
須磨の海釣り
(2005.10.15 録)
一年ぶりに須磨海釣り公園に出かける。やや時季遅れの感あるが「小あじ」のさびき釣りをする。金曜日の午後だったが意外に釣り人は少なかった。大抵は暇つぶしの老人たちである。
久しぶりにこの海釣り公園にきて驚いたのは、最先端の「ロ」の字形に連なるメインの釣り場の先端がすぱっと無くなっていたことである。
どうやら台風の高波で押し流され、基幹の橋脚を残し上部橋梁全体が海中に沈んでしまったのだろうか。この海底には漁礁代わりに神戸市電の古い車両を沈めたと聞くが、それと同じ運命になったのか。
「釣り台補修工事中」の看板があり出入り禁止、絶好の釣り場には陣取りもできない、残念だが止むを得ない。そこで第二釣り台、管理塔の下に坐り、西向けに仕掛けを垂らす。

本日は中潮で満潮は午後5時過ぎ、釣り始めた時刻は2時過ぎ、西に流れる潮はやく、釣糸が横に流されて釣りにならない。そこで重い錘につけかえて2時間あまりねばってみた。結果は狙いの「小あじ」は一尾もあがらなかったが、長さ10センチほどの「イサギ」の子を20尾ほど釣り上げた。
好天で澄みきった青空、微風頬に海の香りもほのかで、爽快な半日の釣り行だった。
来年二月開港する神戸空港の発着試験飛行が先日来続けられており、双発機が時間をおいて上空を通過する。東方海上はるかに見える埋め立ての空港を飛び立って、西に向かい明石海峡大橋の上空を飛ぶ機影を追ったり、波間の沈む釣り糸を見おろしたり、退屈しない釣りでもあった。
この海釣り公園のロケーションはすばらしい。南は全面大阪湾を、西は明石海峡をはさみ淡路島や明石海峡大橋、海峡を過ぎる九州、四国行きの大型フェリーや外国船の群。


目を北側に転ずると、そこにはかの源平合戦でなじみある山が海浜に至り、「古の須磨の関此処なり」である。国道、JR、私鉄の各線が狭い海岸に併行し、往来する電車や自動車は後を絶たず、それらの光景を眺めていると、むかし「船上から源氏の軍勢を一望した平家の公達」の気持ちが察せられる。こうして眺めを楽しみながら釣り糸をたれると、釣果などあまり気にならない。
人出は少なかったが、おりよく居合わせた隣人が同年輩のせいで心安くなり、言葉遣いから同じ神戸住まいと判ったが、話しあううちに遠慮もなくなり、聞けば笑って、
「晩のおかずに形のよい鯵を釣ろう」ときたとのこと、本格的な流し釣りを始め、小一時間経ったころに潮のじあいがよくなり、竿先しなる鯖の入れ食い状態を現出、あっという間に10尾ほど釣り上げた。

針にかかった鯖は海中を右に左に横走りするので、その側で竿をだしている者は、その都度自分の釣り糸がからまないよう竿を上げる。再三にわたる私の仕草に、当の御仁も気兼ねしたのか。
「こんな大きな鯖は5尾もあれば十分や。お宅、よかったら家に持って帰ってや。」
と私のクーラーボックスに釣り上げるごと鯖を放り込むこと都合3尾、とれとれの鮮度のよい鯖を棚ボタで頂戴し恐縮の至り、これで今夜の食事が楽しみとなる。
かれこれ3時間楽しい談笑の後、一期一会の釣り友にふかく礼をいい、家路についた。
・・・ウキともに鯖や走りて腹ひかる・・・
・・・釣り終へて眺むる海や秋没日・・・


零戦のプラモデル
さっそく千数百円払って家に持ち帰り、半日間夢中になって組み立てた。
そして今、半製品の小さな機体を眺め、仕上げの塗装はどんな色にしようかと思案中、なんだか子どものころに返ったようで気分壮快である。
・・・プラモデルこどもに返る秋の昼・・・
零戦のプラモデルはむかし一度組み立てた記憶がある。“TAMIYAの1/48傑作機シリーズNO.16日本海軍零式艦上戦闘機52丙型(A6M5c)”と銘うつ紙箱を開くと、中に小さなプラスチックの素材が小さくおさまっている。
説明書を読むと「この型は戦争中まとまって製作された零戦最後の機種」とある。そうならば、かの「神風特別攻撃隊」出撃の先人達が乗った戦闘機と同じではないか。
(2010.01.07 録)
(2006.12.14 録)
「萬や」の飯
郷里を離れついつい足も遠のいてはいるが、年末になるとどうも気になる。「ひとつ墓参かね帰省するか」ということになった。
高知市からさらに西に車で五十分、到着した郷里の小高い山上の墓にもうでるとそこら辺り茅々たる有様、生い茂る草をみてわが手に余る気がした。仕方がないがそれでもと泥まみれになって作業すること十数分、草をむしり、花を飾り、水をやり、やっと一息ついた。その後、山を下り時計をみると昼に近い。
数日前のインターネット「満天土佐」や「中土佐日記」で町役場の近くに「萬や」という食事処があるのを知っていたので、昼食をとそのあたりを一周するが、動きながらの車外、情けないことに動態視力ともなわず「萬」の字を「草」と読み違え、ついついその店前を通り過ぎ、それではと通りかかった老婦に訊ねた。
すると彼女は私をしみじみながめ、
「あんた、〇〇さんじゃないの?」と言う。
「そうですが」と答えると、
「ほんと!××の〇〇さんにそっくりやねぇ、お墓参りにおいでちょったのですか、それはそれは」のご挨拶。
年格好から同じ歳くらいだが、何処のどなた様かとんと見当がつかぬ、いたしかたないのでただただ頷いてばかり、ひとしきり田舎話を聞かされたあげくやっと本筋の「萬や」にふれる。なんのことはない、先程通過した「草や」が「萬や」だった。
「萬やはその角を曲がったところです」と教えてくれた彼女のことも少々気にはなるが六十年余も昔の記憶を呼びもどすは難儀、やむなく一礼し別れた。
「草や」ならぬ「萬や」は明るく小ぎれいな食事処だった。店に入ると目の前にどかんと大きな竃がすわっている。明るい窓際に坐ると愛想のいいご婦人が出てきた。きょうの献立をたずねるうち「刺身定食」が食べたくなった。
「今日のお刺身定食はビンチョウまぐろと太刀魚ですがどちらにしましょうか」ときく。
久方の帰省だから“かつおの刺身”か、せめて“たたき”をと所望したが、“大正町市場のとれとれの魚”というわけで、本日の刺身定食はこの2品限りとのこと、そこで生のマグロ刺身にした。
昔土佐山内候に納めたという「仁井田米」、この辺では「匂い米」というが、それらしき「めし」が碗に盛られ出された。“まきでたいた炊きたてのごはん”とはこれかと食してみるとなるほど旨かった。日ごろ真っ白いごはんばかりの家内はどうやら匂いが気になるらしいが、わが身にとっては昔なじみ、懐かしい味と香りを十分に堪能した。
食後スモールコーヒー(100円)を追加すると、可愛らしいデザートつきのセットだった、それが右の写真。
・ ・・釜炊きの新米香る昼餉かな・・・
(2006.11.22 録)
家内の買物待つ間、気晴らしに近くの玩具売場をのぞく。家に幼児がいないので玩具売場を覗くことなぞ稀な日常だが、最近はどんな玩具が流行しているのだろうか、あちらこちら見てまわった。
テレビアニメの人気キャラクターがずらりそろって壮観、それも精巧で自動装備である、色彩もあざやか、かって懐かしき木製玩具など隅に追いやられた格好、ここも時勢の波が押し寄せているのかと感傷しきり。
そうこうしながら巡回していると「懐かしや!」昔なじみの「零戦」のプラモデル一式の紙箱が見つかった。
としよりの冷や水
(2005.07.31 録)
やまももの思い出
(2005.07.04 録)

夕刻の散歩道、ときどき一服する公園があり、そこには「やまもも」の木が十数本並んでいる。その木にたくさん実がなり、すでに熟しはじめ、まさに食べごろである。
私が育った田舎では梅雨過ぎから盛夏にかけて、やまもも売りのおばさんが、前後にやまももを入れた大きな籠を天秤棒で背負い売り歩いていた。
潮風があたる山に植えたやまももの実は甘みがあり、そのおばさんの家のやまももはとくに美味しかった。おばさんが家の前で籠を下ろし声をかけると、やまもも好きの父が笑顔をうかべ出てくる。一升枡に山盛り一杯何銭かでやまももを数杯も買い、笊にいれ塩をふりかけ、家族みんなでおやつがわりに食した。
やまももは一粒ごとに吐き出す種が厄介だが、新鮮な赤い実は甘酢っぽい味で、野生の香りもほんのり、食するほどになんともいえない満足感が残る。季節を問わず年中出回るハウス栽培と違い、夏だけの天然果実である。

実はそのやまももが土佐に限られ珍重される果実だとは思いもしなかった。作家の宮尾登美子さんの短編集「楊梅の熟れる頃」に「楊梅−やまもも−は、暖かい潮風の吹く太平洋岸に育つ木ですが、その実を珍重して食べるのは高知県だけではないでしょうか。」と書いているのを読んで知った。
さて、むかしからの親しみで庭に植えた家のやまももは、実もたわわ熟しはじめた公園のやまももとは正反対、いっこうに実を結ばず、まして食を楽しませてくれたことなど一遍もなく儚い夢に終った。
やまももを植えていると、「やまももは雄・雌があるので一本だけ植えても実はならないよ」と家内から苦言受けたが、それは真実だった。「後悔先に立たず」
・・・楊梅のかすかに揺るる梅雨の晴・・・
(2010.02.18 録)
とんかつ蕎麦
(2008.11.14 録)
ジクソーパズル”アンティークグローブ”なる品が届いた。全960個のこまかいピースをうまく組み立てると直径30.5cmのパズル構成の地球儀ができ上がるという代物である。付属品としご丁寧にも木製台座とオリジナルプレートが添付されている。
子供のころによく「地球儀がほしい」と思ったものだが、未だに手にしたことは一度もなかった。先日ふとダイレクトメールで「3−D球体パズル」という地球儀の写真が目にとまった。内容を読むうちに俄然それがほしくなり注文したものである。
その際家内に、「第一、ボケ防止」「第二、世界地理の掌握」「第三、頭脳と手技の錬磨」と、もっともらしく効能を挙げると、「そういう品ならプレゼントするわ」とおっしゃる。勿怪の幸いとはこのことか。
送られてきた品は美麗な箱に納まっていた。逸る心をおさえ開き、中の説明書は手早く斜め読み、さっそく組立てにと心動く。
ところでこの代物、思うようにはうまくはゆかなかった。なかなかに手間がかかる難事である。なにせ地球上大半は海面である。その部分のパズルひとつひとつを手さぐりで合わせるのだ。経度・緯度、日付変更線、赤道の細かい線の交錯だけが僅かなヒント、ジグソーの形線をあわせるのに、かなりの時間を費さざるを得ない。こんなことでは「一朝一夕には成らず」と腹に決めた。
加えて、今日の世界、そのめまぐるしい変わりよう、老輩の知識ではとても歯がたたぬ。とくにアフリカや中東とくると国名さえ覚束ない。本屋に走り、副教材「高等地図帳」まで買い揃えた。
ただいまは難事中の難、太平洋・大西洋・インド洋など海面部分のジグソーパズルを1ピースごと照し合せては、はめこむ作業に精根を果たしている。
「この調子だと一年はかかるねぇ」と家内は皮肉の微笑。
・・・・蝉の声思案も長しパズル手に・・・・
神戸市電が走っていたころ、三ノ宮から王子公園、六甲道行の石屋川線電車道に“熊内四丁目”という停留所があってそこから南に道を下ると「む〇〇」という蕎麦屋があった。
店主は六十歳前後の頑固親父で、友に誘われ暖簾くぐったのだが、一見客の私を一瞥、挨拶もなし、ひたすら調理に余念がない。
「さて何を食べようか」思案、きつねうどんを所望した。するとその親父間髪を入れず「うちにはうどんはおまへん!」と素っ気ない応答。
それからは連日蕎麦屋通い、”とんかつ蕎麦”ばかり。無駄口叩かぬ親父も店に入ってくる私を見かけると、注文も聞かずさっさと“とんかつ”を揚げ始める始末。そのせいかだんだん下っ腹が太くなったように思う。
その後仕事が大阪に移ってからは馴染みの店通いも絶え、数十年後には阪神淡路大地震でその辺り一帯は壊滅、そのまま消息不明となった。
最近たまたまその辺りを歩いてみたが、店のあった所は大きなマンションが建っており蕎麦屋の暖簾はどこにもなかった。いまも蕎麦屋ではよく“とんかつ蕎麦”を注文するが“む〇〇”のとんかつ蕎麦に敵うものはない。
・・・蕎麦喰ひ命継ぎて去年今年・・・
凧揚げを楽しんだ頃
子どもの頃、近くの海浜でよく凧揚げを楽しんだ。正月、男の子の遊びといえばもっぱら戸外での凧揚げだった。育ったのが小さな港町、町の一隅に子ども相手の駄菓子屋があり、その店の親父さんが器用で手作りの凧を売っていた。形は「土佐凧」のひとつ正方形で、割竹を箸の大きさよりやや小さめにしごき、そこそこの長さに切断し骨組み、竹の接点を糸で縛り、表面に障子紙で貼れば白地の凧が出来上がる。後は黒、赤などの絵具を使って縁取り、桃太郎、金太郎、武者などを描くのだが、手際よく仕上がるのを傍で見るのが面白かった。
私の凧は家紋描き、「丸に三の字」の注文、いともやすやす白黒の縁取りで家紋描き外側は紅色で「一丁上がり!」、その凧を家に持ち帰り糸結び、重心をあわせ、三か所に針をさし糸を通して凧が仕上がる。安定保つため凧の下部に長さ一メートルの紙テープを数本しばりつけ、延長数十米のタコ糸をつないで勇躍砂浜に出かける。
冬場山から吹きおろす北風に乗せ南面の海上にむけ凧を揚げるのだが、ヘマをすると海中に落下し凧がなくなる恐れ、そんなスリルがなんともいえず、うまい具合に徐々にタコ糸伸ばすと海上遠くはるか空高く凧が舞うのがなんとも壮快だった。
その日から数十年経ち、わが子が凧揚げした頃の私と同じ年頃になった。某日ふと凧揚げの思い出蘇り、むかし駄菓子屋の親父さんがした手法で凧を作ってみようと思い立った。上の娘は小学2年生、下の娘は4歳だったが、偶の休日遊び相手になってやろうと市場の模型店、文具店で檜材具や用紙、不易糊など買って帰り凧作り、家紋の代わりに商売していた父の商標を描き、絵具で上塗り、タコ糸がなかったので魚釣用のテグスを使い、ひき糸には太目のテグス、それを釣道具のリールに巻きつけ広場に出る。
当時、海が臨める小高い丘の団地に住んでいたので、そこの広場から西風を利し東の空にむかって揚げると意外や意外空高く舞い上がった。
それでも「ここで焼餅を買って食べたなぁ」という記憶がどっかに残っていて、「寄ったついで焼餅でも買って帰るか」と狭い参道を通り抜け、地蔵堂前の家に近づいたが生憎売店ではなかった。「時代も変わり人出も減って商売成り立たずか」とあきらめ、地蔵安置する小さな祠に入ると、なかはシャモジがいっぱい並んでおりそれぞれ願掛けの文字が目に、ほとんどは「合格祈願」の願掛けだった。
肝心のご本尊「石のお地蔵さんは」と覗うと、全身覆う錦糸の布を頭からすっぽり被り、地蔵さんの姿は拝めず。
「まぁーこんなもんか」とあきらめ、祠をさらに奥に抜けると小道があり、道側に可愛らしいお地蔵さんがひとつ鎮座していた。
両手で受け止めるほどの大きさだが、その表情の愛らしきこと!思わず見入ってしまった。いい記念だとデジカメに収める。
やきもち地蔵
(2009.09.21 録)
神戸電鉄「山の街」駅から有馬街道に下りた交差点、向かって右側に白塗りの看板塔が立ち「やきもち地蔵」の文字が目につく。
角の蕎麦屋「吉まん」で食事した後だったがその看板をみて「ちょっと寄ってみるか」という気になり、鉄筋つくりの階段をトントン下りて赤い欄干の小橋を渡ると道の左右には赤い幟がひらひらと風になびいていた。
「やきもち地蔵」は古くから近辺では評判の地蔵さんで、願掛け参りに訪れる人はいまも絶えない。何十年も前のことだが幼い娘を連れこの地蔵さんを訪れたことがある。当時の記憶覚束なく「はて?こんな辺鄙なところだったんか?」と首かしげる始末。
・・・あどけなき地蔵みつめて秋の昼・・・
・・・風やよし遠き空舞ふ親子凧・・・
娘ふたりは凧揚げは初めての体験、空舞う凧を見上げ満足そう、その姿見やり「お父さんは子どもの頃、こうやって遊んだよ」というと「うーん」とうなづいた。凧揚げにまつわる再度の思い出である。
それから更に四十数年、ことし正月たまたま山沿いの広場に行ってみると、幼な子相手に風変わりな洋凧を揚げている若い父親に出合った。世代変り、揚げる凧の形は異なるが、楽しそうな親子を眺めていると、往時のことが思い出され、懐旧の念がこみ上げてきた。

庭にある棒樫が一本立ち枯れてしまった。侘しい冬の庭さらにの風情、そこで庫から電動ノコを引っ張り出し、幹をスパッと切ってしまった。明日が「燃えるゴミの日」というわけで、かれこれ細かく刻みビニール袋に納めた後、作業これまでと骨休めしようとすると窓越しに、
「そこの梅の枝、ちょっと切ってちょうだい」と声かかる。
棒樫のそば貧相な梅の木が一本。標高数百米山上の家の庭なれば、梅も開花遅く未だ蕾のまま、
「花がまだや!もっとおいといたらどないや」と応ずると、
「棚に飾るの」と応え、さらに、
「桜切るバカ、梅切らぬバカ言うでしょうが!梅は切ってあげたほうが残る枝が伸びて良うなるの!」と念押された。
かようなことで蕾の小梅棚上に鎮座。その切り花眺め「春近し」を感ずる。
今朝がたふと目をさますと家外からかすかに「ホーホケキョ・・」と鳴き声。ことし初めての鶯かと起き出る。
そろっと雨戸開け、その隙間から外をうかがう。昨日切取った梅の木あたりかとそのあたりをそっと見たが姿はない。それでもひきつづき「ホーホケキョ・・」の声、かなり高い鳴き声である。
飛び立つ気配なさそうでそこいらにとまっているようである。
「さては」と雨戸を全開、庭全面見回したが声はすれども姿は見えず。そのうち声も止んで、音なくどこかへ飛び去った模様。
初鶯にあいまみえずは心残り。残念がる私に向って「梅が咲くころ、また来るわ」と慰め顔の家内。実を言えば彼女このところ耳遠く今朝の鶯の声なんか全然聞こえなかった筈。そこで、
「あんた、それ空耳じゃぁなかったの」と言いたげな顔。
・・・鶯の鳴声耳に触る雨戸・・・
(2009.07.13 録)
アガパンサス
姉亡き後、ずっとひとり住まいだった義兄が亡くなってからはや八年、身寄りのない人だったのでさびしい弔いだった。
ちょうど夏の頃で紫白の花を咲かせているアガパンサス、義兄が大事にしていた鉢が一株あるのに気づいた家内が、それをたったひとつの形見分けにとわが家に持ち帰り、毎年大事に育てているが今年も梅雨の晴れ間を縫うように四株もみごとに花咲いた。
人命は絶ゆれば後残るは記憶のみ、それも時経てば徐々に薄れるのは世の習い、だが花咲くたびその人となりが話しにのぼり記憶も途切れることがない。
表現に迷うが「故人が花になり延々続いているや」に思われてくる。
今年も暑い夏が近づいた。胸中「故郷の墓に・・」という気がふい浮かぶ。
・・・紫の花びら眺む夏の朝・・・
お隣のワン公
(2008.11.04 録)
旬日前お隣の庭に大きな犬が一匹出現した。黒毛の大型犬、イエロー色やチョコレート色など黒い毛色以外の犬もいるがやはり黒い毛色の犬が一番人気のレトリーバー犬である。
承ればお隣の実家が改築工事とかで臨時のお引越しらしい。環境変わり見知らぬ家に滞在ともなれば内心緊張し穏やかならぬは人間と変わらず、庭に接する裏道を散歩する人・犬あればそれに吠え、玄関先人声あればそれに吠え、日ごろの習性か夕刻ともなれば「うぉーん、うぉーん、うー、うー」と散歩か食事の催促喧しい。
あれやこれやで常には平穏な界隈がにわかに騒々しくなり、近所の顰蹙を買っている。ときにはお隣から「しー、しー」と嗜め声が聞こえるが、それも詮ないか。
このワン公の略称は「キッチャン」。どういうわけか引越し当初からわが家にはきわめて物静かな対応、とくに家内に対しては日ごろ親しい知人に接する物腰?である。私に対しても当初一、二度小さく吠えたきり、こちらが応じ「うゎう・うゎう」とオチョクってやるとすっかり気抜けしたのか、以後垣根越しこちらが「キッチャン、キッチャン」と呼びかけても知らぬ顔の半兵衛、砂場に寝そべったまま「わん」とも吠えない。
家内に言わすと「あんたは完全に無視されてるの!」との判定。だが先日目を合わしたら確か尻尾を軽く振ってたように思うが・・。
ところで今朝方、登校中の女子中学生の三人連れが家の前でさかんに吠えられ、あわてて走り去った。害意なき女の子に吠えかかったりする所作、この犬!真意果して那辺にありや?不可解千万だ。
・・・人乞ひて犬吠へにけり秋の暮・・・
投げ釣り行
(2009.06.07 録)
1970年頃から庶民のゴルフ熱がだんだん高まったが、それまで一般大衆の楽しみといえばもっぱら海や河川の魚釣りだった。身軽で健康的な遊びゆえ全国的に広まったが、その頃は何処に行っても魚種は豊富だし魚影も濃く面白味があった。
当時友人に勧められ投げ釣りを覚えた。日ごろ運動不足気味だったのでその解消にと生来不器用なのを棚に上げ、浜や磯に出かけ魚釣りに興じた。だが釣果はさっぱり、釣った魚も小物か外道ばかり、傍らで家内は「餌のほうが魚より値打ちあるわ」と皮肉り「下手の横好き」と酷評する始末。
その頃のわが家は娘が2人、読書好き中学生の姉と対象的に、外遊びの好きな小学6年生の妹がいた。彼女は魚釣りや旅行が好きだったので晩秋のある日、日本海但馬海岸にと親子連れ立って釣りに出かけた。
早朝神戸の自宅を出る。寝不足の目をこすりながら始発電車で姫路まで、そこから播但線で和田山に、山陰本線に乗換え但馬海岸の「柴山」まで。その駅からとぼとぼと港まで十数分、釣具かついで坂道を下る。やっと突堤に着くと既に地元の釣り人が数人竿を並べていた。それに加わり投げ竿を3本並べる。高い岸壁だが港内を見下ろすと深みがあって魚の気配、皆そこを狙い目に投竿していた。
投げ竿1本を娘に任す。餌つけやリール巻きは彼女次第。残る2本は私持ち、ときどき餌を差し替えてジアイを待つ。その時分、釣果はぼつぼつで「ほどほどの釣りか」と半ばの期待。
数時間の後私の竿先が「ずずっー」と動いた。「すわっ」とリールを巻く、手応え十分だ、引き上げてみると全長40cmほどの「かれい」だった。これまでの釣果では一番の大きさ。いつも小物ばかり釣ってるので「こんな小さいサカナを・・」と笑う家内の顔がそのとき浮かび「これで、どうだ!」と内心ほくそ笑む。
それから小1時間、突然釣竿がしなった。「それっ」とリールを巻くが、こんどは前と違う重たさだ。まるで座布団を引きずるよう、やっと引き上げてみると「かれい」よりさらに丸く平たい厚身の「えい」だった。傍らの釣り人「えいの尻尾は毒があって危ない!早よう尻尾を切れ!」と叫ぶ。そこで手早く尻尾を切り落とし魚籠に入れる。その後は潮具合落ちて当たり続かず、時過ぎる。
結果、釣果は2尾だけだが、かなりの大物、満足して納竿、港近くの食堂であったかい丼物を食して駅に折り返す。
同じ帰路たどり、山陽本線姫路で乗り換えた快速列車内、隣席の壮年客が娘が手に持つ魚籠の「えい」に気づき「ほほう」と声をかける。娘、もの言わぬが得意顔、横のクーラーまで開いてもうひとつの獲物「かれい」を見せた。男客なに思ってか「ほほうー、これも釣ったの?」と愛想顔、娘と笑顔交わす。常には見知らぬ人とは話交わさぬシャイな子だが、このときばかりは「うん」とうなづいて嬉しそう。その横顔はなんとも微笑ましく可愛かった。
それから30数年経った。最近偶々その話題が出たが、そのとき彼女は急に声高に
「あのとき私、大物を釣ったけど逃がしたんよー。針にかかってたのにねー。大きかったよー」と言った。記憶のどこかそんなことがあったようにも思われ「そうやったなぁー」と相槌うったものの「はて?どんな魚だったのかな?」と首かしげる。「蛸だったかな」と思ったり・・。記憶蘇らぬは悔しい限り。いよいよ老人ボケの始まりか。
・・・突堤に秋の日や射す竿納め・・・
ところで先年、明石の県道を走行中一軒の蕎麦屋があって、偶然にも屋号が同じく”む〇〇”とあったので寄ってみた。
すると出された“とんかつ蕎麦”が昔の“む〇〇”の味にそっくり、とんかつの大きさ厚さ、刻み葱、白い二八蕎麦まで似ている。汁も同じ感じ。あまりのことに「もしや」と気になって、それとなく調理場をのぞいたが、あの頑固親父ではなかった。
歳月の経過思えば無理もない。われも古希を疾うに過ぎた。親父の齢なら優に百歳を越す筈。大地震もあった。生きて会える筈がないと悟った。
それはそれとして、昔同様旨い“とんかつ蕎麦”が食べられたこと。「長生きしてよかった」としみじみ思う。
「愛想のない親父だなぁ」と感じたが、友の手前、店を出るわけにもゆかず、仕方ないので友と同じ“とんかつ蕎麦”を注文した。ところがその旨いこと抜群、汁も残さず碗を空けた。