ヤーマス・キャッスル号の火災

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 輝き52
 エメラルド色の海を見つめつつ、私は、一九六五年(昭和四十年)、ここナッソー沖・約百キロの海上で起こった海難事故の悲劇を思い返した。
 それは、「ヤーマス・キャッスル号」という観光船の大火災である。九十人の尊い人命が失われた大惨事であった。私は、仏法者として、犠牲者の方々に改めて追善の題目を送らせていただいた。
 事故の原因や経過については、「米国沿岸警備隊」による綿密な調査報告書が残されている。それらに基づいて、少々、語らせていただきたい。
  
 木造、老朽化、船員の経験不足
 三十四年前(一九六五年)の十一月十二日午後五時。
 観光船「ヤーマス・キャッスル号」(五〇〇ニトン)は、五百五十二人の人々を乗せて、マイアミからナッソーへと出航した。約十二時間の夜間航路である。船の建造は古く、一九二七年(昭和二年)。一階から三階まで甲板も、客室も、すべて古い木造。防火対策も十分でなかった。
 航海スケジュールにも遅れが見られるなど、老朽化の兆候も見え始めていた。万事において、やはり、何らかの「予兆」があるものである。
 その「兆し」を見逃さずに、的確かつ迅速な手を打っていくのが指導者である。私が、各地の会館の安全管理に対して、神経質といわれるくらい、対処してきたのは、この意味からである。
 また、船は、もともとアメリカ船籍だったが、安全基準の厳しいアメリカら他の国に船籍が移ったため、厳格な安全管理を免れていたと言われている。人間でも、だれからも厳しく言われない立場になると危うい。
 その上、船の指揮を執ったのは、八カ月の経験しかない、新米の船長であった。
 乗組員も、ほとんどが航海経験の浅い船員だった。
   
 物置から出火
 日付が変わって、十一月十三日の午前零時五分ごろ。一階の物置から、突然、火の手が上がった。原因は、いまだに不明。トイレを改造した、この部屋には、スプリンクラー(自動散水装置)が設置されていなかった。警報ベルも鳴らなかった。油断は大敵である。
 出火から二十五分後の午前零時三十分。担当の乗組員が、船内を点検に回った。本来であれば、一部屋ずつ細かくチェックして、物置の火事にも気づいたはずだった。しかし、その点検を怠ってしまった。この間、船長は、自室で仮眠をとっていた。
 こうして「火災の発見」何重にも遅れ、早期の警報システムも、緊急警報の連絡体制も機能しなかった。
 船の司令所の航海士に、火事の報告が、最初にもたらされたのは、午前一時十分。発生から、一時間以上がたっていた。
 消化ポンプの水も十分に出ず、炎の勢いは、もはや手のつけようがない状態になっていた。乗客らは、急激な煙と熱と炎に阻まれ、逃げ道を失った。
 日ごろの点検が不十分であったため、部屋の窓が、いざという時に開かず、脱出できなかった犠牲者もいた。
 船全体が炎に包まれ、唯一、後部の甲板部分だけが残された。そこにあった救命ボートに、乗客は殺到していった。
 その時、信じられない出来事が起こった。船長や航海士たちが救命ボートにて、われさきに脱出してしまったのである。この船長は、後に世論の激しい非難を浴び、船長の職務を永遠に剥奪されたという。
 事故に気づいて、近くにいたフィンランド船が救援に駆けつけた。
 さらに、約二十キロ後方を航海していた客船「バハマ・スター号」が現場に急行。ブラウン船長の陣頭指揮で、燃えさかる船のわずか百メートルにまで近づけ、救出にあたった。
  
 責任ある船長たちが逃げ去り、炎上する「ヤーマス・キャッスル号」。そこに踏みとどまって、最後まで決死の作業を続けた英雄がいた。その一人が、テリー・ワイズという二十三歳の青年であった。
 彼は、当時、経験の浅い簿記会計担当の乗務員。火事に気づいて甲板に上がると、もはやあたりは炎で包まれ、火の手は客室にも広がっていた。青年は、この船のことについても、まだよく知らず、何をしていいかも、わからなかった。明快な指示を出してくれる上司もいない。
 しかし、青年は「自分も何かしなくては!」と断固たる行動を決意した。
 まず、救命ボートを降ろす作業に合流した。すると、甲板の下の方から、「助けて!」という声が聞こえた。船の窓から抜け出ようとしている乗客だった。彼は手を伸ばし、乗客の服をつかんで、窓から人々を甲板に引き上げた。さらに、救命具を持たない乗客が海の中でつかまれるようにと、ベンチやイス、マットレスなど、浮きそうなものを、どんどん海に向かって投げ始めた。迫り来る火の手。テリー青年は、一緒に救援作業をしていた空軍士官に自分の救命具を与えると、海に飛び込めと促した。
 また、足を骨折し、すでに意識を半分失った婦人を発見すると、励まし、起きあがらせ、救命胴衣をつけさせて、救命ボートに送り出した。
 その時である。一人の上級船員が彼のところにやってきて聞いた。  
 「君も下りるか?」
 彼は答えた。
 「いや、まだだ!」
 船上には、まだ逃げ遅れた人たちがいる。彼は甲板を回り、人々を次々と避難させた。すると、「バハマ・スター号」から、叫び声が聞こえた。
 「もう誰もいないぞ!海に飛び込め!」
 彼は、その声を聞くと、再度、炎と煙の中を回り、生存者がいないかと確認。そのの後で、ようやくボートに乗った。すでに朝の四時ごろだった。
 彼は、約三十人もの尊き生命を救い出していた。船は六時五分に沈没した。  
 
 三十年後の顕彰
 バハマ・スター号」から一部始終を見つめていたある人物は、「本当のヒーローは、テリー・ワイズ青年だよ」と証言している。
 しかし青年は、自分の功績をまったく誇ることがなかった。彼が公に顕彰されたのは、三十年後だった。        

 


 

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