西ヨーロッパ諸国の植民活動

 

             3 西ヨーロッパ諸国の植民活動 
 
 オランダの植民活動  イギリスとフランスの対立  パリ条約  
   
 
 オランダの植民活動   戻る  
 重商主義政策をとって、ヨーロッパ諸国は東洋貿易とアメリカ大陸に相次いで進出。激しい競争をする。16世紀に覇権を樹立したのは、ポルトガルとスペインであったが、17世紀にはオランダがポルトガルを蹴落して東洋貿易の覇権をにぎり、北アメリカにも進出する。  
 オランダは1609年イギリス人ハドソンに北アメリカを探検させる。1621年西インド会社を設立して、アメリカ大陸との貿易・植民活動をおこなう。  
 イギリスがアジアに進出した時期はオランダとそれほど違わない。1623年アンボイナ事件で、イギリスはモルッカ諸島から敗退してインドに退く。しかし、インドに主力を注ぐようになったことは、イギリスにとってはラッキーであった。東洋貿易の主力商品は、ようやく香料からインド産の綿布にうつるようになったからである。
   
 17世紀オランダ衰退の原因  
 国内産業は生産をまして発展していったが、オランダの中心勢力であった商業資本は、中継貿易の利益が減少するのを恐れ、保護政策をとらなかったため、海外植民地戦争にやぶれると、フランス・イギリスに市場を奪われる。  
 オランダ商業の中心はバルト海の中継貿易。イギリスの「航海条令」はオランダの中継貿易からの締め出しを図るものであった。バルト海貿易も、イギリス・スカンディナビア三国・ロシアの海運によって脅かされるようになる。
   
 イギリスとフランスの対立   
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 植民地争奪をめぐる両者の対立は17世紀からみられ、いわゆる英仏第2次百年戦争として19世紀はじめまでつづくものであるが、とくにこの対立の激化するのが18世紀前半、ヨーロッパ本土で展開された国際戦争には、この植民地における英仏の抗争が結びついている。  
 スペイン継承戦争 ─ アン女王戦争  オーストリア継承戦争 ─ ジョージ王戦争  七年戦争 ─ アメリカではフレンチ=インディアン戦争、インドではプラッシーの戦い
   
 パリ条約(1763年)   
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 植民地争奪戦は、イギリスの勝利に終わり、世界商業の独占権はイギリスの手におちた。
 
 
     
 【アジアにおける列強の争い】
 A ポルトガル、スペインの分界線
  1 教皇(1            )の分界線(1493年)
 アゾレス諸島西の子午線を分界線とし、西をスペイン、東をポルトガルの
   勢力範囲とする
  2 (2         )条約(1494年
    ポルトガルの不満から、教皇分界線を西へ移動
  
 B ポルトガルの植民活動
  1 インド総督アルブケルケが、(3        )朝の海軍を破る
  2 (4    )(インド、1510年) に総督府、香辛料の中継貿易
   → セイロン(1505年) 、マラッカ(1511年) 、モルッカ諸島(1522年) を占領
   → 明から(5     )に居住権を得る。種子島に漂着
  
    → 首都リスボンが世界商業の中心として栄える
     王室の独占事業 → 国民一般の利益とならず → 繁栄は永続せず
  
 C スペインの植民活動
  (6     )(フィリピン、1571年) を根拠地 → メキシコ銀による中国貿易 
  
 D オランダの植民活動
  1 東インド会社(1602年) 設立、(7       )(ジャワ) を根拠地
    → ポルトガルを排除し(マラッカ、セイロンを占領)、香辛料貿易の実
     権をうばう
  2 (8     )年、イギリスと(9        )事件
   インドネシア、西イリアンからイギリス勢力を排除
   → オランダ領東インドを確保
  3 南アフリカにケープ植民地(1652年)
  4 平戸に商館設置 → 対日貿易を独占
  
 E イギリスの植民活動 → 強力な海軍と毛織物工業を背景に繁栄
  1 (10    )年、東インド会社を創立
  2 (11      )事件でオランダに敗北 → インド経営に力をいれる 
  3 (12     )(東南部) ・ボンベイ・(13      )(ベンガル)を基地に
    インド貿易
  
   → 17世紀末、世界商業の覇権をオランダからうばう
    (14      )(クロムウェル、1651年)を機に(15   )戦争(1652〜74年)
    に勝利
  
 F フランス
  1 (16     )年、東インド会社設立 → 1664年に再建
   コルベールの重商主義政策のもと、インドに進出
  2 (17         )(マドラスの南)・(18          )(カルカッタ
    の北) を根拠地として、イギリスに対抗  
   
 【アメリカにおける植民地争奪】
 A スペインの植民活動
  1 ブラジル以外のラテン=アメリカを領有
   → 先住民(インディオ)や黒人奴隷を酷使し、メキシコ・ペルーの金・銀
    を採掘
   → ブラジルはポルトガルが領有
  
 B オランダの植民活動
  1 (19       )を設立(1621年)
   アフリカ西岸とアメリカの通商に活躍
  2 北アメリカに(20          )植民地を建設(ハドソン川沿岸)
   → 中心は(21           )
  
 C フランスの植民活動
  1 (22     )(1608年建設) を中心カナダ進出
    → ルイ14世のとき、(23      )を獲得(ミシシッピ川全域)
  
    → 毛皮貿易と旧教の布教を主。人口少い。本国の絶対主義の支配下
  
 D イギリスの植民活動
  1 17世紀初頭、(24       )(1607年、エリザベス1世にちなんで命名)植民地
  2 ピューリタンが迫害をのがれて移住
   → (25           )植民地を建設
  3 17世紀後半、(26   )戦争で、オランダの植民地を奪う
   (27           )を(28       )と改称
  4 18世紀前半までに、13の植民地ができる
  
   → 農業を主とし、人口も多く、主に清教徒で自主独立の精神が強い
   → 他国の植民地と異なる性格  
 
 E 英仏の植民地戦争
  1 ウィリアム王戦争(1689〜97年) = ファルツ戦争 
  2 (29     )戦争(1702〜13年)
    = (30       )戦争(ユトレヒト和約、1713年)
  北米でイギリスが勝つ。フランスから、ニューファンドランド・アカデ
 ィア・ハドソン湾地方を獲得
  3 (31      )戦争(1744〜48年)
    = オーストリア継承戦争(アーヘン和約、1748年)
    → フランスの総督デュプレクスがインドでイギリスを圧迫
  4 (32   )戦争(1756〜63年)の際
   @ (33    )年、(34      )の戦い(フランス・ベンガル大守連合軍に勝つ)
    → 東インド会社書記(35     )の活躍で勝利、イギリス領インド
     の基礎をきずく
   A フレンチ=インディアン戦争 − 北米で戦う
  
    → (36   )条約(1763年)
 イギリスはフランス領のカナダと(37       )川以東の(38 
          )・セネガルを、スペイン領の(39      )を得る
  5 結果
   フランスは北アメリカの植民地のをすべて失う
   イギリスの植民地支配は不動のものとなる  
 
 【奴隷貿易】
  → 17〜19世紀におくりだされた奴隷の総数は約960万人
  
    三角貿易       (40      )
                西アフリカの西海岸地方(ギニア)                      
   
     
      砂糖・綿花・タバコ・コーヒー     
          武器・雑貨
       新大陸              ヨーロッパ  
   
   
         
 ☆ 重要語句
 東インド会社 アンボイナ事件 ゴア マラッカ マカオ マニラ バタヴィア
 英蘭戦争 プラッシーの戦い ニューネザーランド植民地 デュプレクス 
 クライブ マドラス ボンベイ カルカッタ ポンディシェリ 
 シャンデルナゴル ヴァージニア植民地 奴隷貿易 英仏植民地争奪戦争
 ルイジアナ ニューアムステルダム フランス人およびインディアン戦争 
 ユトレヒト条約 パリ条約
  
 ☆ 重要年代
 英・仏・蘭の東インド会社設立 プラッシーの戦い パリ条約締結・    

 


 

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