東ヨーロッパ世界

 

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 ユスティニアヌス  ヴァンダル王国征服  「ローマ法大全」  
   
 
 ユスティニアヌス   戻る
 527年8月1日、ユスティニアヌス(44)が、コンスタンティノープル(現イスタンブル)でビザンティン皇帝として即位した。イリュリア(現クロアチア)の農家に生まれたユスティニアヌスは、伯父ユスティヌスを頼って都へのぼった。518年に伯父が66歳で帝位に就くと、彼が実質的に国政をつかさどっていた。当時、地中海の西半分はゲルマン諸部族が占有していた。即位したユスティニアヌス1世は、西方のこの旧ローマ帝国領土回復をめざす一方、内政では法典編纂や、大土木工事をおこなう。また、サーカスの踊り子テオドラを、法律を変えてまでして妻に迎えている。6世紀の地中海世界は、このユスティニアヌス1世を中心に展開していくことになる。 
 
 ヴァンダル王国征服   戻る
 北アフリカへ遠征していたビザンティン帝国の将軍ベリサリオス(29?)は、ヴァンダル王国征討をはたして、534年の暮れに帰還した。首都コンスタンティノープル(現イスタンブル)では、皇帝以外では異例のこととなっていた凱旋式を行ってベリサリオスをたたえた。将軍は、ヴァンダル王以下の捕虜と莫大な戦利品を連ねて市内を行進、皇帝と市民の待つ競馬場へ入場した。このときの戦利品に、ヴァンダルがローマ略奪のおりにアフリカに持ち去ったユダヤの宝物があった。これはかってローマ皇帝ティトゥスがユダヤ人の反乱を鎮圧したさいに、エルサレムから持ち帰ったものであった。それを見つけたユダヤ人は皇帝ユスティニアヌス1世に請願、皇帝はこれをエルサレムへ送り返しキリスト教会へ納めた。
 
 「ローマ法大全」   戻る
 533年、法典編纂事業をすすめていたユスティニアヌス1世(50)は、市民法大全(「ユスティニアヌス法典」または「ローマ法大全」ともよばれる)に署名した。法学者トリボニァヌスを長とする編纂委員会は、3世紀以来の勅法学説を集め、まとめあげた。ユステイニアヌス1世のローマ帝国復興政策にとって、法典編纂は大きな柱となるものあった。
 
 このころ、戦車競走の応援団「青派」と「緑派」の対立による事件は、日常茶飯事だった。しかし、両派が合同して皇帝ユスティニアヌス1世に対し、蜂起したのである。原因は、長期遠征とそれにともなう増税にあった。「ニカ(勝利せよ)」を合いことばにしたことから、この反乱は「ニカの反乱」とよばれる。  
 皇帝は宰相ヨハンネスなどの不人気な高官を更迭して収拾を図るが、反乱は全市に拡大し、反皇帝派の元老院議員たちも同調。弱気になった皇帝は逃亡を準備したが、皇妃テオドラ(32?)の「帝位を捨てて生きのびようとてなにになりましょう。皇帝こそが最高の死装束でございます」という強気の発言で気を取り直した。532年1月18日将軍ベリサリオス率いる軍隊が、競馬場の反徒に襲いかかり全滅させた。1週間続いて首都を焦土と化した大反乱は、この日の大量殺戮(死者3万人)で終結した。
 
 
 
 【ビザンツ帝国】
 A ビザンツ帝国(東ローマ帝国)
  1 首都:コンスタンティノープル(旧名ビザンティウム、現在イスタンブル)
  2 民族大移動の影響は少ない → 独自の世界
  
 B ユスティニアヌス帝(在527〜565年、6世紀) ― 全盛期
  1 一時、ローマ帝国の旧領を回復
   (1      )王国(北アフリカ)、(2     )王国(イタリア)を征服
    西ゴート王国(イベリア半島)、(3     )朝ペルシアに遠征
  2 (4       )(ユスティニアヌス法典) ― トリボニアヌスらの編纂
  3 セント=ソフィア聖堂を建てる(ビザンツ式)
  4 絹織物 ― 中国から蚕卵をえて養蚕
  
 C 帝国の衰退 ― ユスティニアヌス帝の死後
  1 異民族の侵入
   (5      )(6世紀) 、フランクの進出(8世紀) → イタリアを失う
   (6     )朝ペルシア、イスラム教徒の進出
               → エジプト・シリアを失う
   (7     )民族の移住、ブルガール族の国家形成(第1次ブルガリア王国)
  2 マケドニア朝(867〜1057年)
   外民族を討ち、一時盛期を現出
  3 (8        )朝の脅威(11世紀)
   小アジア進出 → 皇帝アレクシオス1世、ローマ教皇に救援を依頼
   → 十字軍の遠征が開始
  4 第(10  )回十字軍 
   首都を占領、帝国が一時滅亡 ― (11    )帝国(9    )年
  5 滅亡
  (12    )年、(13     )帝国(メフメト2世)によって
  
 D 社会
  1 帝国の再建策
   @ 屯田兵制、(15    )制(テマ制)
    皇帝16         (7世紀)、中央集権をはかる
   A (17      制(11世紀)
    軍役奉仕を条件に、地方有力者に国有地を貸与 → 封建化
  2 (18     )主義 ― 皇帝が政治・宗教の最高の地位
  3 (19   )経済が衰えない(→西ヨーロッパとの違い)
    首都コンスタンティノープルの繁栄 = 世界商業の中心
  
 E 文化の特色 ギリシア文化とギリシア正教を中心に独自の文化をうむ  
  @ 美術  円屋根と(20     )壁画を特徴とするビザンツ式建築 
    ユスティニアヌス帝が建設した(21        )聖堂
    ラヴェンナのサン=ヴィターレ聖堂
   A 学問  ギリシア古典の継承・研究 → (22      )に影響
    
 【スラブ民族の自立】
  → (23      )山脈一帯を原住地
   → ゲルマンの移動したあとにひろがる
  
 A 西スラブ族 → 西ヨーロッパの影響をうけ、(24      )に改宗
  1 ポーランド人
   @ ポーランド王国建設(10C) → 14世紀カシミール大王のもとで発展
  A バルト語系のリトアニア人はドイツ騎士団の東方植民に対抗し、ポーラ
  ンドと合体 → リトアニア=ポーランド王国(ヤゲロー朝 15C 全盛)
  2 チェック人
   (25     )(ボヘミア)王国(10C)
   → 11世紀、(26     )帝国の支配下に入る
   → 15世紀、フス戦争(チェック人のドイツ人に対する反抗)
  
 B 南スラブ族 → バルカン半島に南下。ビザンツ帝国の支配をうけ、ギリシ         ア正教に改宗
  1 セルビア人
   12世紀、ビザンツ帝国から自立。14世紀、大セルビア王国の発展(バルカン北  部を統合)  → オスマン=トルコの征服
  2 ブルガール族
   アジアのブルガール族と南スラブ族の合体
   → 12〜14世紀、ブルガリア王国建設 → オスマン=トルコの征服
  
 C 東スラブ族 → ロシアに拡大
  1 9世紀、スェーデンのヴァイキングのリューリク兄弟が(27      )  公国建設 → ロシアの起源。まもなくスラブ化
  2 オレーグが(28    )公国建設
   → 10世紀、(29         )の時、最盛期
    ビザンツ皇帝の妹と結婚、ギリシア正教に改宗
   → 13世紀、モンゴル人の侵入 → キプチャク・ハン国の支配
  3 1480年、モスクワ大公(30       )の時、キプチャク=ハン  国より独立。ビザンツ皇帝の後継者 − (31    )と称する  
  
    
 ☆ 重要語句
 ビザンツ帝国 ローマ法大全 セント=ソフィア聖堂 皇帝教皇主義
 軍管区制 屯田兵制 ビザンツ式建築 モザイク壁画 ギリシア正教会
 ヤゲロー朝 ノヴゴロド公国 キエフ公国 ツァーリ 農奴制 
 カシミール大王 ウラディミル1世 イヴァン3世 イヴァン4世
 モスクワ大公国
  
 ☆ 重要年代
 ビザンツ帝国の成立と滅亡    

 


 

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