国際情勢の変化と日本2

 


 スエズ運河国有化を宣言
 この日の夜、ナーセル大統領(38)はアレクサンドリアで革命4周年の記念演説を行い、スエズ運河の国有化を宣言した。大統領は、1時間半に及ぶ演説のなかで、運河建設のために12万人のエジプト人労働者の尊い人命が失われたこと、それにもかかわらず運河が外国の支配下におかれてきたことを訴えた。そして、スエズ運河会社の接収は法的にも歴史的にも正当な措置であり、今後、運河があげる年間1億ドルの収益は、アスワン・ハイ・ダムの建設費用にあてることを力説。広場はエジプト市民の大歓声に包まれ、以後、アラブ民族主義の高揚をみる。この強硬措置は、スエズ運河会社を事実上支配してきた英仏に衝撃を与え、イギリス、フランス、イスラエルの3か国とエジプトの軍事衝突(スエズ動乱)へと発展する。
 
 
 ブラック・アフリカで初めて、ガーナ(旧英領ゴールド・コースト植民地)独立
 1957年、アフリカの植民地のなかから、最初の独立国が誕生。英連邦内の自治領として新たな一歩を踏み出した。ガーナの初代首相には、会議人民党のエンクルマ(48)が就任した。こののち、ガーナは経済・社会開発にのりだし、その前途は栄光に包まれているようにみえたが、これは失敗に終わり、1966年、エンクルマは軍事クーデターによって失脚する。
 
 エヴィアン協定 ― アルジェリア独立
 アルジェリアの独立闘争は約7年半にわたり、ようやくピリオドが打たれた。アルジェリアの独立は、同地を死守したいフランス政府、また特権的地位を失いたくない白人入植者にとっても認めがたいものだった。だが、この戦争のさなか成立したド・ゴール政権は、解放軍の必死の抵抗と独立を支持する国際的世論の高まりに、1959年9月、ついにアルジェリアの自治権を承認し、和平へと動きだした。レマン湖畔のエヴィァンで交渉を続けてきた、アルジェリア共和国臨時政府とフランス政府が、この日、停戦協定に調印した。調印後の7月1日に行われた住民投票では99.7%の賛成票が投じられ、3日には正式に独立が決まる。
 
 百花斉放、百家争鳴
 1956年5月26日、中国共産党中央宣伝部の陸定一部長(49)が、「百花斉放、百家争鳴」と題する講演を行った。これは4月に毛沢東(63)が提起した方針を具体化したものである。この年2月のソ連共産党におけるスターリン批判は、中国にも大きな衝撃を与え、毛沢東は、芸術分野ではたくさんの花をいっせいに咲かせ、学術分野では多くの学説と自由な論争があるべきだ、とした。しかしこうした「自由化」ムードのなかで、民主同盟副主席で大臣の章伯鈞と羅隆基が、二院制や民主諸党派の政党化を要求し、さらに儲安平が「党の天下」を批判するなど、共産党批判が続出。驚いた毛沢東は6月8日、人民日報に論説「これはどうしたことか」を発表し、反右派闘争を開始したのである。右派とされた者は55万人にのぼるという。
 7月全国人民代表大会で、章伯鈞・羅隆基・儲安平ら非共産党知識人らが、つぎつぎに自己批判を行った。共産党の反右派闘争の象徴ともいえる出来事である。
 
 キューバ革命
 キューバでは、独裁政治と外国資本による産業支配、そして大地主制のもとで、国民は貧困にあえぎ、腐敗に怒っていた。1953年7月26日、弁護士として政治犯や貧しい人々のために活動していたカストロは、135人の同志とともに、キューバ第2の兵営、モンカダ兵営を襲撃した。だがカストロは逮捕され、55年にアメリカ、さらにメキシコに亡命し、56年秋に帰国した。当初のゲリラ戦から、やがて全国規模へ戦いを発展させた革命軍は、キューバ中部のサンタ・クララ市を落とした。首都ハバナ包囲網はいっそう縮まり、1月1日、パティスタはひそかに首都を脱出し、ドミニカ共和国に亡命。政変を知った民衆は歓呼して首都の街頭を埋め尽くし、御用新聞エル・ティエンボの社屋は焼き討ちされた。  
 1月8日、ひげをたくわえ戦闘服に身を包んだカストロは、民衆の歓呼に迎えられて首都ハバナに入り、2月16日、革命政府の首相に就任する。  
 
 
 
              【西アジア諸国】
 
A エジプト
 1 スエズ戦争
  (1           )建設
   → 米・英の経済援助の停止
   → ナセル大統領、(2        )国有化宣言(1956年)
   → イスラエル・英・仏3国のエジプト攻撃(スエズ戦争・第2次中東戦
    争、1956〜57年)
     エジプトは敗れるが、3国は国際世論の反対で撤兵

  → 第3次中東戦争(1967〜70年)
   イスラエルの先制攻撃 → (3     )半島占領
  → アラブ諸国敗北
  → パレスティナ解放機構(4     )(1964年結成) のゲリラ活動がつづく
 2 アラブ連合共和国と改める(1958年、シリアが合体 → 1961年離脱)
 3 ナセル大統領以後
  サダト大統領(1970〜81年) → エジプト=アラブ共和国(1971年) と改称
  → サダト暗殺(1981年)  → ムバラク大統領

  → 第4次中東戦争(1973年)
  アラブ石油輸出国機構(5        )(1968年結成) 、石油戦略をとる
  → 石油危機(1973年) が西側諸国に衝撃

  → 中東和平会談 − 米・エジプト・イスラエル
   エジプト・イスラエル平和条約(1979年、サダト・ベギン)
  → アラブ諸国・PLOは、エジプトと断交
 
C イラン
  1 イラン革命
  @ 国王ムハンマド=レザー=パフレヴィー2世の白色革命
   → 上からの近代化 → かえって貧富の差が増大
  A イラン革命(1979年)  → イラン=イスラム共和国成立
   (6       ) − シーア派最高指導者
   → イスラム原理主義をとなえ、反米・反ソ政策
    イランのアメリカ大使館員人質事件(1979年)
    イラン=イラク戦争(1980〜88年)
 
【アフリカ諸国の独立】
 → 1950年代以降、独立があいつぐ
  リビア(← イタリア) 、チュニジア(← 仏) 、モロッコ(← 仏) 、ス−ダン(← 英)    (7     )(1958年、セク=トゥーレが指導)

 → 1960年、17の独立国がうまれる − 「8         」
 → 国連15回総会は植民地解放宣言を採択
     
A 独立紛争
 1 (9     )(1957年独立、最初の黒人共和国)
  (10       )大統領が指導 → 1966年、失脚
 2 アルジェリア(1830年代にフランスの植民地)
  1954年、民族解放戦線(FLN)結成 → 独立闘争が激化
  → (11       )大統領が(12      )協定(1962年、スイス) で   独立を認める
 3 コンゴ
  (13     )紛争(1960〜65年) − ベルギー軍介入
  → (14      )(初代大統領、1960〜61年。暗殺) が国連軍派遣を要請

  → 1963年、(15          )(OAU)の結成
   独立諸国首脳会議で調印(30ヶ国、エチオピアのアジスアベバ)
  → アフリカ諸国の統一と団結、生活の向上、植民地主義の消滅
       
  → 南アフリカ共和国(1961年、英連邦より脱退)
  (16         ) − 白人政権による人種差別
  → 黒人解放運動の活発化 → 1991年、終結が宣言       
 
【インド・東南アジア】
A インド共和国
 1 ネール首相(1947〜64年)
  @ (17       )(1954年、周恩来と)にもとづく中立政策
  A 中国との国境紛争(1959〜62年)
   → 1962年、 大規模な武力衝突
  B カシミール戦争(1965年)  
   カシミール帰属問題でパキスタンと争う → ソ連が仲介
 
 2 インディラ=ガンディー首相(ネールの娘、1966〜77年)
  @ インド=パキタスン戦争(1971年)
   → 東パキスタンをバングラデシュ人民共和国として独立
  A 核開発に成功(1974年)
  B 暗殺され(1984年) 、長男のラジブ=ガンディー首相(インディラの子)
  
B マライ半島
 1 マラヤ連邦(1957年)  − イギリスから独立
  → 1963年、英領ボルネオと合体して、マレーシア成立
  → 1965年、(18       )は別個の独立国
 
C インドネシア共和国
 1 スカルノ大統領(1945〜67年)の独裁
  @ 共産党の勢力進出 → 中国との提携を強化
  A 1965年、国際連合脱退
 2 スハルト大統領(1968年〜)
  @(19       )事件(1965年、共産党のクーデタ失敗)を機に共産党は一掃 
   → 軍部が政権を握る、スカルノ失脚
  A 国連に復帰(1966年) 、親米路線、スハルトが大統領に(1968年)
 
D ヴェトナム戦争(1965〜73年)
 1 インドシナ戦争(1946〜54年) − フランスとの抗争
  ジュネーヴ休戦協定後、南ヴェトナムはヴェトナム共和国となる
  (→ 北はヴェトナム民主共和国)
 2 南ヴェトナム
  ゴ=ディン=ディエム大統領の専制政治で政情不安定
  → 1960年、(20           )戦線が結成
  → アメリカは南ヴェトナム政府を支援し、大軍を派遣
   1965年、北ヴェトナムへの北爆開始
   1968年、米大統領(21      )の和平提案
        → パリ和平交渉がはじまる
        → 一時、戦闘はラオス・カンボジアにまで拡大
   1972年、パリ和平交渉再開
   1973年、パリ和平協定が調印 − アメリカ軍の撤退
   1975年、首都(22      )陥落
   1976年、(23          )共和国が成立
        首都(24     )
 
 3 カンボジア
  @ 1949年、フランスから独立、元首シアヌーク
   → 1970年、親米派のクーデタで、シアヌーク解任
   → 1975年、ヴェトナム戦争終結とともに、親米政権が倒れる
  A 民主カンボジア政府(1976年)
   ポル=ポト政権の極端な共産主義政策
   → ヴェトナム軍が侵攻
   → カンボジア人民共和国(1979年) を樹立 − ヘン=サムリン政権
    ポル=ポト派・シアヌーク派との内戦がつづく
 
【中国】
 → 毛沢東の「大躍進」政策の失敗
   人民公社による集団化(第2次五カ年計画) → 経済の混乱、生産の衰退
 
A (25     )国家主席(毛沢東にかわる) の改革(1959〜68年)
 1 経済の復興(人民公社を小規模化)
 2 (26  )爆発実験に成功
 
B (27       )(1966〜70年)
 1 学者・芸術家への圧迫から政府要心の失脚に発展
  → 紅衛兵造反団が出現、政府や党の要職にある人々を激しく攻撃
  → 劉少奇が攻撃の対象となる

 2 毛沢東が軍の指導者(28    )が結んで、劉少奇打倒をはかる
  資本主義の復活をはかる者 = 実権派として追放
  (29      )制廃止、中国共産党の一元化指導
 
C 中国の近代化推進
 1976年、(30     )首相、毛沢東死去
  → 「四人組」(江青ら) 逮捕のクーデタ
  → 華国鋒、首相兼党主席となる。文化大革命の路線を修正
  → 近代化政策推進、「31        」をめざす
  → C小平が復活、最大の実力者となる 
 
D 国際的地位の向上
 1971年、国連の代表権が認められる(台湾にかわる)
 1972年、アメリカの中国接近
       日本も国交正常化(台湾との関係を絶つ)
 1978年、日中平和友好条約
 1979年、米中の国交正常化
 
【朝鮮】
A 朝鮮戦争後も対立つづく 
 1 大韓民国 
  1960年、学生中心の四月革命で(32     )は失脚
  → 政局は不安定
  → 朴正熙のクーデタ(1963〜79年) − 日韓基本条約(1965年)
  → 朴暗殺(1979年)
  → (33     )大統領(1980年)  
 2 朝鮮民主主義人民共和国 − 金日成の指導
 
 
 
 
☆ 重要語句
スエズ運河国有化宣言 第2次中東戦争 アラブ連合共和国 PLO
第3次中東戦争 第3次中東戦争 第4次中東戦争 OAPEC 石油戦略
ガーナ アフリカの年 バングラデシュ エンクルマ インディラ・ガンジー  
カシミール ヴェトナム戦争 南ヴェトナム解放民族戦線 北爆 パリ和平会談
スハルト 大躍進政策 人民公社 文化大革命 中国共産党十一全大会 劉少奇
林彪 C小平 華国鋒 

☆ 重要年代
スエズ運河国有化宣言 ヴェトナム戦争の終結