4 十字軍と都市の発達
コンスタンティノープルに対する脅威
ァンダル王国征服
第1回十字軍
第2回十字軍
第3回十字軍
第4回十字軍
第5回十字軍
十字軍の影響
中世都市の成立
コンスタンティノープルに対する脅威 戻る
1071年、セルジューク=トルコは小アジアのバン湖の北岸マラズギルドで数千のビザンツ軍を敗走させ、小アジア奥深くまで進軍し、ビザンツ帝国の国土の半分以上を奪った。ビザンツの人々は、彼らをサラケーノス(東方人)とよんだので、「サラセン」という言葉が、東方のイスラム教徒をさす言葉となった。
1074年、グレゴリウス7世の教皇就任の年、ビザンツ皇帝ミカエル7世の初めての援助要請がおこなわれた。教義の対立でお互いに破門しあってキリスト教会が東方と西方に分裂したのがわずか19年前であったことを思うと、皇帝の行動がいかに差し迫ったものであったかがわかるのである。しかし、神聖ローマ皇帝との叙任権闘争のため、東方遠征は実現しなかった。
1095年教皇ウルバヌス2世(在1088〜99年)のとき、再びビザンツ皇帝アレクシオス=コムネノスから軍事援助の要請があった。
十字軍 戻る
エルサレムにあるキリスト教の聖地を巡礼者を迫害するイスラム教徒から奪還するというのが、十字軍の大義名分である。巡礼者は税金などを取られはしたが、聖地の神殿からしめだされたりはしなかった。
あふれるような宗教的情熱やイエスが歩んだ土地に対する崇拝の念が人々をとらえていた。しかし一方で、ローマ教会は、東方のギリシア教会に対して支配権をひろげる教会合同の絶好の機会と考え、王や領主たちは新しい富と土地が手に入れられることを期待した。一般の農民も十字軍に加われば、教会が過去の罪を償う悔悛の赦免や債務の延期を約束していることに望みをたくした。
1095年、フランス中部のクレルモン「十字軍宣言」をおこなう宗教会議が開かれた。各地から枢機卿・司教・貴族がきらびやかに集まった。教会の外の広場には、身分の低い人たちが一杯つめかけていった。教皇ウルバヌス2世教会は行事に参列したのち戸外に出た。彼は、このアジアへの神聖な遠征に参加するものは、外套や服に十字軍の印をつけよと宣言した。ウルバヌスが語り終わったとき、群衆の中からどよめきがおこった。「デウス、ウォルト」(神様が望んでいる)という叫びであった。群衆の多くは自分の外套を引き裂いて細長い布切れにし、十文字をつけたのである。
アミアンの隠者ペテロなど説教者が各地で扇動した。髪の毛はのび放題、ぎょろりとした目、話し方は立て板に水。このころ多くの人々が、今までの狭い範囲での生活から逃れるために、ローマの聖ペテロの墓やヴェネツィアの聖マルコの墓へ巡礼の旅をしており、聖地に旅するものも多かったのである。この巡礼の動きと宣伝が結びつき、ヨーロッパのキリスト教国は興奮の坩堝に投げ込まれた。
ドイツでは「異教徒を殺せ」という動きが起こっていた。シュパイエル・マインツ・ヴォルムスなどの町に住むユダヤ人が多く殺された。正式な遠征計画がたてられているうちに、民衆は自分たちだけで動き出した。農民は手にした農具を放り出し、フランスから2隊、ドイツから3隊がドナウ川へ向かって進み始めた。5万人におよぶ寄せ集めの軍隊には、幼い子供連れの家族もあった。哀れをとどめたのは子供たちであった。新しい町に着くたびに、ここがエルサレムなのかと悲しげに聞くのであった。途中で、病気や疲労で死ぬものも多く、1096年の夏遅くにコンスタンティノープルに到着した人数は、出発したうちのほんのわずかであった。東ローマ皇帝アレクシオスは、この飢えた生き残りの人々を船でアジアに送り込んだが、彼らはそこでトルコ人に討ち取られてしまった。(民衆十字軍)
第1回十字軍 戻る
1099年7月15日、5週間にわたる包囲ののちエルサレムは陥落。ユーフラテス川の上流エデッサを占領しエデッサ伯領、ほかにトリポリ伯領、アンチオキア公領、エルサレム王国。以上を聖地4国という。少数の騎士を残して、遠征軍はいったんヨーロッパに引き上げる。翌年、この占領地に入植、増援するために、約20万のヨーロッパ人が東方をめざしたが、1101年の秋、ほとんど全員が小アジアでトルコ人の攻撃をうけて殺されてしまった。
東ローマ皇帝の娘アンナ=コムネーナは、十字軍士のことを「いつも金銭に飢えて、大口をあけた亜麻色髪の畜生ども」といっている。
第2回十字軍 戻る
エルサレム北方の前哨基地エデッサが陥落したため、フランス王ルイ7世とドイツ皇帝コンラッド3世が参加した。しかし、エデッサを奪還しようともせず、2年間をむだに費やしたのち、ダマスカスで敗退してこの十字軍は消えてしまう。
東方への到着の前におこなわれたわき道の遠征が、主な意義(イギリスとフランドルの十字軍がモール人からリスボンを略取)。東欧への遠征も十字軍とみなすという教皇の声明があったため、サクソン人とデーン人の一隊が異教徒ヴェンド族を征服するためエルベ川を越えている。
第3回十字軍 戻る
1187年、サラセン人の指導者サラディンが、聖戦ジハードを唱えてエルサレムを攻め落とした。ここに第3回十字軍がおこなわれる。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、フランス王フィリップ2世、イギリス王リチャード1世。フリードリヒ1世は、遠征途中小アジアで渡河の途中おぼれて死んでしまい、フィリップ2世はアッコン陥落後、リチャードと仲たがいしてさっさと引き上げてしまった。イギリスのリチャード1世がひとり東方にとどまり、サラディンと戦ったが、1192年サラディンと和平協定を結び、リチャードも引き上げた。
サラディンの示す騎士道精神 ─ ヤッファでイギリス王リチャード1世と戦ったとき、彼はリチャードの乗馬がたおれたことを知ると、すぐに馬丁に2頭の駿馬をひかせてリチャードに贈った。また、エルサレムのキリスト教徒が町を退出したときには、全財産を持ち出すことを許し、非武装であれば自由に従来どおり聖地を訪れてよいとの許可を与えている。
第4回十字軍 戻る
狡猾なヴェネツィア総督は、この十字軍を商業的な目的に利用した。ヴェネツィア人と十字軍はキリスト教徒の港町ザラ(ヴェネツィアの商売敵)を占領、さらにもっと多くの報酬を求めてコンスタンティノープルを包囲した。1204年コンスタンティノープルを攻めおとして略奪を働いた。コンスタンティノープルを中心にラテン帝国(1204〜61年)がたてられ、領土は諸侯や騎士に分割された。ヴェネツィアはコンスタンティノープルの3/8を手に入れ、商業上の特権も獲得した。コンスタンティノープルが同じキリスト教徒の手で攻撃されたことは、深い衝撃を与えた。教皇インノケンティウス3世はあらためて聖地遠征を要請をしたが、十字軍は動こうとせず教皇の期待は裏切られた。
第4回十字軍は、本来の目的から脱線し、ビザンツ帝国を救うどころか、これを滅ぼしてしまった。ヴェネツィアや諸侯の欲望を満足させただけであった。
その8年後哀れな少年十字軍 ─ フランスでクロワェのエティエンヌという12才の牧童が羊の世話をしていたとき、キリストが現われてエルサレムへの子供十字軍を組織するように告げたと言い出した。大人たちが笑っているうちに、約3万のフランスの少年たちがマルセーユまで進んだ。しかし、奴隷商人が彼らをだまして船に乗せ、北アフリカやエジプトのサラセン人に売り渡した。同じ年の2万人からなるドイツの少年十字軍は、イタリアより先に進むことはできなかった。
第5回十字軍 戻る
1216年、ドイツ皇帝フリードリヒ2世(バルバロッサの孫)の十字軍。彼はアラビア語を含め6ヶ国語を話す。ストゥポルム・ムンディ(世界の謎)とよばれた。教会の教義に懐疑的であったため告発され破門されていた。教皇に破門されていた君主が指揮した外交的十字軍であった。彼は軍を率いて東方に到着すると、エジプトのスルタンを訪問して意気投合し、一回の戦闘を交えることなく、エルサレム・ベツレヘム・ナザレを協定によって手に入れた。
しかし、1244年再びエルサレムはサラセン人に奪われる。1291年、最後に残っていたアッコンがイスラム教徒の手に落ちる。この後も十字軍のこころみは時折見られるが、聖地回復という目標を達成することはできなかった。
十字軍の影響 戻る
十字軍を提唱したことで、教皇の威信は高まるが、後期十字軍から指導力の限界がみえた。諸侯や騎士たちは没落するが、国王は彼らの遺領をあわせたりしてその力を強める。北イタリアの諸都市は、十字軍士や物資の輸送を通じて東方貿易での地位を不動のものとし、新航路の開拓まで繁栄を続けることになる。第4回十字軍の攻撃をうけたビザンツ帝国は約50年後に復活するが、もはや昔日の繁栄をとりもどすことはなかった。
中世都市の成立 戻る
ローマ帝国の盛時には、地中海を中心に通商がさかんであったが、ローマ帝国の末期には自然経済の傾向が強まった。アンリ=ピレンヌによれば、地中海貿易を破壊したのはイスラムの進出であり、それによりヨーロッパは閉鎖されて農村社会となってしまったという。7世紀後半からのイスラムの地中海進出によって地中海貿易は途絶し、西ヨーロッパは孤立して、東方の物産はフラン王国から姿を消し、貿易に従事する商人も見られなくなった。こうして商業の消滅がいくところまでいった9世紀には、ローマ時代に建設された都市もさびれてしまう。
農業技術の進歩 ─ 有輪重犂、繋駕法の改良、三圃農法などの普及が農業生産力を増し、余剰生産物によって養える人口が増えると、しだいに交換経済がうながされ、経済活動が周囲にひろがっていく。これが11〜12世紀にかけての商業の復活である。中世都市はこの商業の復活の中から、司教の所在地(キビタス)や諸侯の城砦(ブルグス)を足がかりに成立してくる。
中世に展開する遠隔地貿易は、南と北でのニ方面でのヨーロッパ外の世界との取引きによって促された。一つは、イタリア都市による東方貿易で、もう一つは、北海・バルト海からロシアをへてビザンツ帝国にいたる商業路であった。そして、北方の商業圏と地中海の商業圏を結ぶものがシャンパーニュ地方の定期市で、そこにはヨーロッパ各地から商人が入り込んで繁栄した。(シャンパーニュの定期市 ─ 中世ヨーロッパの内陸交通の要地にあり12・3世紀に栄える。1・3・5・6・9・10月の計6回開かれた。
イタリアの都市、とくにべネツィアは十字軍の前からコンスタンティノープルやエジプトと通商関係を持っていたが、その東方貿易は十字軍によっていっそう活発となった。もっとも栄えたのはべネツィアとジェノヴァで、通商の主導権をめぐって激しく争ったが、十字軍を機としてべネツィアがジェノヴァを抑えて東方貿易を独占した。ヨーロッパから毛織物や銀をもっていき、アジアの香料や奢侈品と交換した。
また北ヨーロッパでは、ハンザ同盟を中心として、バルト海沿岸のと西ヨーロッパを結び商業が始まった。この商業の展開に刺激されて、フランドル地方やイタリアのフィレンツェなどに毛織物工業がおこる。また、南北の商業圏を結ぶものとして、フランスにシャンパーニュの定期市が開かれたことは先ほど述べた。
はじめバルト海貿易にたずさわったのは、ノルマン人であった。彼らはデンマーク海岸を出発してノブゴロドを訪れ、ときにはロシアを縦断してビザンツ帝国にまで達したといわれる。ドイツ商人の貿易への参加は遅れるが、まもなく独占的な地位を占める。
北ヨーロッパの通商はハンザ同盟(ハンザとは仲間の意味)により支配された。ハンザ同盟成立の動きは12世紀に見られるが、活動の盛期は14世紀で、リューベックが中心都市。1300年ごろには北ドイツの都市はほとんどすべて加わり、14世紀後半にはハンザ都市の数は70以上に達した。海外にはロンドン・ブリュージュ・ノブゴロドなどに商館を置いて通商の根拠地とした。
フッガー家は、ドイツ・アウグスブルクの大商人で、ドイツの銀鉱山の経営で巨富を積んだ。
11世紀前後からの「商業の復活」をきっかけとして中世都市が形成されたのであるが、これらの都市は自治権を封建領主から勝ち取る闘争を展開した。これを自治権闘争(コミューン運動)という。こうしたコミューン運動が11世紀後半から12世紀後半にかけて、ライン・セーヌ川の間の各地で次々とおこった。その際結成された組織を、都市誓約団体という。自由な商工業市民で構成される自治団体としての中世都市の誕生である。
中世都市の商工業者はギルドをつくった。ギルドには商人組合と手工業者の同職組合(ツンフト)とがある。自治権闘争にさいして、一般の商人や手工業者を指導して勝利へと導いたのは有力な商人グループであった。この流れをくむ商人グループは12・3世紀を通じて市参事会を独占し、都市の自治を支配する門閥となっていった。同職組合は、13世紀ごろには、ほとんどすべての製造業にあらわれている。同職組合は都市内の同一産業に従事する手工業者が集まったもので、外に対しては営業の独占、内では組合員相互の平等と連帯を目的とした。そのため、原料の仕入れ、生産物の品種、数量、労働時間などを厳重に統制した。
都市の手工業の技術は、徒弟制度によって伝授された。それは親方・職人と定の三者からなり、この中で親方だけが同職組合を構成した。
徒弟は大体10歳頃から奉公し、徒弟期間は4年から長いものは12年などいろいろであったが、一人の親方の持つ徒弟は1人から2人ぐらい。ドイツでは職人は数年間各地を遍歴して修行する義務があった。
コミューン運動の主要な担い手は、商人グループを中核とする上層市民。やがて、都市の経済活動の中で、手工業の比重が高まるにつれて、手工業者の市政への参加要求が高まり、14世紀になると激しい闘争がおこる。この闘争をツンフト闘争炉いう。
都市には周辺の農村から多くの農民が移住。その場合でも一定期間(多くは1年と1日)年に居住すると、自動的に自由身分を取得するという慣行が確立。「都市の空気は自由にする」。
【十字軍】
A 十字軍の要因
1 封建社会の安定、農業生産力の高まり、人口の増大
→ 西ヨーロッパ世界は外部への発展機運が生じる
2 民衆の信仰の高まり
→ 聖地イェルサレムへの巡礼者が増加
B 十字軍のはじまり
1 (1 )が小アジアに進出
→ (2 )皇帝アレクシオス1世がローマ教皇に救援を求める
2 (3 )公会議(1095年)
→ 教皇(4 ) → 聖地イェルサレム回復を決議
C 十字軍の経過(第1回と第5回が聖地回復に成功)
→ 第1回 (1096〜99年) 聖地を占領し、(5 )王国建設
→ 第3回 (1189〜92年)
アイユーブ朝の(6 )が(7 )王国をうばう
→ イギリス王リチャード1世、フランス王フィリップ2世(途中で帰国
)、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(途中で死亡)の十字軍
→ リチャード1世とサラディンの戦い
→ 第4回 (1202〜04年)
教皇(8 )が提唱
→ (9 )商人の要求で、コンスタンティノープルを占領
し、1204年、(10 )帝国を建てる
→ ヴェネツィアが地中海の商権を独占
→ 第5回 (1288〜29年)
皇帝フリードリヒ2世が、外交で一時聖地を回復
→ 第6回 (1248〜54年) ・7回 (1270年)
仏王(11 )がイスラム教徒の根拠地、エジプトやテュニスを攻
めるが失敗 → ルブルクをモンゴルへ派遣し同盟を求める
※ 1291年、アッコン(キリスト教徒の最後の根拠地)が陥落
→ 十字軍は最終的に失敗に終わる
D 十字軍の利害 − しだいに純粋性を失う
1 教皇の意図 → 東西両教会の統一をめざす
2 諸侯・騎士の欲求 → 分捕品の獲得をねらう
3 都市(ヴェネツィア・ジェノバなど) の商人 → 商権の拡大(イスラム教徒・東ローマの商人に対抗)
4 農民 → 負債の切り捨てや身分上の自由をもとめる
→ 少年十字軍の悲劇的結末
【十字軍の影響】
A 宗教的影響
1 宗教騎士団の成立(聖地への巡礼者を剣をもって防衛するため、若い貴族が戦う修道士となる)
@ (12 )騎士団
のち東ヨーロッパへの植民(東方植民)に活躍
→ プロイセンの起源となる
A 他に、ヨハネ騎士団・テンプル騎士団など
2 教皇権の最盛期をむかえる
(13 )の時
→ しかし、十字軍の失敗と国王の活躍で、教皇の権威はゆらぎはじめる
B 政治的影響
騎士・諸侯が没落し、(14 )の権力が高まる → 中央集権化がすすむ
C 経済的影響
イタリアの海港都市は東方貿易を発展させる
→ ヨーロッパ内部の通商を活発化
D 文化的影響
ヨーロッパ人の視野の拡大、イスラムや東方の文物が流入
E 十字軍と平行した西ヨーロッパ世界拡大の動き
イベリア半島の国土回復運動や、ドイツ騎士団を中心とする東ヨーロッパへ の植民(15 )
【中世都市の成立】
→ 中世初期
ローマ帝国の滅亡と民族大移動で通商が衰え、人々は農村に住み荘園を中心 に自給自足の生活 → 古代都市は衰える
A 商業ルネサンス(商業の復活、11〜12世紀)と中世都市
1 商業の復活の要因
@ 農業技術の進歩、生産の高まり
→ 余剰物資の交換 → 定期市の発生
A イスラム商人やヴァイキングの商業活動による刺激
→ 貨幣による交換経済がすすむ → 定期市は都市に発展
B (16 )の影響で交通路が発達 → 遠隔地商業が発達
2 地中海商業圏 − イタリアの都市
@ 海港都市
(17 ) − 第1回十字軍で活躍
(18 ) − 第4回十字軍で活躍
ピサなど
A 内陸都市
ミラノ・(19 ) − 毛織物業や商業
東方から胡椒などの(20 )や絹を輸入
アルプスの北とは、絹・香辛料を(21 )などと取り引き
3 北海・バルト海商業圏
(22 )・木材・毛織物・穀物などがおもな商品
@ 北ドイツ都市
(23 )、ハンブルク(エルベ川下流)など
A フランドル地方
ガン、(24 )(羊毛工業)、アントワープなど
C その他
ロンドン − 北海貿易の中心地
4 北ヨーロッパ商業圏と地中海商業圏をむすぶ通商地帯
@ フランス
(25 )地方 − 国際的な定期市で有名
海港 − ルーアン、マルセイユ、ボルドー
内陸 − リヨン
A ドイツのライン川流域
ケルン、マインツなど
B ドイツのドナウ川流域
ニュルンベルク、(26 )(銀)など
【都市の自治権獲得】
A 自治権獲得の方法 → 領主の支配から独立
1 武力による闘争
2 貨幣で自治の特許状を獲得
→ ドイツの諺 「27 」
3 自治権の強弱
@ イタリアの都市 − 周囲の地域を含む、商人中心の独立共和国
A ドイツの都市 − 皇帝直属の自由都市(帝国都市)として諸侯と同じ
地位
B 英・仏・スペインなど、王権が強く(28 )化がすすみ、都市
の自治権は早く衰退
B 都市同盟の目的 − 貿易の独占と保護、封建勢力に対抗
1 (29 )同盟 − ミラノを盟主とする北イタリア都市
2 (30 )同盟 − 北ドイツ都市を中心
@ (31 )を盟主、14世紀に全盛(ロンドン・ノヴゴロドに商館) 、デン
マーク王の海軍撃破
A 16世紀以降衰退 → 17世紀解散
【市民の自治】
A 市政とギルド
はじめ大商人が市政と(32 )ギルド(11世紀、商人や手工業者を含む) の運営を独占
→ のち手工業者が(33 )(craft guild) をつくって分離し、
市政参加の闘争(ツンフト闘争)をし、市政への参加を実現
B ギルド
1 目的 − 営業と市場の独占と、構成員間の相互扶助
2 厳重な徒弟制度の存在(同職ギルド)
(34 )(正規の組合員)・職人(有給)・(35 )(年季奉公)
C 中世都市の大富豪
1 アウグスブルクの(36 )家 → 銀山経営と金融業
2 フィレンツェの(37 )家
@ コシモ=デ=メディチ(国父、15世紀前半)
A ロレンツォ=デ=メディチ(15世紀後半)
☆ 重要語句
クレルモン公会議 第1回十字軍 イェルサレム王国 第3回十字軍
第4回十字軍 ラテン帝国 ドイツ騎士団 中世都市 遠隔地商業
ヴェネツィア ジェノヴァ ピサ フィレンツェ ミラノ ハンブルク
リューベック ブリュージュ アウグスブルク マルセイユ リヨン
シャンパーニュ地方 フランドル地方 自治権 自治都市 自由都市
ハンザ同盟 商人ギルド 同職ギルド 徒弟制度 フッガー家
メディチ家
☆ 重要年代
十字軍の開始
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