ルネサンス

 

              第9章 近代ヨーロッパの誕生
 
                  1 ルネサンス 
 
 ルネサンスとは  イタリアのルネサンス  マキャベリ  ホッブス
 ルソー  ダンテ  ミケランジェロ  科学や技術の発達     
   

 ルネサンスとは   戻る  
 イタリアが東方貿易を独占した結果、都市と市民層の興隆がもたらされ、独自の市民文化を育成する基盤ができた。そうした繁栄にもとづいて学芸を保護・奨励した。  
 中世人の生活を束縛してきたローマ=カトリック教会の権威から、人間の本性を解放することを当面の目標とし、その出発点をキリスト教に影響される以前のギリシア・ローマ時代の古典文化と、これを創造した古代人の生活に求めようとした。  
 14世紀末から16世紀中ごろにかけて、イタリアで、美術や文学を中心に文化の著しい興隆がみられた。一般にこれをルネサンスとよんでいる。  
 人間性を宗教の中世的桎梏から解放するとともに、合理的な思考や生活態度に道をひらき、近代文化の先駆をなしたとされている。  
 ルネサンス期の文化人たちが、自分の担っている新文化の興隆を、古代文化の盛時と彼らの時期との間に横たわる中間時代、すなわち中世の文化沈滞からの復興とみなすと同時に、その復興の主な内容として、自分たちの祖先のものとしての古代の学問や芸術の再生を認めていた。
   
 中世の束縛からの人間の解放
     

 

 

 

 

近代の出発点

 

 

古代

中世

ルネサンス

近代

人間的

合理的

 

封建的な不自由

カトリック支配

 

古代に範

人間解放

 

人間的

合理的


 
 イタリアのルネサンス   戻る  
 文化面におけるこうした新しい息吹が、12・13世紀以来のイタリア都市の経済的繁栄と、それを支えた東西仲介貿易での、東方先進文化との接触を背景とした。  
 ルネサンスの運動は、まず北イタリアの諸都市からはじまる。それはこれらの都市が、東方貿易により繁栄できたからである。そのなかでも、最も早くルネサンスの口火をきったのはフィレンツェである。フィレンツェは、ベネチィアやジェノヴァなどの海港都市ではなく、内陸の都市・毛織物・絹織物工業都市として急速に繁栄。15世紀には、国際商業でベネツィアと肩をならべるほどになる。  
 イタリアがローマの故地であったことや、ギリシア・ローマ文化を保持していたイスラム教徒やビザンツ帝国と東方貿易で交渉していたなど。ビザンツ帝国の滅亡(1453年)前後に、多くの学者がやってきて、ギリシアの古典を伝えた。彼らは、メディチ家やナポリ王や教皇の保護のもとに研究をつづけたので、学芸は大いに振興された。
 
 マキャベリ 「君主論」(世界の名著P91)   戻る  
 「傭兵が戦場に赴こうとするのは、ほんの一握りの給料が目当てで、ほかになんらの動機もなんらの感情もない。しかも、その給料は、あなたのために進んで死ぬ気をおこすほどのものではない。  
 仲間のうちでは勇猛果敢だが、敵中に入れば臆病である。神に対する畏れをもたず、人に対しては信義を守らない・・・。こんにちのイタリアの没落は、長年にわたって、こうした傭兵軍のうえにあぐらをかいてきたのが原因になっているからである。  
 
 P105  
 「なにごとにつけても善を行うと広言したがる人は、よからぬ多くの人のあいだにあって、破滅せざるをえないものである。ゆえに自分の身を保持しようとする君主は、よくない人間となりうることを習う必要があり、また、この態度を時に応じて行使したり、行使しなかったりする必要がある。  
 
 P528  
 なぜなら奴隷として甘んじて生きる人を解放しようとすることは、自由を渇仰している人を奴隷の境地に落とすのと同じくらい困難で危険なことだからである。
   
 「この道を歩め。人をして語るにまかせよ」(マルクス)
   
 内田義彦 「社会認識の歩み」(岩波新書)  
 「君主論」― 人の実際の生き方と、人間いかに生きるべきかということは、はなはだかけ離れている。さしあたって、テレビの調査で「これはいい番組ですか」というのと「どの番組を見ますか」というのと同じであるかどうか、考えておいていただきたいと思います。  
 マキャベリが書くのは、直接には、君主たるものが政治をするための忠告ですが、同時に普通の人間への忠告でもある。・・・環境の操作。ヴィルトゥとフォルトゥナ。フォルトゥナ・運命、人間は運命に包み込まれている。ヴィルトゥというのは、運命・環境を操作する主体の働き。  
 君主のヴィルトゥ、君主たるべき者のもつ徳(=統治術)として彼が詳細に述べているもの。
 例 ― 君主論の中で最も有名なところ
 「いったい君主にとって、愛されるのと恐れられるのはどちらがいいか」― と彼は問題を出す。
 「誰も両方を兼ね備えていることが望ましいと答えるであろう。だが、この二つを同時に具備することは難しい。したがって、かりにそのどちらかを捨てて考えなければならないとすれば、愛されるより恐れられるほうが安全である。というのは、人間については一般に次のことが言えるからである。そもそも人間は恩知らずで、むら気で偽善者であつかましく、身の危険は避けようとし、物欲には目のないものである」
 「そこで、あなたが恩を施している間は、みなあなたの意のままであり、血も、家財も、生命も、子供すらあなたに捧げてくれる、といっても、それはそういう必要性が迫ってくると、彼らは反抗する」  
 ─ あなたのためなら命をさしあげますと言っていたのが、たばこ一本というとまたかと嫌な顔をする。結局、政治というのは最終的に暴力しかないだろう。それが政治の世界である。その時は必ずくる。だから、最初からそれを先取りして政治の世界でやるべきであると彼はいう。だが、政治の世界としてはもっと大事なことがある。それは何か。
 「それにしても、君主は、たとえ愛されなくても、人から恨みを受けないようにして、恐れられる存在にならなければならない。つまり恐れられること、恨みをかわないことは、りっぱに両立しうるのである。これは、君主が自分の市民と領民の財産や、彼らの婦女子にさえ手を出さなければ、必ずできることである ─ 。だが人間は、父親の殺されたのはじきに忘れてしまっても、自分の財産の損失はなかなか忘れないものであるから、他人の持ち物には手を出さないようにしなくてはならない。」  
 彼はこの本を外交官としての経験をもとに書いた。
 
  P109  
 統治者のための政治論。具体的には何の何兵衛がなるか知らないけれども、とにかく統治者というものが、民衆と別にあるということが始めから前提にされている。つまり政治の主体たる統治者と、政治の素材である民衆が前提とされたうえで、国王といわれるべきほどのものは何をせねばならぬかが述べられている。  
 大づかみにいうと、政治の主体たる統治者と政治の単なる客体としての民衆が始めから分けられたうえで、有効性の観点から統治の形態が論じられているにすぎない。政治のハウトウが論じられる。  
 ところがホッブスになると・・・・彼の前提とするのは人間だけです。その人間が集まって生活を営むために、いかなる条件がいるかということが、人間の分析から導き出される。自明のもの、自己目的として捉えられているのは、ここでは人間たちだけ。  
 それが自然状態を設定したという意味。ルールはその自明なものの存在のためにある。  
 ホッブスは次のようなことをいう。(P107)  
 私が(ホッブス)が、人間は人に対して不信の念をもつ存在だというと反対意見を出す人があるかもそれない。しかしそういう人は自分の胸に手をあてて考えてみよ。あなたは家を出るときにカギをかけないか。あるいは家の中でも金庫にカギをかけないか・・・あなたは他人に対する不信を自分自身が行動で証明している。
   
 ホッブスの「リヴァイアサン」   戻る  
 人間はすべて生まれつきの力において平等である。平等が不信をよぶ。しかも平等者の不信は先制攻撃を生むから、万人の万人に対する闘争という状態がでてくる。  
 しかしまた同じ自己保存の念が、平和への要求として働く。戦争状態をやめるために理性によって国家をつくる。主権者たる者に強大な力をあたえる。主権者のもつ力は、生まれつき平等な人間たちが作りあげた集合力である。  
 素材である人間の性質から出発 ⇒ 自然法学
   
 P114  
 人間は社会を成して存在しているものですから、ルールがたしかに要ります。またルールには強制力がともなう。これは避けられないと思いますが、ルールが、またそれを強制する国家が正しいという保障はどこにもない。・・・・・自明なものは生きている人間、諸個人なのであって、ルールや国家はそのためにある。だから存在の立証責任はルールや国家の側にある。そのことを確認して理論をつくったという意味で、ホッブスの諸説は現代に生きていると思います。
 
 ルソー「人間不平等起源論」   戻る
 私有財産制度を基礎とする不平等な社会が、どういうふうに発生してきたか。またそれがどういうふうにして、それ自身の矛盾によって崩壊してゆくかを述べたもので、歴史叙述の形をとっている。・・・・彼自身、この本にでてくる自然状態というのは、そのままの形では、かって地上に存在しなかったし、将来も存在しえない状態だ。
 
 P143
 ホッブスは国家を研究するにあたって、自然状態にある人間を考察することから始めた。しかしホッブスのいう自然人は私有財産によって歴史的にすでに変化した社会人であって、ほんとうの自然人ではない。社会の歴史のなかで作られたものだとすれば、すでに体制によって汚染・変質された人間。私有財産制度によって、規定される以前の人間こそ自然人としなければならない。
 
 社会の基礎を検討した哲学者は、みな自然状態までさかのぼる必要性を感じた。しかし、だれ一人としてそこへ到達した者はなかった。なぜか。哲学者と称する、人間を考察することを業とする者たちは、私有財産制度による汚染・変質をもっとも強くうけた人間たちである。彼らは「権力と世評」を最高善とし、他人において「自己に対立する存在」しか見出せない。「他人の成功を見る悲しみ」(ホッブス)を日毎味わわねばならぬその彼が、自分の胸にききつつ、人間を観察しても、自然の人間と程遠いものを「人間の本質」として見出す結果になるのは理の当然。
  最初の単純な人間精神の働き
 1 身の安全と保存に関心をもたせるもの(自愛心、自己愛)
 2 すべての動物、ことにわれわれ同胞の苦しみを見ることを嫌悪するよう、われわれを仕向けるもの(憐憫・共感─ピティエ)
 
 私有財産制度とそれに基づく社会がでてくるまでは、人間はこういう自愛心と憐憫・共感だけをもっていた。本来の人間の性質はそういうものであった。
 ところが私有財産制度ができ、人間が社会生活を行うようになると、人間の性質が変化してくる。
 第一に、自愛心にかわって利己心 ─ 自己のものを他人のそれより増やしたいという本能。
 第二に、共感にかわって、他人に対する対立の意識がでてくる。
 こうして社会が発展するにつれて、「自愛心と憐憫」にかわって、「利己心と対立意識」が出てき、時の流れとともに、あたかもそれが人間本来の性質であるかのように固定してくるのですが、その変質は歴史の発展の波にのった人間、上流社会の人間や文化人にとくに強く現われ、歴史から取り残された庶民には自然人の感情が残っている。
 だから、自然状態の人間と、文明社会の人間という二つの型の人間は、同じ時代をとって、その断面をみると、下層社会の人間と上流社会の人間、または庶民と文化人との階層における類型的なちがいとなる。
 
 P149
 ルソーは本来人間を社交的な自己完成能力をもつ動物と考えていた。つまり個人としても種としても無限に発展していく能力を、その素質(=自然)のなかにもつ点で、他の動物と異なるものと考えていた。ところが現実の世界では自己完成能力という、本来人間を動物以上のものにするはずのものが、万人の万人に対する闘争という動物がみたら笑うであろうようなものに人間を変えてしまった。そのかぎり歴史の歩みは、社会についても個人についても、人間が自然を失ってゆく過程としてあらわれるのだが、こうした歴史のネガティブな把握は、じつは人間本来の本質である自己完成能力をゆがまないまま発展させる方法を探究するための作業。
 
 P138
 同僚が出世したりすると、くやしい!と思いながらも、「あなたよかったわね。あなたの仕合せな顔を見ていると涙が出そう。お茶でも飲みましょうよ」とコーヒーショップで楽しげに語らいながら、「こんちくしょう。いつ足をひっぱってやろうかな」などと思っているのは、よく経験することであるが、それが文明人というものだとルソーはいうわけです。
 「あなた仕合せですね」と言われてはじめて「私は仕合せなのであった」と思い、「いいステレオをお持ちですね」とほめられて、「なるほど、おれはいいステレオを持っていたのであるぞ」と思う。人にほめられなければ、いったいおれは何のために財布をはたいてステレオを買ったのか、わけがわからなくなってしまう。それは文明人の善を総括するものが、「権力と世評」だからというわけです。
 
 自分自身に生きよ!

 ダンテ   戻る 
 ダンテ(1215〜1321年)といえば、西洋最高峰の詩人です。彼にとってはベアトリーチェという一人の女性が生きる源泉だった。
 少年の日から彼女を慕い続け、18歳のとき、道で再会した。
 彼は感動を「新生」と題する詩につづる。そして彼女への思いを「どう表現すればいいか」悩むなかで、ダンテは新しい詩のスタイルをつくりだしていく。まさに、彼女がダンテの芸術の扉を開いてくれたのです。
 しかし、ベアトリーチェは、他の男性と結婚し、若くして死んでしまう。それでも、ダンテはベアトリーチェを愛し続けた。それが、結果として彼の心を高貴なものに鍛え高め深めていく。ライフワークの「神曲」では、ベアトリーチェは、ダンテ自身を天上界へと導いていく尊貴な存在として描かれている。
 ダンテにとって、ベアトリーチェは終世、自身を深め、高めていく「向上の源泉」だった。
 
 ミケランジェロ   戻る
 30代初めごろから、彼はローマ法王(ユリウス2世)の依頼で、法王の墓の計画に取りかかっていた。だが、彼への嫉妬に狂っていた有名な建築家(ブラマンテ)が法王に取り入り、その計画を中止させてしまった。
 建築家は法王に墓の計画をやめさせ、かわりにシスティナ礼拝堂の天井画の仕事を、ミケランジェロに押しつけた。なぜだろうか。罠ではなかったでしょうか。無理難題を与えて、失敗は目に見えていた。彼は「彫刻家」であって「画家」を本業とは思っていない。ミケランジェロにも自分に恥をかかせようとする企みはわかっていた。しかも、すぐ近くの壁画によって若き天才ラファエロが名声を博していた。
 それと比べられると、ミケランジェロの失敗は、ますます目立ってしまう。しかし、彼は法王のたちの強引な力で、とうとう引きうけざるを得なくなった。周囲には役に立つ人材は一人もいなかった。その巨大な仕事を、すべて一人で始めねばならなかった。
 一説では建築家ブラマンテには、嫉妬のほかにミケランジェロを失脚させたい別の理由があった。彼は道楽者で放蕩のための金をつくるため、建築に悪い材料を使って「金」をうかせていた。この不正をミケランジェロが見破っていたことが、彼には恐ろしかったのである。
 ただ一人、薄暗い堂にこもり、20メートルもある天井に足場をかけて、ひたすら首を上にかけ、自分で壁の土をこね、絵の具をつくり、黙々と描きつづけた。
 彼は絶えず法王と喧嘩した。「芸術の世界では、俺が法王だ」というプライドがあったんだ。また始終、金をせびりにきて、彼を食いものにする兄弟たちにも苦しめられたようだ。一度、せっかく描きあげた絵にカビがはえてだめになった。疲れのあまり、死ぬかとさえ思った。
 完成まで4年かかる。1512年、37歳で完成。天井画の公開のとき、ローマ中の芸術家・名士が集まった。
 300年近くあと、ローマを訪れたゲーテは言った。(「イタリア紀行」)「この絵を見ずには『一人の人間が一体、何をなし得るか』を目の当たりに見て取ることは不可能である」
 ミケランジェロの首は、あまりにも長い間、天井に首を向けていたために、なかなかもとに戻らないほどだったと言われている。
 
 ミケランジェロの「ダビデ像」。高さ5メートル以上。堂々たる威容である。フィレンツェのミケランジェロ広場に「ダビデ像」(複製)は建っている。26歳のときに着手した作品。3年後に完成。(1504年)
 ミケランジェロの{ダビデ像}には、際立った特色があるといわれる。それは何か。言うまでもなく、「ダビデ」とは、古代イスラエルで宿敵の巨人(ゴリアテ)を倒し、祖国を救った羊飼いの「無名の青年」である。
 それまで。「ダビデ」といえば、敵の首を討ち取って踏みつける「勝利の場面」として描かれていた。(1440年ごろ、ドナテルロのダビデ象など)
 しかし、ミケランジェロは違った。彼は戦い終えて勝ち誇ったダビデではなく、まさにこれから戦おうとする挑戦の姿、出発の姿を彫ったのである。
 敵を一点に見つめて動かない、鋭いまなざし。ミケランジェロは「ダビデ」の像によって、人間とは「罪深いあわれな生き物」ではなく、「自らの知性と意志と勇気で人生を切り開いていく主体的な存在」であることを訴えようとしたのではないかとされる。
 当時、フィレンツェの自由と独立は、内外ともに危機にさらされていた。
 ミケランジェロの「ダビデ像」は、議会の広場の中央に置かれ、困難に立ち向かう市民の団結を大いに鼓舞したのである。
 勝利を誇る姿 ─ それも美しい。しかし、それ以上に美しく、気高いのは、「さあ、戦うぞ」という挑戦の姿であろう。勝ち誇る人間、ミケランジェロは、そういう人間を彫ろうとはしなかった。
 
 科学や技術の発達   戻る   
 コペルニクス(ポーランド人)は「天体の自転」と題された著作を1543年に出版し、教皇パウルス3世にささげた。そのなかで、地動説が明確にのべられ、天体に対して地球が中心を占めているという中世の宇宙観はくつがえされた。自らの理論があまりにも革命的であることに驚いたコペルニクスは、発見後30年たってからそれを公開している。  
 天文学と並んで、魚類額の創始者・フランスのロンドレ、鉱物学のドイツのゲオルク=パウエル、解剖学のフランドルのヴェルサリウスなど、自然科学が発展。
 
 
 
   
 【ルネサンスと人文主義】
 A ルネサンス(Renaissance) とは 
    ※ フランス語で「再生」の意味
  1 人間精神の革新をめざす文化運動
  2 時期は(1    )世紀から16世紀
  3 イタリアにおこり、アルプスの北方(西ヨーロッパ)に広まる
  
 B 人文主義、あるいは(2    )主義(ヒューマニズム) − 根本精神
  1 中世の支配的観念(カトリック教会の権威)を打破 
  2 ギリシア・ローマの古典文化の研究をつうじて、人間の品性を高めようと  する動き
     → 人間本位の立場、個性の自由な発揮をもとめる機運
  
 【イタリアのルネサンス】
 A イタリアの情勢 
  1 (3      )時代以来、(4    )貿易の独占
    → 都市が繁栄、市民階級が市政を掌握向上
  2 政治的不統一(多くの都市国家や君主国が分立)と争い
  → 中世的な価値観が動揺 → 新しい生き方・考え方が求められる
  
 B イタリア=ルネサンスの背景
  1 古代ローマの伝統がのこる
  2 古典文化の継承・流入
   @ イスラム世界からイスラム文化とギリシア古典が流入
   A ビザンツ(東ローマ)帝国滅亡前後 → 学者のイタリアへの移住
  3 (5     )家など大富豪、(6     )ら教皇の保護
  
 C 14世紀の文化 − (7        )(東方貿易・金融業・毛織物工業で有名) が中心
  ○ 文学
   (8      ) − 「9    」を(10     )語(イタリア語の方言)で書              く。国民文学の祖
    (11      ) − 叙情詩人
    (12       ) − 「13      」(十日物語)
 
  ○ 絵画
   (14     ) − 「聖フランシスコの生涯」
              → ルネサンス様式のさきがけ  
 
 D 15世紀の文化 − フィレンツェの富豪(15      )家の保護
  ○ 建築
  ブルネレスキ −  サンタ=マリア大聖堂の円蓋を設計  
  ○ 彫刻 − ドナテルロ 
  ○ 絵画 − (16        ) − 「ヴィーナスの誕生」「春」
  
  → 15世紀末、フィレンツェでは、独裁者メディチ家と共和派の争いが激化
 
 E 16世紀の文化 − 中心がローマにうつる → 教皇が保護者
  ○ 政治学 − 政治を宗教や道徳から切りはなす
   (17       )の「18    」
     → イタリア統一と謀略の統治策を説く  
  
  ○ 絵画
   (19             )
      「20      」、「モナ・リザ」
   (21       )
      システィナ礼拝堂の「22      」や「23      」
   (24      )  − 多くの聖母子画
  
  ○ 建築
   (25        )大聖堂の建立(← 教皇ユリウス2世、レオ10世)
  (26       )(ルネサンス最大の建築家) やラファエロ、ミケランジェロが参
      画
 
 F 限界と衰退
  1 (27        )の影響
    世界商業の中心が地中海を離れる → イタリア都市の衰退
  2 (28      )戦争(神聖ローマ皇帝カール5世とフランス王フランソア1世) で国土荒廃
  
   → 16世紀前半、ルネサンスの中心はアルプスの北へ移動
  
  3 メディチ家や教皇など権力者の保護で発展
   → 貴族的性格をおびる。真の市民文化となれず
  
 【他の国々のルネサンス】
 A ネーデルラント − 遠隔地商業の中心、(29  )織物業の発達など
  ○ フランドル画派
   (30         )兄弟 − 油絵を開始
   (31        ) − 農民生活を描く
  ○ (32       )(16世紀最大の人文主義者)の「33      」
     → 教会の腐敗を攻撃
  
 B ドイツ 
  ○ 人文主義者
   (34       ) − ヘブライ語の研究
   メランヒトン − ルターに協力して宗教改革で活躍
  ○ 画家 
   (35       )の「四使徒」
   ホルバイン − エラスムス、トマス=モアの友人
   
 C イギリス・フランス・スペイン → 国王の保護
  1 イギリス
   (36       )(イタリアに学ぶ)  − 「37         」
         → 「デカメロン」ににる。ロンドンの方言で書く (38        )(エラスムスの友人。ヘンリ8世に反対、刑死) − 「39       
 」→ イギリス社会を批判(囲い込み運動 「羊が人間を食う」)
    シェークスピアの「ハムレット」など
   (40           ) − 経験論(帰納法) 「新オルガノン(新機関)」
  
  2 フランス − 国王フランソア1世(→レオナルド=ダ=ヴィンチを保護)が保護
   (41      ) − 「ガルガンテュア物語」
         → 巨人親子を中心とした風刺文学
 (42        ) − 「43     」(ボルドーの市長、モラリストの祖)    
 
  3 スペイン − 地理上の発見後の繁栄
   (44       )(レパントの海戦に参加) − 「45        」
         → 滅びゆく騎士道を風刺  
 
 【技術と科学精神のめざめ】
 A ルネサンスの三大発明 
  1 火砲(火薬 - 中国から伝来) → 戦術が一変、騎士階級の没落
      → 14世紀、ドイツで火砲が発明
  2 羅針盤(中国から伝来) → 大洋航海を可能 → 地理上の発見を促す
      → 宋で使われるが、14世紀イタリアで改良
  3 活版印刷術 − (46         )(ドイツ人)の発明といわれる
    → 製紙法の伝播とむすびつき、思想・文化の普及
    → 宗教改革の成功(聖書やルターの著書が出版される)
         
 B 科学精神の発達
  1 天動説から(47   )説へ
 @ (48        )(16世紀。ポーランド、「天球回転論」) − 地動説をとなえる
   A ジョルダーノ=ブルーノ(16世紀、イタリア)  → 火刑
   B (49           )(17世紀、イタリア) 「それでも地球は動く」
   C (50     )(ドイツ)  − 惑星運行の法則を発見
   D (51       )(イタリア) − 地球球体説  
 
 
     
 ☆ 重要語句
 ルネサンス 人文主義 フィレンツェ 神曲 デカメロン 最後の晩餐 
 モナ=リザ ダヴィデ像 君主論 サン=ピエトロ大聖堂 ダンテ ペトラルカ
 ボッカチオ ジオット ボッティチェリ レオナルド=ダ=ヴィンチ
 ミケランジェロ ラファエロ ブラマンテ マキャヴェリ 愚神礼賛 
 ガルガンテュア物語 随想録 ドン=キホーテ カンタベリ物語 ユートピア 
 ハムレット ファン=アイク兄弟 ブリューゲル エラスムス デューラー 
 ラブレー モンテーニュ セルバンテス チョーサー トマス=モア 
 シェークスピア 火砲 羅針盤 活版印刷 グーテンベルク コペルニクス 
 ガリレオ=ガリレイ 地動説   

 


 

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