冷たい戦争

 

                 1 冷たい戦争
 
ヤルタ会談  ニュルンベルク裁判  日本の降伏 東ヨーロッパ諸国の共産化  
通貨改革  ワルシャワ条約  第1次中東戦争  スターリン死去
 
 

 ヤルタ会談   戻る
 ヤルタは黒海ほとりの保養地。ドイツとの戦争終結を目前に控えて、戦後ドイツの分割占領、対日戦争協力、ドイツとの戦争終了後3ヶ月後の対日戦に参加することを約束(秘密協定で公表していない)。
 アメリカは対日戦争にまだ明るい見通しをたてることはできなかった。日本に対して上陸作戦をしなければならず、50万人の死傷者をだすものと計算していた。そこで、アメリカとしては、ソ連軍の対日参戦がどうしても必要であった。
 ヤルタ会談の3人の首脳の年齢は、70歳のチャーチルが最年長、スターリンは65歳、ルーズヴェルトは63歳で一番若かった。ルーズヴェルトはヤルタ会談から2ヵ月後にこの世を去った。
 
 ニュルンベルク裁判   戻る 
 A級・B級・C級の戦犯にわけられて裁判にかけられた。これら戦犯の裁判のうち、ゲーリングなど23名のドイツA級戦犯はニュルンベルクに設けられた特別法廷で平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪、共同謀議のかどで裁判された。
 裁判は、この年8月8日のロンドンでの4カ国合意(ロンドン協定)により、403回の公判ののち翌年9月30日と10月1日に判決が出される。空相ゲーリング(52)、外相リッベントロップ(52)ら12名に絞首刑、総統代理ヘス(51)ら3名に終身刑、軍需相シュペーア〔40)、ヒトラーの後継首班デーニッツ(54)ら4名に10〜20年の禁固刑の判決が下り、元蔵相シャハト(63)ら3名が無罪となる。
 
 日本の降伏   戻る
 1945年9月2日午前9時から、東京湾に浮かぶ米戦艦ミズーリ号上で、降伏文書の調印式が行われ、アジア・太平洋戦争が正式に終結した。調印は日本政府代表重光葵外相(58)と軍部代表梅津美治郎参謀総長(63)が最初に署名し、ついで連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥(65)が連合国を代表して署名。以下、アメリカ、中国、イギリス、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドの順に署名し、9時20分、式は終了した。式に先立ってマッカーサーは「われわれは相互不信悪意または憎悪の念を抱いてここに集まったわけではない」と述べ、勝者の「正義と寛容」を示した。4日後、トルーマン米大統領は初期対日方針をマッカーサーに指令。これにもとづきマッカーサーは、女性解放など人権確保に関する5大改革指令、財閥解体指令などを発し、日本の「民主化」を推進していく。
 
 東ヨーロッパ諸国の共産化   戻る
 1946年、東ヨーロッパ諸国で、共産党勢力が次々と政権を奪取していく。1月11日、アルバニアが王政を廃止、人民共和国宣言を行った。2月1日にはハンガリーでも王政を廃止し共和国を宣言。5月26日のチェコスロバキア憲法制定議会選挙で共産党が第1党になり、党首クレメント・ゴトヴァルト(50)を首班とする内閣が成立した。ブルガリアで王政廃止、人民共和国が宣言された。10月の総選挙では共産党を中心とする祖国戦線が勝利。コミンテルンで活躍してきたゲオルギ・ディミトロフ(64)を首相とする内閣が誕生した。
  
 戦後ギリシアでは、共産党の率いるゲリラが内乱をおこし、またトルコが、ソ連から強い圧力をうけていた。そこで、1947年3月、アメリカ大統領トルーマンは「トルーマン宣言」を発し、ギリシアやトルコに援助することを決めた。この年の6月、アメリカのマーシャル国務長官は、ヨーロッパ諸国に広く経済援助をする「マーシャル・プラン」を発表した。
 これに対し、ソ連は東ヨーロッパ諸国の共産党とフランス・イタリア共産党もまじえ、コミンフォルム(共産党情報局)をつくった。
 
 マーシャル・プラン   戻る
 西ヨーロッパを視察したアメリカ国務長官ジョージ・マーシャル(67)は、経済復興の遅れから社会不安が生じ、共産主義が浸透しつつあることに衝撃を受けた。そして、共産政権が誕生する前に、ヨーロッパ諸国に復興援助を行い、経済再建を図る必要があると考えた。1947年6月5日、マーシャルが、ボストンのハーヴァード大学の卒業式で演説し、ヨーロッパ復興計画(マーシャル=プラン)を発表した。マーシャル・プランは、建て前としては、すべてのヨーロッパ諸国を援助の対象としたものの、さる3月に発表された反ソ・反共主義のトルーマン・ドクトリンを前提としていたため、ソ連と東ヨーロッパ諸国はこの復興計画を拒否。結果的に、マーシャル・プランはヨーロッパを経済的に東西二つの陣営に分裂させることになる。
 経済援助を受けたのは西ヨーロッパ16カ国(のち18カ国)で援助額は1951年までに約125億ドルにのぼる。  
 
 通貨改革   戻る
 1948年6月21日、米英仏3カ国が占領する西側のドイツで、新通貨「ドイツ・マルク」が導入された。新通貨は前日から有効となっており、この日、旧通貨が無効とされたことで、西側単独での通貨改革となった。この措置は・ナチス・ドイツの戦時経済が生み出したインフレーションにより避けられないものだった。だが東側のソ連占領地域を除外した実施に、ソ連側は、新たに東側地域で独自の通貨「東ドイツ・マルク」導入に踏み切る。またソ連は24日、西ベルリンに通じる陸の交通路を封鎖。西側3カ国は、物資を空から運ぶ「空の架け橋」作戦を26日から翌年5月12日まで展開する。
 「空の架け橋」作戦で西ベルリンには2〜3分ごとに飛行機が飛来、パラシュートで燃料・食糧・生活必需品など救援物資を空輸した。
 
 
 ワルシャワ条約   戻る
 ソ連は、冷戦の開始とともに東欧各国と2か国間条約を結ぶ。しかし、西ドイツが再軍備を始めNATOに加盟すると、1955年5月14日、ソ連は、アルバニア、ブルガリア、チェコスロバキア、東ドイツ、ハンガリー、ポーランド、ルーマニアの7カ国とワルシャワ条約機構を発足させた。西側に対抗してつくられたこの条約は、ソ連の東欧支配の政治・軍事的な手段としても機能した。だがその後、東欧革命をへて、1991年7月には解体議定書が調印された。

 
 第1次中東戦争   戻る
 1947年11月、国連がパレスティナ分割案を可決してから、パレスティナでは、ユダヤ人とアラブ人の激しい戦闘が続いていた。周辺のアラブ諸国のユダヤヘの反発も強まり、1948年5月15日にはイギリスの委任統治が終了することになっていた。そして、ついに14日、ユダヤ人たちは・イスラエル建国を宣言したのである。  
 この宣言をアメリカは即日、ソ連は3日後に承認。翌15日からは、イスラエルは「独立戦争」、パレスティナ人は「パレスティナ戦争」とよぶ、第1次中東戦争が開始される。当初、優勢と考えられていたシリア、レバノン・トランス・ヨルダン、エジプト、イラクからなるアラブ連合軍は、足並みの乱れや準備不足もあり、しだいにイスラエルに押し返されていく。翌年結ばれる休戦協定では・イスラエルは分割案より25%あまりも領土を拡大、94万人ものアラブ人が難民となり・イスラエル占領下のアラブ人人口は、戦前の10分の1以下の5万人にまで減少する。また、ガザ地区はエジプト、ヨルダン川西岸はトランス・ヨルダンの占領下におかれることになる。
 
 スターリン死去   戻る  
 1953年3月5日、スターリン死去。7日には後継指導部の顔ぶれが発表され、マレンコフ党書記(51)が首相を兼任、ベリヤ(54)が内務相兼第1副首相に就任し、彼らがまず後継政権を主導する。9日の葬儀でマレンコフは、緊張緩和と消費財生産の重視をほのめかす発言を行し、スターリンの恐怖体制から距離をおく態度を示す。だが14日、彼は突然、党書記を辞任、かわってフルシチョフ(59)が党を指導することになる。集団指導体制の始まりである。政権内でベリや個人の権力が強まることを警戒するフルシチョフは、外相モロトフ(63)、マレンコフらと謀り、6月下旬にベリヤを逮捕、7月には「人民の敵」して党から除名する。その後、第一書記に選出されたフルシチョフは、重工業優先策を唱えマレンコフと対立、1955年2月には彼を首相辞任へ追い込んでいく。
 
 
 
 
【国際連合】
A 国際連合の成立
 1 (1        )(1941年8月。独ソ戦の直後)を発表
   チャーチルとルーズヴェルト
   戦後の民主主義と国際協調の実現を協議
  → モスクワ外相会談(1943年) で平和機構設立宣言
 2 (2              )会議(ワシントン郊外。1944年、国連憲章の草案成立)
  → 平和機構の草案
 3 (3           )会議(1945年4〜5月)
  → 国際連合憲章が採択
  → (4      )年10月、国際連合成立(原加盟国51国)
 
B 国際連合の目的
 常設機関による国際協調と(5      )の維持
                         
C 機構
 1 主要機関 
  @ (6       )理事会 
    (7      )を持つ常任理事国(英・米・仏・ソ・中国)と非常任    理事国(6カ国→10カ国)
  A (8    )
    加盟国各1票による(9   )数決
  B 事務局 − アメリカの(10       )に設置
  C 国際司法裁判所 − オランダの(11    )に設置 
 2 専門機関 − ユネスコなど
 
D 国際協力
 1 (12      )宣言を可決(1948年) − 第3回国連総会
 2 紛争の調停・解決
  (13       )戦争(1948〜49年)、朝鮮戦争、コンゴ紛争など
 
 
【二つの世界の対立】
A 戦後処理
 1 (14    )講和条約(1947年)  − (15     )宣言の方針
  イタリア・ハンガリー・ブルガリア・ルーマニア・フィンランドの旧枢軸
  国(日・独・オーストリアを除く) とむすぶ
 2 ドイツ・オーストリア − 米・英・仏・ソにより分割占領
  → ベルリンも4国の分割管理
  → ニュルンベルク裁判(国際軍事裁判)で戦犯を処罰
 3 日本 − 米軍を主体とする連合軍が占領
 4 朝鮮 − 北緯(16   )度線を境として、南はアメリカ、北はソ連の       占領下
 
B アメリカとソ連邦の対立
 1 ソ連邦は占領下の東ヨーロッパ諸国を共産化し、衛星国にする
 2 アメリカの(17       )宣言(ドクトリン、1947年3月)
   = 「18       」政策」をとる
  → 共産主義の進出を防ぐため、ギリシア・トルコへ援助を開始
 3 アメリカの(19           )(ヨーロッパ経済復興援助計画、1947年6月)
  → 西ヨーロッパ諸国は受けいれ
  → ヨーロッパ経済協力機構(OEEC、1948年)
  → ソ連と東ヨーロッパ諸国は(20         )(共産党情報局)を結成(
   1947年)して対抗
 
  → (21      )の「鉄のカーテン」演説(1946年、米・ミズーリー州フルトン)
    ウォルター=リップマン(米・政治評論家) が東西の対立を(22      )   と表現
 
C 両陣営の対立
 1 (23          )のクーデタ(チェコ2月政変、マ-シャル=プランの受入れで対立)
   共産党が独裁権をにぎる(1948年2月)→ 共産主義の脅威
 2 (24            )条約(1948年3月)
   英・仏・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク(ベネルクス3国) の相互援助同盟
、  共産主義革命に対抗
 3 ドイツ西側の(25      )(1948年6月。マーシャル=プラン参加のため)
  → ソ連による(26      )封鎖(経済封鎖。1948〜49年)
  → 米・英・仏の空輸で対抗 → 封鎖解除(1949年5月)   
  → ドイツをめぐる東西の対立が激化
 
D 両陣営の結束
 1 (27      )条約機構(North Atlantic Treaty Organization)
  @ 1949年4月結成
  A 原加盟国 
   西ヨーロッパ連合(WEU)とアメリカ・カナダ・ノルウェー・デンマー
  ク・アイスランド・イタリア・ポルトガルの12ヵ国 
   → 加盟国の増加(ギリシア・トルコ・西ドイツ・スペイン
 2 (28               )条約(1951年調印)
  @ フランス外相の(29      )=プラン(1950年) を基礎
  A フランス・西ドイツ・イタリア・ベルギー・ルクセンブルク・オランダ
  B 参加諸国の石炭・鉄鋼の生産と分配を共同機関によって管理
   → (30            )(1957年、EEC) の出発点
 
 3 1950年、中ソ友好同盟相互援助条約
 4 東ヨーロッパ友好相互援助条約(31      条約機構1955年)  北大西洋条約機構に対抗、ソ連と東欧8カ国の軍事同盟
  (アルバニアは1968年、ソ連のチェコスロヴァキア侵入に抗議し脱退)
 5 経済相互援助会議(コメコン〈COMECON〉 1949年)
  @ 東ヨーロッパ諸国とモンゴル
  A マーシャル=プランに対抗
 
 
【アメリカ】
A 民主党の(32       )大統領(F=ルーズヴェルトの急死で昇格、1945〜53年)
 1 (33        )政策(ニューディールの精神を受け継ぐ)
 2 「34      」政策(→P323)  − トルーマン宣言(1947年)
  @ (35        )計画や(36      )=プランで対外援助  A リオ条約(1947年、アメリカ州共同防衛条約) 、(37      )( OAS、1948年)  B (38      )条約機構(NATO、1949年) を結成
  C 朝鮮戦争へ介入(1950〜53年)
  D 太平洋安全保障条約(ANZUS)
    
B 共和党の(39         )大統領(34代、1953〜61年)
 1 (40       )政策 − 国務長官ダレスの対ソ強硬外交
 2 インドシナ戦争介入、SEATO結成(1954年)、CENTO結成(1959年)
 3 平和共存路線
  @ ジュネーヴ会議 − インドシナ休戦(1954年) 、四巨頭会談(1955年)
  A フルシチョフ訪米(1959年)  → (41            )会談
 
【西ヨーロッパとドイツの分裂】
A イギリス
 1 多大な戦費、旧市場を失う
  → 債権国から(42   )国に転落
 2 (43     )労働党内閣(1945〜51年)の成立
   重要産業の国有化、社会福祉制度の充実(「ゆりかごから墓場まで」)
 3 (44       )の保守党政権の復活(1951年)
 
  → 英連邦の変化 
   インドの独立、エール共和国は連邦脱退(アイルランド共和国を樹立)
             
B フランス − 第4共和政(1946〜58年)
 1 ド=ゴールの臨時政府 → 第4共和政が発足(1946〜58年)
 2 経済危機の進行、インド=シナ・アフリカの民族運動で動揺
                             
C イタリア
 1 王政廃止(1946年)  → 共和国成立
 2 パリ条約(連合国との講和条約、1947年)  → 海外領土を放棄
 3 NATO加盟(1949年)
 
D ドイツ
 ※ ベルリン封鎖(1848年) 後、東西に分裂
 1 ドイツ連邦共和国(西ドイツ)、首都(45   )
  @ (46        )内閣(キリスト教民主同盟、1949〜63年)
  A 「奇跡」の経済復興 、(47   )協定で主権回復(1954年、NATO加入)
 2 (48           )(東ドイツ、1949年)、首都(49      )   @ 社会主義統一党の独裁
  A ワルシャワ条約機構に加盟、ソ連邦の衛星国に
 
E オーストリア
 1 戦後、米・英・仏・ソの分割統治
 2 オーストリア国家条約(1955年) で独立回復 → 永世中立国となる
 
F ギリシア
 1 戦後、共産党と王政派の対立
 2 イギリス、アメリカの支援で右派勝利 → 王政が復活(1946年)
  → NATO加盟
 
 
【ソ連邦と東ヨーロッパ】
A ソ連邦の情勢
 1 第4次、第5次(50     )計画で国力の復興
 2 スターリン没(1953年)
  → マレンコフ → (51        )の集団指導体制
 
B 東ヨーロッパ諸国 → 戦後、ソ連邦の支配下に
 1 ソ連邦の衛星8カ国 
  @ チェコスロヴァキア・(52      )・(53       )
   ・ブルガリア・ルーマニア・アルバニア・東ドイツ・ユーゴスラヴィア
  A (54      )主義を名のる共産主義政権が成立
 2 ユーゴスラヴィアの(55     )はソ連本位の経済政策に反抗
  → 1948年コミンフォルムから除名
  → ワルシャワ条約にも参加せず
 
 
 
 
 
 
☆ 重要語句
大西洋憲章 ダンバートン=オークス会議 サンフランシスコ会議 国際連合 総会 安全保障理事会 常任理事国 拒否権 ユネスコ 国際労働機関(ILO)冷たい戦争 鉄のカーテン トルーマン宣言 マーシャル=プラン トルーマンマーシャル ポイント=フォア計画 コミンフォルム コメコン 
チェコスロヴァキアのクーデタ 西ヨーロッパ連合条約 ベルリン封鎖 
朝鮮戦争 大韓民国 朝鮮民主主義人民共和国 北大西洋条約機構(NATO)東南アジア条約機構 中ソ友好同盟相互援助条約 フェア=ディール政策
まき返し政策 アイルランド共和国 第4共和政 キリスト教民主党 
トルーマン アイゼンハウアー ダレス アトリー チャーチル 
ドイツ連邦共和国 ドイツ民主共和国 第4次・第5次五ヵ年計画
集団指導体制 人民民主主義 アデナウアー ユーゴスラヴィア共産党 衛星国マレンコフ ティトー
 
☆ 重要年代
国際連合 マーシャル=プランの発表 ベルリン封鎖 朝鮮戦争勃発 
北大西洋条約機構の結成 フランス第四共和政の成立 スターリンの死