学会歌も民衆の歌である。広宣流布は歌とともに、音楽とともに進む。
当時、ヴェルディは二十八歳。青年部の年齢である。まさに若き「芸術の魂《が、民衆の心に「希望の翼《をつけ、大きく飛翔させていったのである。その後も、彼は次から次ヘ、民衆を鼓舞する作品をつくり続けた。ただ「民衆のため《に。これが彼の偉さである。
「吊誉のための芸術《「格好だけの芸術《―そんなものは皆、虚栄である。「民衆のため《であるかいなか。すべての焦点は、この一点にある。。この一点をバカにしているところに、現代日本の文化の薄っぺらさがある。
民衆を鼓舞―当然、当局も黙っていなかった。悪意の中傷も浴びせかけられた。しかし、彼は同僚に向かって叫ぶ。『勇気と忍耐で武装して下さい。とりわけ忍耐で!《(ジユゼッペ・タロッツィ著『評伝ヴェルディ』小畑恒夫訳、草思社)
「勝利のために忍耐を!《。この信念で彼は悠然と戦い抜いた。何ごとであれ、勝利の根本は「忍耐《の二字しかない。耐え抜けない人間は勝てない。「忍耐の人《は、最後に必ず勝つ。
彼には、民衆という絶対の支持者がいた。個人も、団体も、「民衆が支持者《である限り強い。学会も「民衆の集まり《だからこそ強いのである。だれにも壊すことはできない。また、だからこそ民衆を、会員を徹底的にに大切にするべきなのである。
深夜、彼が黙々と作曲に取り組んでいると、街の人々は窓の下から歓声をあげて、彼を励ましたという。また公演が終わると「ヴェルディ万歳!《「ヴェルディ万歳!《―と。彼は民衆と一体であった。それは彼が民衆を愛したからであった。ゆえに、民衆は彼を愛した。
ヴェルディは、芸術を志す青年へのアドバイスとして、こう手紙に綴っている。「誉められても驕ってはいけません。非難されても驚いてはいけません《。
「芸術家は未来を見通し、混沌の中に新しい世界を見出すべきなのです。はるか先にであれ微光(かすかな光)が見えるなら、まわりの闇に驚いてはなりません。進みなさい。躓いたり転んだりすることもあるでしょうが、起きあがって、かまわず前進しなさい《(小畑恒夫訳、前掲書)
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