中国の隣接諸国

 

                 2 中国の隣接諸国 
 
 チベット  ビルマ  安南
   
   
 チベット   戻る  
 唐の中期に、ラマ教(仏教の一派)が吐蕃(チベット)に輸入されてから、その好戦的なチベットの民族性を一変させた。  
 ラマ教の一派の紅帽ラマは、元朝の保護をうけ堕落したので、明の初期にあらわれたツォンカパがこれを改革し、黄帽ラマを創立。
   
 16世紀初め内蒙古を統一したアルタンは、16世紀半ば東方で明に進攻するとともに、西方ではチベットを破って青海に進出した。  
 この地には黄帽ラマが勢力をもっていたので、アルタンはこれを信仰するようになった。明末にはアルタンの曾孫たちは信仰を深め、クーロンに大寺院を建て、黄帽ラマは紅帽ラマをしのぐようになった。これを嫉妬した紅帽ラマとの抗争が北隣のモンゴルをも巻き込み、西北方一帯に大乱が起こり、これに乗じた清朝の介入を招くことになる。
   
 ゴビ砂漠西北部に住むオイラートのモンゴル民族は、明代にエセン=ハンが中国に侵入したが、清朝にとっても強敵となった。オイラート部は4部にわかれるが、西北のアルタイ・天山山脈の間のイリ河流域を本拠とするジュンガル部がとくに強力であった。  
 ガルタン=ハンは南の新疆の南部すなわち天山南路の回教徒、つまり回部を帰服させ、青海・チベットを勢力下においた。ガルタンはさらに全モンゴルを統一しようとして、外モンゴルのハルハ部に侵入した。康熙帝は北京をめざし進攻するガルタン の軍を破り、漠北に親征した康熙帝のためにクーロン付近で全滅的な打撃をうけ、故国に帰る道を阻まれ自殺した。  
 その後ジュンガル部はチベットに侵入して首都ラサを占領した。この報せに接した康熙帝はオイラート人を追い出してチベットを征服した。ダライ(ラマ教の教主)の後継者をたてた。また雍正帝のとき、青海によるオイラートの支族ホショートが聖祖の死のすきにラマを扇動して反乱を起こしたのを平定し、さらにチベットのラマを保護するために兵を入れ、大臣を駐在させた。チベットはこれによって清朝の保護領となった。  
 乾隆帝のときジュンガル部に内乱がおこった好機を逃さずに出撃して、ジュンガル部をはじめオイラート4部を征服し、天山北路を完全に平定した。
 
 ビルマ   戻る  
 ビルマは1765年中国の雲南に侵入して以来、清朝の討伐をうけた。また、隣国シャムに出兵して一度はこれを滅ぼしたが、その再興シャムの圧力を恐れて清朝に降伏し、1790年清朝から緬王に任ぜられた。  
 ビルマは1752年に成立した最後の王朝アラウンパヤ朝が国内を統一し、しばしば雲南に侵入したので乾隆帝はこれを制圧した。  
 シャムはそのころビルマ軍の侵入をうけ、元末以来ながくつづいたアユタヤ朝はこれによって滅ぼされたが、この地の華僑ピヤ=タクシンはビルマ人を駆逐して国を再興し、その死後、部将のピヤ=チャクリ(ラーマ1世)が1782年新王朝(現バンコク朝)を建て、清に入貢してシャム国王に封ぜられた。
 
 安南   戻る  
 安南は、16世紀から黎朝のもとに権臣の鄭氏と阮氏とが国政を握り、国土を南部に二分していたが、1773年タイソン(西山)党の阮文恵兄弟の乱が勃発して、国土は彼らに占領された。黎朝の一族は中国に亡命した清朝に救いを求めた。そこで乾隆帝は1788年討伐の軍を派遣してハノイを陥れたが、阮文恵    
 (未完)
 
 
 
 【モンゴル・トルキスタン・チベット】
 A モンゴル
  → 元はモンゴル高原に後退し、北元としてのこる → まもなく滅亡
  
  1 15世紀なかごろ、(1     )=ハンの率いる(2        )  部(西モンゴル) が強力
   → (3    )の変(1449年)で英宗(正統帝)を捕える
  2 16世紀、(4      )=ハンの率いる(5     )部(タタール部) が  勢力を伸ばす → 明に侵入(16世紀)
    チベットに進出し、(6    )教(チベット仏教)がモンゴルに普及
  
   → 清は、内モンゴルのチャハル部(韃靼部。1635年) 、外モンゴルのハルハ部(169  6年) を征服
  
 B 東トルキスタン
  17世紀、(7       )部(オイラート系)が、ガルダン=ハンの時に最盛    → 18世紀清の乾隆帝が征服、藩部とする
   → 回部と合併し(8    )と呼ぶ
  
 C チベット
  1 (9         )の侵入(13世紀)
    → モンゴル人のラマ教帰依と元朝の保護
  2 (10       )(15世紀)がラマ教を改革
  → (11   )派をひらく。以後、教主(12       )がチベッ
     トを支配
    → 18世紀、清の藩部となる   
   
 【朝鮮】【台湾・琉球】
 A 李氏朝鮮(1392〜1910年)  
  1 (13     )が、高麗を倒して建国。都(14   )(現ソウル)
  2 朱子学を国教
  3 銅活字による印刷が普及
  4 (15     )(ハングル)がつくられる
  5 (16    )(特権身分の文武の世襲官僚)の党争
  6 豊臣秀吉の朝鮮侵略
  7 17世紀前半、清に従属
  
 B 台湾
  1 オランダが一時支配(1624〜61年) → ゼーランディア城建設
   → (17     )がオランダ人を駆逐。鄭氏一族の支配(1661〜83年)
  2 1683年、康A帝が征服し、清の直轄領
   → 以後、福建・広東から多くの中国人が移住  
 
 C 琉球(現在の沖縄)
   15世紀、中山王が統一
   → 17世紀、薩摩の島津氏に服属。中国への朝貢もつづく服属
    
 【東南アジア諸国】
 A ヴェトナム
  → 呉朝(939〜950年) → 丁朝(968〜980年) → 前黎朝(981〜1009年) →
  1 李朝大越国(1010〜1225年)  − 宋を撃退
  2 (18  )朝(1225〜1400年) − 元を撃退、字喃(チュノム)
   → 明の永楽帝が出兵して、一時支配(1407〜28年)
  3 黎朝(1428〜1527年、1532〜1789年)
   @ 朱子学がさかん。チャムパーを征服
   A 16世紀に、北の鄭氏、南の阮氏に分裂
  4 西山朝(1778〜1802年) − 西山党の阮氏がひらく
  
 B ビルマ       
  1 (19    )朝(1044〜1287年)
   ビルマ人の最初の統一王朝。13世紀、元の侵入で滅亡
   → その後、分裂状態がつづく
  2 トゥングー朝(1531〜1752年)が統一
  3 アラウンパヤー朝(1752〜1885年)
   @ タイのアユタヤ朝を滅ぼす
   A 清と衝突し、18世紀末、清の朝貢国となる
  
 C タイ −  モンゴルの雲南侵入によって、タイ族が南下
  1 (20      )朝(1257〜1350年) 
    小乗仏教。タイ文字をつくる
  2 (21      )朝(1350〜1767年) − 日本の山田長政が活躍
    18世紀後半、ビルマのアラウンパヤー朝の侵入で滅亡
  3 バンコク(チャクリ)朝(1782〜現在)  − 清の朝貢国となる
  
 D 島嶼部
  1 シュリーヴィジャヤ王国(7〜14世紀) − スマトラ島を中心
  2 (22        )王国(1293〜1520年)
    ジャワ島を中心に、最後のヒンドゥー王国として栄える
   → イスラム教国のマタラム王国が滅ぼす
  3 マラッカ王国(15世紀〜1511年) − マライ半島
   東南アジア最初のイスラム王朝、海上貿易で繁栄
   → 1511年、ポルトガルの総督アルブケルケが征服  
 
 
     
 ☆ 重要語句 
 ジュンガル部 ラマ教 ツォンカパ ダライ・ラマ 李氏朝鮮 両班 パガン朝
 アユタヤ朝 陳朝 李朝 字喃(チュノム) 李成桂 黎朝 マジャパイト王国
 
 ☆ 重要年代
 李氏朝鮮の成立  

 


 

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