行政・企業・住民との関連からみた湾岸域環境保全活動
小 山 英 二
1.はじめに
瀬戸内海の環境保全運動も30年におよび,その間,埋立反対の訴訟や漁業者による,企業や行政に対する座り込み行動が,瀬戸内沿岸各地で行われた。 また,リオサミット以来,多くのNGOが瀬戸内各地で立ちあげられ,埋立の中止や,汚染と破壊から瀬戸内を守ろうと活発な活動が進められた。しかし,残念ながらそういうNGOの連携が必ずしもうまく行われたとは言いがたい。各NGOはそれなりに行動をおこし,一定の成果を上げてはいるが,まざまざ弱い面を克服できず,連携不足から大きな成果を上げるまでには至ていない。これらの点をサンフランシスコ湾の環境保全活動と対比して,ウイークポイントの克服を目指したい。
2. 開発の歴史
◆サンフランシスコ湾
1850年代のゴールドラッシュの時代に鉱山の乱掘によって水銀等の汚染物質を含む大量の水が,サクラメント河とサンサンホアキン河の両河川より流入して汚染が始まった。 湾の大部分が水深6メートル以下の浅瀬であり,湿地帯が広がっている地形のため,その部分からの埋立てが始まり,1950年からは毎年960ヘクタールが埋立てられた。 1960年に産業界から埋立て申請が相次いで出されたのに対し,行政が積極的にバックアップした。
◇大阪湾
江戸時代以前から大阪湾は海上交通路として発達し、大阪港・堺港・神戸港とも港湾建設や重化学工業,防潮堤のための埋立てが行われてきたが,一方,大阪湾沿岸漁業も盛んに営まれていた。
1950年代以降,重化学工業や産業振興のための埋め立てが阪神間に集中し,その面積は5100haに達した。1967年には運輸省第3港湾建設局の大阪湾海上理想都市構想をはじめとして,関西経済同友会の大阪湾総合開発構想,1984年には同建設局が大阪湾港湾計画の基本構想を,同同友会が21世紀大阪湾コスモアイルズ構想を相次いで発表した。これらの構想は,大阪湾沿岸地域における経済の地盤沈下と都市過密の解消のため,産業基盤,都市基盤として重要な意味をもち,安全で快適な都市の再構築と国際化への対応を目標として策定されている。
この計画は,従前の水深10mまでの埋め立てを,同20mまで埋め立てようというものであり,大阪湾の約3分の1を埋め立ててしまおうというもので,その面積はおよそ2万9000haにも達している。
3.行政の役割
◆サンフランシスコ湾
産業界からの埋め立て申請に対して,行政が積極的にそれを指示した結果,逆に市民運動が起こり,それを高揚させることになった,またその運動に対して議員や議会が呼応して,保全法制の立法化活動が活発に行われ,行政とNGOが協力して保全にとりくむという形が形成されていった。
◇大阪湾
開発の歴史で見たように,行政は財界と呼応して,高度経済成長とオイルショックを経験した中で,関西新空港の着工を起爆剤にした巨大開発による経済発展を夢見て,運輸省構想に大阪府も大阪市も大いに賛意を表したというのが現実であり,際限無く出されるごみ問題についてもフェニックス計画(ごみ埋め立て計画)を湾内2カ所に立案し実行に移している。 その目標とするところは,自然環境の保全と回復のために積極的に施策を推進し,大気・騒音等の改善のために,湾岸道路や海上交通網の整備を行うというものである。
後に述べる市民との協調や対話は程遠いものであった。
4.湾に関する法制
◆サンフランシスコ湾
1964年カリフォルニア州法としてマクアティア・ペトリス法が制定され,同法に基づいてサンフランシスコ湾保全開発委員会(BCDC)が 設立された。
1969年BCDCはサンフランシスコ湾計画を策定し,サンフランシスコ湾の総合的な環境管理体制と基本計画を確立した。
1969年国家環境政策法(連邦法)1972年沿岸地帯管理法(連邦法)1973年沿岸地帯保全法(カリフォルニア州法)1977年水質浄化法(連邦法)によって,更に強化されている。
現在,埋め立ては例外的,最小限でしか認められず,湾内では湿地の再生が行われ,国立野生保護区が設定されている。
◇大阪湾
1961年港湾整備緊急措置法,1963年近畿圏整備法,近畿圏整備開発法,1973年公有水面埋立法改正,この間1962年全国総合開発計画,1969年新全国総合開発計画,1972年日本列島改造計画が策定された。更に大阪湾臨海地域開発整備法により新たな開発が始まった。
これに対し保全法制として,1964年近畿圏工場等制限法,公害対策基本法,1970年水質汚濁防止法,廃棄物処理清掃法,海洋汚染等防止法,1971年環境庁設置法,1972年自然環境保全法,1973年瀬戸内海環境保全臨時措置法,1978年瀬戸内海環境保全特別措置法が制定されたが,結果は周知のとおりである。
開発指向の立法と保全法制の弱さが顕著であり,財政措置も開発優先で施行され,非民主的で情報公開も形式的で住民参加の理念すらない状況であった。
5.市民運動
◆サンフランシスコ湾
1960年に産業界の埋め立て申請に対し,行政が積極的にバックアップしたことに端を発して,1961年にキャサリン・ケリー,シルビア・マクローリン,エスター・ガリックの3名がはじめた草の根市民運動『セイブ・サンフランシスコベイ・アソシエィション』に共感し,危機感を抱いていた市民が埋め立て反対運動に立ち上がった。
1964年マクティア・ペトリス法により設立された,サンフランシスコ湾保全開発委員会(BCDC)が,サンフランシスコ湾の総合的な環境管理体制と基本政策であるサンフランシスコ湾計画を策定した。有力な議員や有識者,多くの市民を巻き込んだ住民運動が議会を動かし ,企業への圧力を加え,サンフランシスコ湾保全のための『州沿岸域保全法』が市民発議による直接投票によって成立した。これがサンフランシスコ湾保全の柱となり,原動力になっている。
19世紀以来湾の3分の1を埋め立てで失い,湿地帯の90%以上が埋め立てられているのを,ベイエリアの多くの市民団体が州や国に働きかけて,買い取り運動を起こし塩田地帯6400haを元どおりに復元するために取り組んでいる。 沿岸地帯の復元プログラムの実行資金は環境庁から提供され,保全プロジェクトの執行はカリフォルニア州が行っているが,地元のNPO、フレンズ・オブ・カリフォルニアをはじめ多くの市民参加で実施している。その活動は湾内の建設物沈殿物の減少のため建設業界への啓蒙活動やワークショップの開催,自治体の現場監督のメンバーへの協力要請を行うほか,工場施設の調査やレポート提出を求め,違反企業に対しては提訴し、告発も行っている。
レポートの文書偽造で電力の送電停止を受けた企業や40万ドルの罰金が課せられた例がある。
ベアアイランドの湿地帯保全運動では,レッドウッド市民が土地の所有者である日本の熊谷組に保全のための売り渡しを求め,日本の湿地保護運動団体も支援して,熊谷組は開発をあきらめ,この湿地帯1200haをペニンシュラ・オープン・スペース・トラスト(POST)に売り渡した。この資金は自治体や政府の資金に加えて市民の募金活動によって集められた。ここがダネドワード・サンフランシスコ湾国立野生保護区に指定されることになった。
ルーシー・エバンス自然保護センターから湾に向かってハリエット・マンディー湿地帯が広がっているが,この土地については開発計画を偶然知った学校の先生であったハリエットさんが,市民に呼びかけて保全運動を始めた結果,ベイランド自然保護地区として一帯が保全されることになった。この湿地帯を流れるチャールストン・スルー(小川)の回復の取り組みも25年にわたって行われている。
新シカゴ湿原は1974年にジョン・エドワード下院議員と市民運動により始まり,子供達を対象にした環境教育活動と一般人向け自然ガイダンスが行われ,連邦政府・市・NPOが共同で実施し,年間4000人余りの子どもたちが学んでいる。
◇大阪湾
1971年『大阪から公害をなくす会』が結成され,大気をはじめとした公害に反対し,人間が人間らしく生きられる都市づくりを目指して活動を続け,大阪湾の乱開発に対しては,自然海浜の保全や回復を訴え,ごみ処分のための埋め立て(フェニックス計画)や関西新空港建設による大阪湾の埋め立て反対運動が取り組まれた。
また,1972年には瀬戸内海保全を目指して『瀬戸内の環境を守る連絡会』が瀬戸内沿岸11府県の住民・漁業者・科学者等が参加して結成され,大阪湾についても,実態調査,保全と回復への提言,保全法の制定運動に取り組んだ。
1973年には瀬戸内海保全法制定運動を全国的に展開し,議員立法による瀬戸内海環境保全臨時措置法の制定をみた。 大阪湾に面した甲子園浜の埋め立て計画に対し,地元の主婦をはじめ2000人の原告団によって,埋め立て反対の訴訟を提起し,保全に取り組んだ。
1977年には時限立法である瀬戸内法の実効ある後継法を目指して,市民や研究者、弁護士等が多くの提言を行い,汚染と破壊による瀕死の大阪湾をはじめとした,瀬戸内海の保全と回復のための運動を展開した。
1981年には関西新空港のための観測塔が設置され,新たな局面を迎え,住民サイドからも,大阪湾の生きている現状を市民とともに確認するための市民・学者による現地調査活動が繰りひろげられた。また,1974年和歌山県天神崎の市民による買い取り保全運動『ナショナルトラスト』活動も,多くの市民による保全運動としては,日本でも例の少ない全国的な活動として取り組まれ,企業や行政との厳しい局面を乗り越えた30年にわたる運動の成果が見られる。
6.行政・企業・市民の連携
◆サンフランシスコ湾
サンフランシスコエスチュアリプロジェクトにおける総合的保全マネージメント計画の立案のため環境保護団体・企業・自治体・政府・市民団体等100代表位が集まって,5年間をかけて協議し計画を策定した。
2年毎にプロジェクトの現状について,科学者・研究者・市民等800名位が参加して検討する。
この資金は国の環境庁が提供し,プログラムの運営はカリフォルニア州であるが,この段階でも多くの環境団体が参加し,意見を述べ,一般市民の協力のもと,報告書を作成している。
湿地帯の買い取りは,ベイエリアの多くの団体が州・国の政府に働きかけ,国・州政府・個人財団や市民からの基金によって実現した。
水資源局は湾内の水質と流入水,地下水の浄化を担当しているが,浄化の程度の決定権は公聴会における市民がもっている。このプロジェクト計画は規制ではなく,合意のうえになりたっている自主協定のようなものである。
ルーシー・エバンズ自然保護センターの運営は,連邦政府・市・NPOの共同で行い,環境教育活動に力をいれている。
◇大阪湾
1981年,市民による大阪湾の大規模な実態調査が行われた。
大阪湾を愛する市民,漁業者,研究者等3府県(兵庫・大阪・和歌山)から500人を越える参加者による,水質をはじめ漁業,気象,遺跡,生物,埋立等9項目にわたる実態調査であった。当初は自治体等も協力的な姿勢も見られたが,計画が具体化するにつれて態度が変わり,ヨットの参加について,海上保安庁からの参加問い合わせなどもあって,参加者が激減し,当日は監視のため保安庁の巡視艇やヘリコプターまで出動する事態となって,現に調査に参加していた漁船が一時巡視艇に拿捕されたりもした。
兵庫県では,毎年『公害なくせ県民大集会』を開催し,県知事と住民代表による対話集会も開かれていたが,知事が出席しなくなって久しい。
83年まで大阪湾調査が毎年続けられたり,6月の公害週間には,全国の公害被害者や環境保全団体が,環境省をはじめ関係各省と交渉を実施しているが,瀬戸内保全に関して色よい返事を聞くことはできない。
1997年COP3京都会議には,日本全国のNGOが結集して,政府を動かした事実は記憶に新しい。
1995年阪神・淡路大震災での,全国から駆けつけたボランティアの救援活動はかってない目覚ましいものがあった。
1996年には財団法人地球環境基金から300万円の助成金を受けて,第5回の大阪湾調査を実施した。
2001年神戸・淡路で開かれた第5回エメックス(世界閉鎖性海域環境保全会議)では,瀬戸環連から運営委員を出し,多くのNGOのメンバーとともに,成功に向けて協力した。
7.総 括
日本においては,先ず開発の歴史に対する思想的姿勢が問題点として指摘できる。すなわち初頭教育において,埋め立てを肯定して,乱開発を評価し,開発指向を美徳化している。
生態系保存の価値が正当に評価されず,自然や環境に対する理念の欠如が指摘される。
日本人の宗教的自然感さえも発揮できないでいるのが,大阪湾の現状であろう。大規模な埋め立てや破壊の歴史のなかから,行政はサンフランシスコ湾の乱開発に対して規制の役割を果たしているが,大阪湾では,国や府県は企業とともにより大きな開発に期待を寄せている。
行政の方向性においては,日米の姿勢にあまりにも大きな違いがあり過ぎるというのが現実ではないだろうか。
公共信託の理念を背景に,乱開発の歯止め役を果たしているのが行政であるが,BCDCは,産業界,行政,市民を取り込んで,その方向性を提起し,湾岸利用の調整をはかるという重要な役割を担っている。
法制面については,大阪湾に関する生態系管理法も沿岸管理法もなく,公有水面埋立法で埋め立ての手順を規定し,国立公園法では普通地域とし,瀬戸内法の自然海浜保全条項では指定地域を限定し,海岸法改正では市民の権利の位置付けがあいまいであり,大阪ベイエリア法では新たな開発を目指している。
サンフランシスコ湾における利用の調整と開発の規制という強力な組織 による保全施策や規制法が機能を発揮し,法制定後,埋め立てが許可された事例がほとんどないという事実は注目に値するものである。
市民運動については,両湾について詳しく述べたが,やはりサンフランシスコ湾の保全法制定過程における市民の果たした役割の大きさや,その後の保全活動への主体的参加の実績をみると,学ぶべき点もあると言えるのではなかろうか。
法そのものに,情報公開と市民参加を規定し,その機構のなかでNGOが第一線で活躍している現状は十分評価できるものである。
大阪湾における市民活動も,実態調査の取り組みや法制定運動の展開,啓蒙活動と多くの実績を残しているとはいえ,大きく飛躍できなかった点やNGO団体の連携の弱さ,強力な開発行政に対する力不足,市民参加型保全活動の未確立等反省すべき点も多々あることは否定できない。
市民・行政・企業の連携については,阪神・淡路大震災やCOP3で活躍したボラティアの経験を活かし,行政との連携がかなり進んでいるとはいえ,サンフランシスコ湾のように法律上規定された活動となり得ていないことや,市民の間に長年の行政・企業に対する不信感は未だ払拭できていないのも現実の姿である。
次代を背負う子供たちの環境教育の充実や真の民主主義の定着,情報公開の徹底,保全計画と実行段階における市民参加の確立,何よりも強力な大阪湾をはじめとした瀬戸内の保全法の制定等課題は多いが,未来に悔いを残さない活動を目指したいものである。
環境の21世紀と言われる今日,全国で展開されている環境保全運動と手を携えて,大阪湾や瀬戸内の保全と回復に向けての取り組みの一助となれば幸いである。