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ディエンビエンフー陥落
朝鮮戦争
ベトナム共和国成立
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1954年、フランスのインドシナ遠征軍総司令官アンリ・ナヴァールは、ベトミン軍のラオスヘの侵攻を防ぐため、ディエンビエンフーに1万6000人を投入し、大要塞を建設した。だが、これがベトミン軍の格好の攻撃目標となった。しかも、山地の少数民族が大砲を運び上げるなど積極的に協力し、最大の難問だった物資の補給や運搬も解決、戦闘の準備は着々とすすんだ。そして、ベトミン軍はディエンビエンフーへの総攻撃を開始した。周辺の陣地をつぎつぎと落とし、白兵戦を展開、最後の陣地を攻略し、「断固戦いかならず勝利する」と記したベトミンの旗が翻った。5月7日、56日に及ぶ大激戦に終止符を打ったのである。ここに9年間に及ぶ第1次インドシナ戦争が終結した。
これを受けてジュネーヴ会議は、翌日から休戦の話し合いを始める。だがソ連、アメリカ、中国など大国の思惑がからみ、ベトミンは、北緯17度線の軍事境界線と南北統一選挙の2年先送りを認める協定に調印せざるをえなくなる。
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1950年、南北朝鮮の境界となっていた北緯38度線で、午前4時ごろ両国の軍隊が衝突した。これを機に、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)軍が南下し、大韓民国(韓国)に対して宣戦を布告した。朝鮮半島では2年前に韓国と北朝鮮があいついで政府を樹立し、たがいに武力による南北統一を主張していた。このため、以前から38度線付近では軍事的な小競り合いが続いてきた。さらに、韓国では各地でパルチザン闘争が展開され、選挙では、イ・スンマン(李承晩)大統領(75)の与党国民党が大敗した。このような情勢のなかで、ついに朝鮮戦争の火ぶたが切られたのである。戦争勃発の報は、ただちにアメリカに伝えられ・ハリー・トルーマン大統領(66)は国連安全保障理事会の招集を要求する。安保理では、ソ連が欠席するなかで、北朝鮮の行為を平和の破壊であると断定し、38度線以北への撤退要求が決議される。ソ連は中国の代表権が認められないことに抗議して、安保理を欠席していたため、アメリカが主導権を握った。だが、戦争は拡大の一途をたどり3日後、北朝鮮軍がソウルを占領。これに対して7月1日にアメリカ軍が釜山に上陸、7日には国連安保理が国連軍の編制を決議する。国連軍には16か国が参加、最高司令官に米極東軍司令官ダグラス・マッカーサー(70)が任命され、米軍が主力となる。そして、その前進基地となった日本では、「特需景気」が発生。一方、この間も進撃を続けた北朝鮮軍は、9月までに釜山・太丘付近を除く韓国全域を制圧する。しかし、ここで戦局は逆転。9月15日に国連軍が仁川上陸作戦を敢行し、26日にソウルを奪回する。さらに、アメリカは38度線以北への侵攻を続け、10月には国連軍が中国国境の鴨緑江付近に到達。このため日、中国人民義勇軍がはじめて韓国軍と戦火を交える。こうして民衆に大きな犠牲をしいながら、朝鮮半島は3年間にわたる激戦の場となっていく。
朝鮮戦争は、アメリカ軍(国連軍)や中国軍の介入で拡大しながらも結局、開戦前と同じ38度線をはさみ膠着状態に陥っていた。この間、原爆使用や中国攻撃を主張したマッカーサー司令官は解任。この年に入ると、アメリカでアイゼンハワー政権が誕生し、ソ連ではスターリンが死去するなど、各国の情勢にも変化が生じていた。こうしたなかで、休戦交渉がすすめられた。1953年7月、午前10時、38度線の南の板門店で国連軍首席代表ハリソン中将と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)首席代表ナム・イル(南日)大将(39)が朝鮮戦争の休戦協定に調印した。中国も協定の内容に同意したが、韓国は調印を拒否した。戦争の被害は韓国発表の南側軍民の死亡者だけでも50万人にのぼるが、正確な数はいまだ不明である。
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「反共・反仏・親米」で知られるゴ・ディン・ジェムは、アメリカの支援を得て、親仏傀儡のバオダイ政権の首相に任命された。彼は敵対者をつぎつぎに排除して政府の実権を掌握、ジュネーヴ協定で決められた南北統一選挙には応じず、1955年10月26日、反共・親米政権を樹立したのである。政体をベトナム共和国と改めて初代大統領に就任した。要職を身内でかためる一族支配を行うとともに、南北分割の恒久化を図る。
【西アジア諸国】
→ 民族運動は、列強と結ぶ王政の打倒や資源の国有化を通じて展開
(1 )連盟(1945年)
エジプトなどアラブ7カ国が政治・経済・文化の活動の統一を目標
A エジプト
1 民族運動の高まり
1951年、イギリスとの条約(スエズ駐兵権)を破棄
2 エジプト革命(1952年)
自由将校団のクーデタで王政が倒れる
→ 共和国(1953年) 、大統領ナギブ
→ ナセルが大統領に就任(1956年)
B パレスティナ
1 イギリスの委任統治(1948年終わる) − アラブ人とユダヤ人の抗争
→ 第二次世界大戦後、激化
2 国連連合のパレスティナ分割案(1947年)
→ ユダヤ人は、(2 )国(1948年)を形成
→ アラブ諸国はこれを認めず、イスラエルに侵入
第1次中東戦争(3 戦争)、アラブ側の敗北
→ イスラエルは独立を確保。1949年、国際連合に加盟
→ アラブ諸国と対立がつづく
C トルコ
1 第二次世界大戦後、米に接近
→ 北大西洋条約機構(NATO)へ参加(1952年)
2 (4 )同盟(1954年) を結成
ユーゴスラヴィア・ギリシア・トルコ
3 イラクと相互防衛条約(1955年)
→ イギリス・パキスタン・イランが参加し、(5 )条約機
構(中東条約機構、METO)
→ イラクが脱退し、1959年中央条約機構(CENTO)と改める
→ 1979年、イラン・トルコが離脱し事実上崩壊
D イラン
1 第二次世界大戦で、中立を表明
→ 英・ソ連軍の進駐をうけ連合国へ参加
→ 戦後、撤兵問題でソ連との関係が悪化
2 1951年、モサデク首相が(6 )の国営を決定
アングロ=イラニアン石油会社の施設を接収(1951年)
→ イギリスとの関係が危機
3 1953年、クーデタでモサデク政権が倒れる
→ (7 )条約機構に加盟(1955年)
【インド・東南アジア】
A インド
1 イギリスは戦後の独立を約束
@ ガンディーは統一インドを主張 → インド国民政府案(1944年)
A ジンナーの全インド=ムスリム連盟はパキスタンの分離を主張
→ 1946年、(8 )内閣により独立承認
2 インド独立法案(1947年) − インドとパキスタンの分離
@ (9 )
ヒンドゥー教徒を主体、首都ニューデリー
指導者 ガンディー、(10 )
A (11 )
イスラム教徒主体、首都イスラマバード
指導者 (12 )
→ (13 )の帰属問題で深刻な対立
ガンディーの暗殺(1948年)
3 インドは独立の共和国を宣言(インド共和国。1950年)
→ イギリス連邦にとどまりながら、国王に忠誠を誓わない
@ 首相 ネール
A (14 )政策 → 米・ソ二大陣営に属さない
B カースト制や不可触賤民制の廃止を規定
4 パキスタン − アメリカに接近
@ 1956年、パキスタン=イスラム共和国となる
A 東南アジア条約機構、バグダード条約機構に参加
B 1971年、東パキスタンが独立
→ (15 )人民共和国(→P346)
B セイロン
1948年、イギリス連邦内の自治領として独立
→ 1972年、スリランカ、連邦内の共和国
C インドネシア
1 1945年、インドネシア共和国を宣言。指導者(16 )
2 オランダとの武力闘争 → 1949年独立達成
@ 1954年、オランダとの連合関係解消
A 1954年、バンドン会議(アジア=アフリカ会議。ジャカルタのバンドン)
D フランス領インドシナ
1 大戦中の日本占領下で、(17 )のヴェトナム独立連盟の
民族運動
2 ヴェトナム民主共和国の独立宣言(1945年)
@ 大統領(18 )、首都ハノイ
A インドシナ戦争(1946〜54年)
フランスは1946年の暫定協定で承認
→ 本協定交渉中に武力衝突
→ フランスは、ヴェトナム国を発足(1950年)
→ フランスとの戦争(インドシナ戦争。第1次ヴェトナム戦争)
ディエンビェンフーの戦いの勝利(1954年)
→ ジュネーヴ休戦協定(1954年)
北緯17度線を暫定的軍事境界線(→ 南北ヴェトナムの境)
2年後、統一のための総選挙実施
E フィリピン
1 1934年、アメリカから10年後の独立を約束
→ 大戦中に対日協力政権が成立
2 1946年、独立宣言 − フィリピン共和国、首都マニラ
→ 親米的色彩が強い
(20 )条約機構( SEATO。1954年→1977年解散。マニラで成立)
米・比相互防衛条約(1951年)
F タイ
1 大戦中、ピブン首相、日本と同盟して米英と戦う
→ 戦後、親米的政策
2 首都(21 )にSEATO(東南アジア条約機構) の本部(1954→1977年解散)
G ビルマ(現ミャンマー)
1 大戦中、対日協力政権
→ 戦争末期、抗日運動が展開 → イギリスに独立要求
2 1948年、イギリス連邦から離れ、共和国として独立
→ 1974年、社会主義共和国。
【中華人民共和国の成立】
A 国共内戦の再開(1946年)
1 中華民国の国際的地位向上
@ 大戦中、租界の回収や(22 )条約の撤廃
→ 戦後、国連の常任理事国
A 1947年、新憲法を発布。蒋介石が総統
2 国共の内戦のはじまり
@ 国民党の腐敗と汚職 → 大衆の支持を失う
A 中国共産党
(23 )主義をとなえ、農村に地盤(毛沢東の指導)
→ 民衆の信頼と期待
→ 内戦開始(1946年) → 米特使マーシャルの調停失敗
→ 米は国民党を援助 → 延安陥落(1947年)
→ 中国産党は満州へ後退
→ 中国共産党の反撃(1948年)
→ 蒋介石は(24 )に逃れ、中華民国政府を維持(1949年)
3 中華人民共和国の成立(1949年10月1日)
@ 主席(25 )、首相(26 )
A 首都 − 北京
→ 内政
@ 土地改革 → 土地を農民の手に
A 5カ年計画(1953〜57年)− 農業の集団化・工業建設
B 新憲法の制定(1954年)
→ 外交
@ (27 )条約(1950年→1980年解消)
A ソ連とその衛星国やインド(1949年) イギリス(1950年)が承認
→ アメリカは台湾の中華民国政府を中国代表とする
【朝鮮戦争】 1950年6月〜53年7月
A 南北に分割された朝鮮半島
1 南の(28 ) − (29 )大統領(アメリカから帰国)
2 北の朝鮮民主主義人民共和国 − (30 )首相
B 経過
1 (31 )度線付近での武力衝突(1950年)
→ 北朝鮮軍が38度線突破、韓国に攻め込む
2 国際連合 − 安全保障理事会を開く(ソ連欠席)
北朝鮮の侵略と断定
→ 国連軍(アメリカ軍が主力)派遣 − 司令官(32 )
→ 国連軍38度線突破、平壌占領
3 中華人民共和国は義勇軍を派遣して、北朝鮮を支援
→ 戦局は38度線で膠着状態
4 1951年6月ソ連が休戦を提案
7月、休戦会談 − (33 )会談
→ 休戦協定成立。北緯38度線を境界(1953年7月)
【日本の独立回復】
ポツダム宣言(1945)による民主化
→ 朝鮮戦争による(34 )で経済復興
→ (35 )平和条約締結(1951年)
= 共産圏を除く48ヶ国と調印(インド・中国は不参加)
→ (36 )条約締結(1951年)
− 西側陣営に参加(米軍の駐留)
☆ 重要語句
アラブ諸国連盟 エジプト革命 ナギブ ナセル シオニズム
パレスチナ分割案 イスラエル国 パレスチナ戦争 イランの石油国有化
全インド=ムスリム連盟 カシミール帰属問題 非同盟政策 モサデク
ジンナー ヴェトナム独立連盟 ジュネーヴ休戦協定 スカルノ
ホー=チミン バオ=ダイ ディエンビェンフー 新民主主義
中ソ友好同盟相互援助条約 朝鮮戦争 大韓民国 朝鮮民主主義人民共和国
李承晩 金日成
☆ 重要年代
イスラエル国の成立 インド連邦の成立 ジュネーヴ休戦協定の締結
中華人民共和国の成立
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