最近の情勢

 

   4 最近の情勢
 
 「反米」抱くアラブ民衆
 「読売新聞」2003年12月21日朝刊・日曜解説(波津博明氏)の記事より
    
 フセイン拘束で幻想消えたが・・・ ぬぐえぬ閉塞感  
 解放者装った英の野心  
 「わが軍は、征服者や敵としてではなく、解放者としてやってきた」。米軍司令官の言葉ではない。英軍司令官スタンリー・モード中将が、第一次大戦中の一九一七年三月・オスマン帝国軍を破ってバグダッドに入城した時の宣言だ。翌年、大戦で連合国が勝利すると、旧オスマン領アラブ地域では、勝利の主役だった英国が覇権を確立する。アラブ諸国やイラン、トルコなどを「中東」(ミドルイースト)と呼ぶのは、実は英植民地省の命名に発する。英国がこの地域に与えた決定的影響がわかろう。「中東」とは、「欧州」や「アフリカ」のような地名ではなく、英国から見た位置なのである。  
 大戦中、英国はアラブ人を対トルコ反乱に決起させるため独立を約束していた(マクマホン書簡)。一方、ユダヤ資本の協力を得るためユダヤ人の「民族的郷土」を。パレスチナに作ることも認め(バルフォア宣言)、フランスとは中東分割を取り決めた(サイクス・ピコ協定)。英国が中東に強い関心を抱いたのは、領土的野心のほかに、帝国の富の源泉・インドへ通じる道、という面もあった。一九○八年にイランで最初の油田が発見されてからは、これに石油への思惑も加わる。  
 モード中将の言葉にかかわらず、英国には、アラブを「解放」する気などなかった。大戦後中東は、英仏協定を基礎に、イラク、ヨルダン、パレスチナは英が、シリアとレバノンはフランスが支配することになる。英仏の都合で切り分けられた中東は、その後の紛争の種をふんだんに抱え込むことになる。イラクはその典型だ。
 
 紛争頻発人工国家イラク  
 現在のイラクは、北部がオスマン帝国時代のモスル州、中部がバグダッド州、南部がバスラ州に当たる。それぞれクルド人、スンニ派、シーア派が支配的集団だ。この異質な三州を合体させて「イラク」を作った英国は、さらに、分断支配のためにバスラ州の一部クウェートをイラクから切り離した。以後、イラクではクルド人との民族紛争が恒常化した。また、「クウェート回復」の要求が続き、これが湾岸戦争の伏線になった。今、中東で米国の脇役のような顔をしている英国こそ、問題の大半を作り出した。  
 その英国が、第二次大戦後、頭を抱えたのは。パレスチナだった。かつての三枚舌外交のせいで、ナチによる大虐殺の後、「安住の地」を求めるユダヤ系欧州人が大挙して移住を始め、土地のアラブ人住民との間で流血を含む紛争が頻発したからだ。手に負えなくなった英国は、問題を国連に投げ出した。  
 国連では、パレスチナをユダヤ人とアラブ人に分割する案が作成され、四七年十一月の総会にかけられた。この分割案は、土地の6%しか所有しないユダヤ人に国土の53%を与える内容で、反対・慎重論も強かった。  
 だが、翌年に大統領選を控えたトルーマン米政権は、ユダヤ票も意識してか、途中から慎重姿勢を変えて集票活動を行い、分割案は総会で採択された。  
 「ユダヤ人国家」イスラエルは翌年五月に独立を宣言。これを認めないアラブ諸国との間で第一次中東戦争がぼっ発し、アラブ住民百二十万人のうち七十万人以上が難民になった。  
 
 「英雄」サダムに希望見る  
 イスラエルはその後、アメリカの中東戦略の要となった。今や年間の軍事経済援助は三十億ザの巨額にのぼる。アメリカでは、ユダヤ教徒だけでなく、キリスト教徒の間にも、旧約聖書をもとに「パレスチナは神がユダヤ人に与えた土地」と見る考え方が強い。親イスラエル感情はアメリカの中東政策に大きな影響を与え、「和平の仲介者」とは言いながら、イスラエルの利益をパレスチナ人の権利より優先させてしまいがちだ。  
 英米にほんろうされてきたアラブ民衆にとって。パレスチナは「アラブが受けた不正」の象徴だ。  
 難民発生から半世紀以上。六七年の第三次中東戦争でイスラエルがヨルダン川西岸とガザを占領してから三十六年。イスラエルに断固とした態度を取るアラブ指導者がほとんどいない中、フセインは、「パレスチナ解放」を叫び、湾岸戦争前には「イスラエルが占領をやめれば、イラクもクウェートから撤退する」と、。パレスチナ問題を力をもって解決するかのようなかっこうを見せた。彼がアラブ民衆の「英雄」になったのは、閉塞状況の結果ともいえる。  
 フセインが自殺もせずに拘束されたことで、アラブ民衆の幻想が消えるとすれば、悪いことではない。問題は、国際社会が受け入れ可能な現実を用意できるかどうかである。
   
 英国の石油戦略   
 英国で石油を燃料とする駆逐艦第1号が進水したのはイラン石油発見の翌年1909年。海相チャーチルは1914年、イランの石油産業を独占していたアングロ・パーシャン(後のアングロ・イラニアン)石油会社株の51%取得に成功する。同社は、1920年に発足のイラク石油会社とともに、英国の中東石油支配の二本柱となる。
   
 パレスチナ分割案をめぐる国連総会での集票工作  
 総会に先立つアドホック委員会での表決は、加盟57か国中、賛成25、反対13だったが、分割案は総会で有効票の3分の2が必要な「重要事項」のため、1票足りなかった。米国とユダヤ人組織は、援助カットの警告や買収を含む激しい工作を展開、総会では賛成を33に増やし(反対13)、分割案を採択させた。
 
 
 
  
【ソ連邦と東ヨーロッパ】
A ソ連邦の民主化
 → ゴルバチョフの登場(1985年書記長、1990年大統領)
  1 (         )原子炉事故(1986年)
  2 (         )による経済・政治の再建
    1989年、最高議会議長をかねて政治権力を掌握
    → 国内の諸問題とたたかう
  2 外交 − 「冷戦」の終結
   1985年、米ソ首脳会談 − 米ソ関係の修復
   1989年、(        )から撤兵
         中国と和解
   1990年、韓国と国交
   1989年12月、(     )会談 − 冷戦の終結
 
B 東ヨーロッパの情勢
 1 ポーランド
  (     )が合法化、非共産主義の連立内閣が成立
  → 1990年、ワレサが大統領就任
 2 ハンガリー
  複数政党制が復活、共産主義を放棄
 3 東西ドイツの統一
   ホーネッカー書記長(東ドイツ)が退陣
  → 「          」をくずす、西ドイツとの国境を開放
  → 東西ドイツ統合の機運
  → 1990年、コール首相(西ドイツ)の主導で、東西ドイツ統一
 4 チェコスロヴァキア
  ドプチェク(「プラハの春」で追放)が復権
  平和革命(「ビロード革命」)が実現、ハベル大統領の就任
 6 ルーマニア
  チャウシェスク独裁政権が打倒される
 
C 最近の情勢
 1 ソ連邦で複数政党制・大統領制が認められる
  → ゴルバチョフが大統領に就任
  → 1991年8月、共産党保守派のクーデタが失敗
  → 改革派のロシア共和国大統領(        )の権力増大
  → 独立独立国家共同体が成立 → ソ連邦の消滅
  → ゴルバチョフ辞任
 2 リトアニア・ラトヴィア・エストニア独立
 3 ユーゴスラヴィア
  クロアティア・スロヴェニアの独立、
  セルビア・モンテネグロが新連邦を宣言
  内戦がつづく
 
【アメリカ合衆国とラテン=アメリカ】
A アメリカ合衆国の情勢
 1 レーガン大統領
  1985年、ソ連のゴルバチョフと会談
  1988年、(         )全廃条約
 2 ブッシュ大統領
  1989年、米ソ和平を確認
  1989年、パナマ侵攻
 3 クリントン大統領(民主党)
 
B ラテン=アメリカ
 1990年、(        )・チリで独裁政権が倒れる
 
 
【アジア諸国】
A 西アジア
 1 イラクの(       )侵攻
  → 多国籍軍(アメリカ軍が中心)がイラクを攻撃